Catch Me If You Can | ナノ



      3


臨也がその路地に再び出向いたのは、翌日の夕刻だった。月島と話をしたことは、まるで夢の世界の物語のようで無神論者の臨也には信憑性がない。今でも、あれはちょっと変わった夢だったのではないかと思うほどだ。それでもなんとなく気になって、臨也は今日もふらりとその場所を訪れたのだ。
今日もよく晴れた一日で、空は見事な朱色の夕焼けに染まっている。夕刻特有の長い影が覆う路地に足を進めると、ちょうど昨日、臨也が月島と出会ったあたりに、人影があった。月島ではない。路地裏に溜まった夕闇に溶け込みそうな黒を身にまとった男である。
臨也は立ち止まり、思わず眉を顰めた。その男の姿に嫌と言うほど見覚えがあったのだ。毎日、鏡を覗き込めばそこにあるその顔である。異なる点は、その男のファーが白ではなく血のような赤だというところだけのように見える。
「……げ」
その嫌悪感に満ちた声が臨也のものだったのか、それともその男のものだったのかは分からない。あるいは、二人の声が重なっていたのかもしれない。
しばらく二人は顔を見合わせたまま硬直していたが、男は自分を納得させるように、まあそういう人間もいるよね、と呟いたあとで、「あのさあ」と話しかけてきた
「この辺で、バーテン服にマフラー巻いた男を見なかった?」
眼鏡をかけていて間抜け面した男なんだけど、と言う。臨也の知る限り、バーテン服で街中をうろつく人間と言うのはかなり少ない。平和島静雄以外では、昨日の月島が唯一の該当者だろう。この男が探しているのが月島であることは間違いがない。それならば、この男が月島の言っていた六臂なのだろう。そう仮定すると、月島が臨也を初めて見たときのあの驚愕も納得できる。
自分と同じ顔をした男が、静雄と同じ顔をした男を探し、追いかけているというのは、なんとも皮肉な状況である。
さてどう答えたものかと思案していると、男はすっと臨也に身を寄せて、すん、と鼻を鳴らした。
「……月島の匂いがする」
きわめて不機嫌そうに男が吐き捨てた。昨日月島に会ってから体は洗っているので大した匂いが残っているとは思えない。犬以上の嗅覚である。
「月島から別の人間の匂いがしたら、その相手は八つ裂きにして地獄の最下層に連れて行ってやるって思ってたけど、別の男から月島の匂いがするってのも結構最悪だね。切り刻んでやりたくなる」
口元に笑みを浮かべながら、だが満更嘘でもなさそうな剣呑な瞳で、そんなことをぺらぺらと男は喋った。臨也は軽く天を仰いで、なるほど、と思った。なるほど自分の顔は、客観的にはかくも憎たらしく映っているのか。これならば静雄が臨也の顔を見るたびに「殴りてえ」と言い出すのもうなずける。
そしてもう一つ、その顔を見ていて思ったことがある。もしかして自分もこんなにも、執着と独占欲を丸出しの瞳をするのだろうか、ということである。あれは自分のものだとその瞳が語っていた。
「ねえ、月島を見たの?」
「見たよ。でもそんなこと聞いてどうするの? どうせ君は、本気で彼を地獄に連れて行く気なんてないんでしょ?」
嘘をついてもどうせばれるだろう。認めたうえで逆に問いかけると、男はひたりと臨也を見据えた。本当に、同じ顔のつくりの臨也が言うことではないが、嫌な瞳だ。
「月島から話を聞いたんだ? へえ……。あいつも大概、俺の顔に弱いよねえ」
そんな疑念と不快感に満ちた声で言われたところで、臨也は月島から話を聞いただけで別におかしなことはしていない。だがあからさまに嫉妬に瞳を燃やした男は、臨也にくぎを刺すことに余念がない。
「言っとくけど、月島は俺の獲物だから」
真紅の瞳をまっすぐ臨也に向けたまま、男がそんなことを言う。どうやらこの男は、顔も性格も臨也と似ているようだが、言動が臨也よりも素直らしい。
「確かに君の言うとおり、俺は月島を地獄なんかに閉じ込めるつもりはないよ。このままこうして終わりのない追いかけっこを続けて、永遠に俺のことだけ考えさせるようにするんだ」
男はそうして歪に唇をゆがめて嗤った。


