※ 六臂×月島がかなり絡むイザシズ(?)です。 ※ 六月の設定がとてもぶっ飛んでいます。大丈夫な方のみどうぞ! 1 雨が降れば息が白くなりそうなほど寒いし、日がさせば汗がじとりとわき出てきそうなほどに暑い。この十月というのは、いやな季節だと臨也は思う。だが今日は、昼間は割合穏やかに晴れたし、闇が落ちた今となってもそれほど肌寒さを感じるほどに冷え込んだりはしなかった。 そんな穏やかな秋の宵に、しかし臨也は肩を押さえながらふらふらと路地裏を歩いていた。 「……あんの、化け物め……」 痛みに思わず呻く。池袋をふらついたら、取り立ての最中だった静雄に出くわし、いつも通り喧嘩をした。静雄が振り回した標識が肩を掠め、痛めてしまったのだ。静雄の前では痛みを露わにするのが嫌で平気なふりをしていたが、さすがにナイフもうまく使えず、適当なところで切り上げて逃げ出した。 『まちやがれ、臨也ァ!』 ずきずきと痛む肩の復讐に、標識を片手で握りしめて追ってくる静雄の必死な形相を思い浮かべて、ひっそりと笑う。ああ、シズちゃんは本当に傑作だよ! くっくっと低く笑いながら、そんなことを考える。 憎むべき相手ならば、見るたびに追いかけたり攻撃を加えたりせずに無視をすればいい。愛の反対は無関心だという偉人の言葉を教えてやりたいくらいだ。だが、静雄が臨也という存在に無関心で過ごせたことなどないはずだ。 臨也をにらみつける静雄の、あの怒りにまみれた、冷たいような、それでいて温度の高い青の炎のような瞳を見るのが好きだ。静雄が見せる表情の中で、そのときの顔ほど美しいものはないと臨也は思っている。あの顔を静雄が向けるのは、臨也だけだ。そういう意味において、あの顔は臨也のものだった。 ずき、とまた肩が激しく痛んだ。臨也は軽く呻いて、路地の薄汚れた建物に背をつける。腕は動くので骨には問題ないだろうが、かなりひどい打撲だろう。腫れる前に新羅に看てもらったほうがいいかもしれない。そんなことを考えながら、イルミネーションが入り交じり、都会特有の奇妙な色に沈んだ夜空を見上げた。それを見ていると、は、と渇いた笑いが湧き上がってきた。 「……くだらない」 思わず吐き捨てる。 あの美しい瞳は、臨也のものだ。あれを他の誰かに見せることは許せない。あの、憎しみと怒りと、それから激しい執着に燃えた瞳をただ自分一人に引きつけるために、臨也は静雄に自身を憎むよう仕向けてきた。罠にはめ、喧嘩をし、挑発して逃げる。 自身が選んできたこの道筋を後悔したりはしていないが、時折こんな風に、ふとむなしさがこみ上げてくることもあるのだ。 平和島静雄は紛れもなく化け物だが、まるで臨也が愛する人間のような表情をすることもある。たとえば、中学の先輩であり現在の上司である田中トムや、最近できた仕事上の後輩であるヴァローナとともにいるとき。たとえば、門田やセルティといるとき。もっと言えば、弟である平和島幽といるとき。静雄は声を荒げずに会話をしたり、穏やかに微笑んだりさえする。 こんな穏やかな夜は、あの怒りに満ちた表情だけじゃなくて、他の表情を見ることができるような関係は築けなかったのかと、ふとそう思ったりもするのだ。本当に、馬鹿馬鹿しいことだが。 己のくだらない思考に自嘲したそのときだ。ふと、路地の向こうに、ぼうっと橙色の明かりが灯った。目を細めてしまうような明るいものではなく、うっそりと辺りを照らすような、か細く、それでいて闇に紛れたりはしない不思議な明かりである。よくみると、今時ほとんどみかけないランタンのようなものを掲げた男の姿があった。 「…………は?」 臨也は珍しく、ぽかんと口を開けてその男の姿を見た。男は、よく見知った姿をしていたからだ。長身痩躯にぴたりと合ったバーテン服、見慣れぬマフラーを首もとにぐるぐると巻いている。目元には、サングラスではなくメガネなんぞをかけていたが、臨也がその姿を間違えるはずもない。 「……何それ、コスプレ?」 思わず考えていたことが口をついてでてしまったらしい。その人影が、ふと臨也を見て、驚愕に目を見開き、六臂くん、と呟いた。そのときに、強烈な違和感を覚える。あの平和島静雄なら、そんな目で臨也を見たりはしない。そして静雄に臨也に接する態度をここまで変えるような器用さは備わっていない。つまり、この男は静雄ではない。 