六臂は、人からは悪魔と呼ばれることの多い存在なのだそうだ。自分たちが人からどう呼ばれているかについては、興味はないらしいが。
「俺が月島を初めて見たのがどのくらい前のことかは、もう忘れた。人の時の流れの数え方なんて俺には興味ないしね」
六臂は澄ました顔をしてどこにでも紛れ込む。天国にも、人の世界にも、何食わぬ顔で入り込んでいるのだそうだ。そうして人の世界に紛れ込んだ時に、六臂は月島を見た。
「落し物らしい手紙を手にして、その家を訪ねているところだったみたいだよ。ぐるぐるぐるぐる同じところを周っているおかしな男がいると思って見ていたんだ」
ようやく男が目当ての家のポストにその手紙を届けたのは、丸くて大きな月が上空にあるような時間だった。六臂はその様を、木の枝に腰掛けてじっと見ていた。柔らかく優しく降り注ぐ月の光を受けて、月島はほっと安堵の表情を浮かべたのだという。
「こんなに馬鹿な男もいるのかって俺は思ったね。こういう馬鹿は長くは生きられないだろうって思ってもいた。ちょっと見ていたら、やっぱりアイツはあっさり死んだよ」
そうして、話は天国の門の場面に繋がるのだ。
六臂は天使を騙し、月島を人の世界に戻させた後に、すべては月島の悪だくみだったと嘘をついて天使の怒りを月島に向けさせ、月島を永遠に天国から追放させた。
「天使に嫌われて天国に行けないアイツはもうとっくに人じゃない。俺がアイツを憐れな化け物にしたんだ」
こどもが無垢な悪戯を大人に披露するように楽しげに六臂は言う。そうして天国から追放された月島を、自分に捕まれば地獄に連れて行くと脅して、この追いかけっこを始めたのだ。捕まれば地獄に落とされるという恐怖から、月島はほんの一刻でも六臂のことを考えないでは過ごせなくなる。すべては、天国に行けない憐れな化け物の関心を、自分に引き付けるためだったのだろう。
馬鹿馬鹿しい、と臨也は唾棄したくなった。馬鹿馬鹿しくて忌々しい。客観的に見ればすぐに分かる。捕まえると脅しているつもりで、すっかり六臂は月島に囚われているのだ。まるで、憎い嫌いだと言いながらも、自分の存在を静雄に刻み付けたいと願っている臨也のようだ。
「いつまでそのつまんない追いかけっこを続けるつもりなの」
低く吐き捨てるように尋ねる。六臂は臨也の顔を、あの嫌な瞳で覗き込んだ。分かっているだろう、というような笑みを浮かべている。
「あの夜、満月の下で見た月島の顔が、俺の脳裏から消えるまで」
たぶん、そんな日は永劫に来ないのだろう。臨也の脳裏から、静雄のあの怒りを湛えた静雄の瞳が消える日がないのと同じだ。
「俺はいつまでだってアイツを追えるよ。君に会ったときも、月島はかぼちゃのランタンを持っていただろ? あれは俺が月島にあげたものなんだ」
追いかけっこが始まったあの夜に、六臂はそれを月島に渡した。
――君はこれから、暗いくらい闇を渉って移動することになる。せめてこれを持って行くといい。
そう優しく言って渡したそれは、地獄の炎を用いた特別なもので、六臂はその行方を追うことができた。月島がそれを手放すことのない限り、六臂は彼の行方を失ったりはしないのだ。
「それってさあ、月島があのランタンを手放したら終わりってこと?」
聞いてみると、六臂は鼻で笑って答えた。
「月島はあれを手放したりはしないよ。ずっと大切にあれを握りしめているんだ。ほんと、可愛いよね」
さあそろそろ彼を追わなければ、と六臂は楽しげな声を出して、昨夜の月島と同じように、深さを増していく夕闇の路地にふいっと消えた。




      4


六臂の姿がすっかり闇に消えると、臨也はやはり、おかしな夢でも見ていたのではないかというような気分になる。だが、やけに気分が高揚していて、そう悪くはない。
『ほんと、可愛いよね』という六臂の声が蘇って、臨也は鼻で笑った。可愛い? あの男が?
臨也は知っている。月島は、自身が手にしているそのランタンを頼って六臂が自分のあとを追っていることに、とうに気付いているのだ。