静雄と生き写しのその男は、しばらくまじまじと臨也を見てから、違う、と小さく呟いた。それから意を決したように、あの、と呼びかけてくる。 「あの、すみません。ちょっと道を聞きたいんですけど」 ランタンを持った人影がさらに近づく。臨也は、これは夢だな、と思った。そのランタンは、カボチャをくり貫いて作られたものだ。この季節になると町中でよく見かけるあのデザインである。 たぶん自分は痛みで気絶して夢でも見ているんだろう。夢の中でもあの男とそっくりな顔が出てくるなんて、自分も大概だな。などと考えている臨也にかまわず、その男は「ちょっと迷っちゃって」などと気弱に笑ってみせる。その顔でそんな表情をされても気持ちが悪いだけだ。何より夢幻の類ならさっさと消えてほしい。 だがそれは臨也の前から消えることはなかった。 「えっと……そうだ、ロンドン塔に行きたいんだった」 「…………」 しかも極めて馬鹿な幻ときている。ここがテムズ川のほとりに見えるなら、いい眼科を紹介したいところだ。それとも、そういう名前の飲み屋でもあるのだろうか。 「あんまり人目に付きたくないから、できれば裏道を通って行きたいんですけども」 行き方を知っていますか、と男が問う。まだ夢から覚めないのか、と思いながら、臨也は「あのさあ」と言葉を発した。 「はい?」 「少なくとも、俺が知ってる限りではこのあたりのどの路地裏を通ってもロンドン塔にはたどり着けないよ」 まずイングランドにも至ることもないだろう。だが男は、非常に衝撃を受けた、という顔をした。 「おかしいな、地図だとこの辺のはずなんだけど……」 がさごそと地図を取り出して確認している。一体どんな地図をあてにすれば日本とイギリスを混同したりするのかと多少興味を引かれたが、おそらく問題があるのは地図ではなくこの男の脳と方向感覚だろうと思い至る。つきあってはいられない、と臨也が踵を返すと、コートを引っ張られた。 「あっ、待ってください! せめてどの方向に行けばいいのかだけでも教えてください」 「……とりあえず、電車に乗って成田空港に向かいなよ」 もう面倒になり、臨也は駅の方角を指し示す。これ以上、頭のネジのゆるんだ、仇敵と同じ顔をした男と会話をしていたくはないのだ。だが男は、なおも食い下がった。 「空港? そんな人の多そうなところには行けません!」 あいつに捕まっちゃう、と男は言う。その言葉に、臨也は少しだけ興味を引かれて足を止めた。 「あいつって?」 奇妙に歪んだ顔のランタンがぼんやりと濁った闇の落ちた路地裏を照らしている。その灯りの中で、男はこんな奇怪な話をした。 2 男は月島と名乗った。自分がどれほど前に生まれたのかは、もう忘れてしまったのだそうだ。どこで生まれ育ったのかも、正確には覚えていないという。 「ここからはずっと遠い街だと思います。きれいで、土地も豊かで、穏やかで、誰もが優しくて。幸せな街でした」 そこからすでに、その男のまさに夢幻を漂うような現実離れした話が始まっていた。 「俺はそこでずっと暮らしていました。……あまり長くは生きられなかったけれど」 どうやら話が始まってすぐに、その物語の中の男は死んでしまったらしい。随分と突き抜けた話もあったものだ。軽く頭痛を覚えたが、臨也は先を促した。 「……それで?」 「信じてくれるんですか?」 「もともとここで俺と君が会話を交わしていること自体が夢だと思っているからね。信じるかどうかは分からないけれど、一応先は聞いてあげるよ」 「……はあ」 納得したようなしないような、何を言われているのか分からないというような顔をしながらも男は先を続けた。 その街で男は病を得たのか、それとも持ち前の天然ぶりをさく裂させて事故にでも遭ったのか、とにかく若くして逝去したのだという。もう昔のこと過ぎて詳細はよく覚えていないのだと男は語った。 「はっきり覚えているのは、天国の門の前に立たされる少し前のことだけです」 そこで月島は、男に会ったのだという。奇妙な男だったと月島は語った。 「奇妙に楽しげに、でもまっすぐに、俺のことをじろじろ見ていました。それは怖気が走るほど、美しい男でした」 本当に本当に美しい男でした、と月島は、熱にうかされるように繰り返した。 そしてその男は、君にもう一度チャンスを上げよう、と澄んだ、しかし厭らしい声で囁いたのだという。 「そのとき俺はそれが何のことなんかさっぱり分からなかったんです。まだ自分が死んだこともよく分かってなくて」 だが天国の門に立たされて、そこで羽根のはえた天使に言われたのだという。 「お前の人生はあまりにも哀れだから、もう一度人生をやり直していいって。俺はそのとき初めて自分が死んだってことを知ったんですけど」 早世ではあったが、穏やかに生きてきた月島の生が、天使の憐れみを誘うほど悲しいものだっただろうか。おかしいとは思ったが、何をどう指摘していいものやら分からない。そうこうしているうちに、月島はまた現世に戻されていた。 死んだと思っていた男が唐突に蘇生したことに、周囲にいた人間は驚いたが、本当は死んではいなかったのだと納得してすぐに喜んでくれた。 それから少しの間、月島はまた人として月日を送ったという。すべてはただの悪い夢だったのではないかと思い始めてすらいたのだそうだ。だがそんなある日、夢に天使が現れた。 「すごく怒って、もう二度とお前は天国に足を踏み入れることはできないって言うんです。お前は私を欺いたのだ、って」 何のことなのか月島にはまったく分からなかった。ことの真相を知らされたのは、目が覚めた時だったという。 「目覚めたときのことは、よく覚えています。まだ夜が明ける前の、闇が一番濃い時間帯でした。 俺が寝ていたベッドの脇に、深い闇を凝縮させたような黒い服を着た、見覚えのある男が立っていたんです」 それは天国の門の前で月島を見ていたあの男だった。相変わらず美しい姿で、その男は嫌な笑みを浮かべながら月島を見ていたのだ。そして男は言った。 ――これで君は天国の門をくぐれないね。 ――どういうことですか。 ――君はその姿のまま、永遠に彷徨うしかないってこと。 男は歌うように楽しげに言ったのだ。 「天国の門をくぐる前に、あの男が天使に、俺の人生をでっちあげて語ったんです」 喜びなど何一つない哀れな人生を作り上げ、天使の同情を誘うようにその偽りを語った。結果として、月島は生き返ることができたのだ。だがその男は今度は、こう天使に告げたという。 「すべては俺に頼まれて言わされた偽りの人生だって。本当の俺は、堕落した人間なんだって」 だから天使は激怒したのだ。 それから月島は、ずっとその姿のまま、こうして彷徨っているのだという。 臨也はその現実味に乏しい話を、それなりに興味深く聞いていた。少し似た伝説を知っている。あれは、堕落した男が積極的に天使を騙し、また生まれ変わるが、結局再び堕落した人生を送り、天使の怒りに触れて天国へも地獄へも行けずにさまようという話だった。月島が手にしているジャックランタンに関係する話だ。 「それで君は、誰に捕まるのを恐れているの?」 月島は先ほど、『あいつに捕まっちゃう』と言ったのだ。それが誰のことなのかと尋ねると、月島はこう言った。 「天使と俺を嵌めたその男です」 それは予想していた答えではあった。 その男のことを月島は、六臂と呼んでいるのだそうだ。本名であるかどうかは知らないという。 「名前だけじゃなくて、俺は六臂くんのことを何も知らないんです」 ただその言動から、恐らく彼は人間を地獄に導く者であることを薄々悟ってはいる。その男はこう言ったのだそうだ。 ――今は君を逃がしてあげよう。でも俺は君を追うよ。 「追いかけて捕まえたら、俺のことを地獄に連れて行く、って」 ――だから、それが嫌なら早く逃げなよ。 男はそう言ったのだそうだ。それが掛け声だった。 それから、年月を忘れるほどに長い追いかけっこが始まった。海を越え、山を越え、闇を渉り、気の遠くなるような時間をずっと、月島は六臂から逃げることに費やしているのだ。何度も捕まりそうになったが、そのたびにいつも間一髪のところで逃げ出してきた。逃げながら、何とか天使の怒りを解こうと、天国に近い場所を探しているのだそうだ。 「それでロンドン塔ねえ……」 何人もの無実の人間を処刑しているあの場所が天国に近いとはとても思えないが。だが月島は、臨也がそれを指摘しても意思を変えなかった。抜けた男だが、意思の強そうなところは静雄と似ている。 月島はその意思の強そうな瞳のままににこりと笑ってから、やがて不気味で、それでいて確かな明かりを灯すランタンをしっかりと握りしめ、また闇のはびこる路地裏にふらりと消えて行った。 → (Catch Me If You Can 1) (2011/10/10) |