昨夜の月島と臨也の会話には、実は続きがあるのだ。
ロンドン塔はその歴史から見ても、天国には遠い。気まぐれにそう諭す臨也に、月島はにっこりと笑って答えた。
「本当は、知ってるんです」
天国に近い場所を探しているというのは、あちこちをさまようための言い訳だ、と月島はこっそりと臨也に打ち明けたのだ。
「でも俺がこれを持ってあちこち逃げ回っている限り、彼は――六臂さんは、絶対に俺を追うでしょう?」
月島はそう言って愛おしげに自身の持つ奇怪なランタンを見つめた。伝説では、天使の怒りを買い煉獄をさまよう男を憐れんだ悪魔が差し出したことになっているその灯りは、月島の手の中で妖しげに揺れて、彼に囚われた悪魔を誘っているのだ。
臨也が月島を見ると、静雄と同じ顔なのにどこかぼんやりした印象を残す瞳に、ランタンの灯りを映していた。ぼうっとあたりを照らす炎を移した瞳は、どこかしら暗く、この男の執着が見え隠れしている。臨也は人のそういう部分を見抜くのが得意な男である。すると、見られていることに気付いた月島が、暗い瞳のままでふっと頬を弛めて唇を開いた。
「……あの天国の門の前で初めて彼を見たとき、六臂さんは血よりも深いあの紅の目に俺だけ映して、じっと俺を見ていたんです」
あの紅さが忘れられないのだ、と月島は恍惚とした表情で語った。


月島は、六臂の心が自分から離れることがないように、あのランタンをしっかりと握りしめ、永遠を彷徨い続けている。あるいは六臂も、それを知った上で月島のあとを追っているのかもしれない。
くだらない、といっそ爽快な気分で臨也は嗤う。互いに囚われている二人が、その執着を永遠のものにするために追いかけっこを続けている。なんてくだらなく、愚かしく、愛おしいのだろう。
高揚した気分のまま臨也は、路地裏に背を向けて池袋のメインストリートに出る。そう歩かないうちに、よく見知った姿を見つけた。周囲の人間より頭一つ分高く飛び出した長身に、夕闇の中でも煌めく金髪。彼もすぐに臨也を見つけたらしく、ぴき、と表情を固まらせた。
「池袋に近づくなって昨日散々言ったよなあ」
まだ分かんねえのか? と静雄が怒りの目を臨也に向ける。
ああ、この瞳がやはり、他の何に比べるべくもなく格別に美しい、と臨也は思った。他のあらゆる表情を向けられることがなくとも、この瞳が臨也だけを追っているのだと考えると、それだけで臨也の心は満たされる。
臨也は唇の端を持ち上げた。
「ねえ……今日は見逃してくれない?」
答えなど分かりきっているが、挑発の一環として尋ねてみる。静雄はやはり、ひくっと口の端とこめかみを動かして、「調子に乗ってんじゃねえよ」と言ってきた。
そうしてそのあたりにあった標識を、まるでティッシュボックスからティッシュを一枚取るような軽さでバキッと折ってから、にやりと笑って臨也を見た。その瞳が、都会のイルミネーションを映して煌めく。臨也も笑みを深めた。
静雄が一歩、足を踏み込み、目で追うのがやっと、というようなスピードで迫ってくる。ブン、と轟音をたてて振りかざされた標識を身を捩って避け、臨也は懐から取り出したフォールディングナイフで静雄の左腕を切りつけた。手加減したつもりはなかったが、残念ながらそれは皮膚一枚しか刻むことはできなかったらしい。それでも静雄は、眉をしかめる。
臨也は笑みを浮かべたままさっと身を引いて静雄の反撃をかわし、さっさと踵を翻した。
「てめえ、逃げんじゃねえ、臨也!」
当然のように追いかけてくる静雄を振り返る。怒りに染まった瞳が、やはり綺麗だ。

静雄に追いかけられながら、都会の薄暗く、永遠に続くかのような路地に入り込む。ふとその奥の細い道に、橙色のぼんやりとした灯火を見た気がした。昨日の夜に路地で見た、あの男が持っていたランタンの明かりによく似ている。それは確認するまでもなくふいっと消えてしまったが、互いに互いを縛り付けるために、気の遠くなるような時間をかけて終わりのないおいかけっこを続ける二人のことが、臨也の頭をよぎった。
「待ちやがれ、臨也ああああ!」
静雄の足音が聞こえてきた。
「しつこいなあ、シズちゃんは」
静雄に届くくらいの声でそう言って、わざとらしくため息を吐く。すぐに静雄が額にくっきりと血の筋を浮かべながら、臨也に向かって標識を振りかざす。臨也はまた唇の端を持ち上げて笑い、街の闇が溜まる路地裏に足を踏み入れた。


もう迷うことはしない。
さあ、呪われた恋の歌を叫ぶように、終わりのない追いかけっこをはじめよう。


(Catch Me If You Can 2)
(2011/10/10)

Catch Me If You Can=鬼ごっこの際の掛け声として使われる。







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