遠雷 2 | ナノ


※性描写が入ります。18歳未満の方は閲覧しないでください。



静雄が臨也に初めて会ったその日から2日後、また雨が降った。雨の降る夕刻にふらりと臨也のいるあの紫陽花の庭を訪れた静雄を、臨也はまた底の見えない笑顔で迎え入れた。
傷が痛むか気になって来たんだ、という自分の言葉が、白々しい言い訳に過ぎないことを、静雄は知っていた。恐らく、臨也も知っていただろう。「傷、痛むか」という問いに、臨也は薄く笑いながら「そうだね、少しね」と答えた。
その日、初めて静雄は男に抱かれた。拒むことは、しなかった。


今年はほぼ例年通り、6月の半ばに梅雨に入った。重い雲が広がり、すっきりとした晴天が遠のいて、雨模様が多くなる。自然、静雄が臨也のもとに行く頻度は増した。
だが、もう何度もこの屋敷に通っているのに、臨也について静雄が分かっていることは、それほど多くはない。それなりに地位のある人間なのだろうが、恐らく法を遵守しながら築いた地位ではない。臨也はそういう、堅気からは外れた雰囲気を漂わせている。
臨也は行為の最中もあまり自身の衣服は崩さないが、腹部に傷を負っていることは確かなようだ。恐らくそれほど浅い傷ではない。恨みを買ったか抗争に巻き込まれたかは知らないが、いずれろくな顛末ではないはずだ。
静雄も自分が褒められた人間ではないと自覚しているが、臨也は間違いなくろくでなしだ。それなのに、ずぶずぶと底なし沼に沈んでいくように、静雄は臨也との関係に溺れていた。
だが、この関係は恐らく限られた時間だけのものだ。この家は臨也の本宅ではない。臨也がここに来たのは、ごたごたを避けるためだと言っていたが、恐らく雨の多い季節をゆっくりと過ごすため、つまり傷が癒えるまでの療養が一番の目的だろう。
臨也自身は明言はしていないが、言葉の端々から、夏には仕事に戻ることがうかがえた。それならば、どうせすぐに終わりは訪れる。




雨に打たれて冷えた肌を、湯で十分に温めてから風呂を出る。脱衣所にはここまで着てきた制服が残っていたが、濡れて重くなっていた。それを再度着込む気にはなれず、脱衣所に置かれた竹籠を探ると、肌触りのいい浴衣に行きついた。
この屋敷には、臨也の趣味なのかあるいは前の持ち主だという臨也の祖父の趣味なのかは分からないが、和服が多い。臨也がそれを面白がって静雄に着せるので、静雄も浴衣に袖を通すことに抵抗はなくなっていた。
適当に身ごろを合わせて帯を締める。さらりとした木綿の生地が肌に心地よく、静雄はふっと息を吐いてから脱衣所を出た。置き行燈の明かりがぼうっと照らす長い廊下を歩いて、突き当りの部屋の襖をあける。臨也は濡れ縁に続く障子を開け、そこから庭を見ていたが、すぐに振り返って静雄を見た。
「温まった? って、シズちゃん、それ…」
「んだよ」
「あわせが逆だよ。それじゃあ死に装束だ」
おいで、という手招きに従い、静雄は彼の方に向かう。裸足に、少し冷たい畳の感触が心地よかった。
臨也は浴衣のあわせの合間に指先を忍ばせる。そのまま、あわせを直すでもなく脇腹を撫でてくる。どうせすぐ脱がせるのだからあわせなどどうでもいいだろう、と指摘してやりたいところだが、口のうまい臨也にやり込められるのが分かっているのでそのまま言葉を飲み込んだ。
静雄が何を言わないことをいいことに、するすると身ごろを乱し、静雄の肩をむき出しにした臨也が、ふと動きを止めた。
「ここ。この肩のとこ何か硬いもので殴られた? 腫れてるよ」
言われてみれば、乱闘の際に殴られたような気もする。その程度ならいつものことなので、あまり意識してはいなかった。すでに治癒がかなり進んでいるのか、あまり痛みも感じない。
「せっかくきれいな体なんだから、痣なんて残さないようにしなよ」
「…どうせ、すぐ消える」
「それでも」
慈しみ労わるように、腫れているらしい肩口に臨也は唇を寄せる。あるかなしかの感触に、静雄は目を伏せた。こんな臨也のしぐさに、いちいち心をざわめかせている自分が煩わしい。先の行為を促す意味で、臨也の髪に指を絡めてキスをねだった。
「…ん…」
土の匂いと入り混じった雨の匂いが忍び込んできている。雨足がまた早くなったようだ。そんなことを感じながら、入り込んできた舌に己のそれを絡める。障子窓が開けられたままになっていることが多少気がかりだったが、人の気配がないことと、視界の煙るような雨が降っていることを言い訳にして、思考から消し去る。前回来たときは、使用人と思しき年配の女性が廊下を掃除する気配がある中で抱かれた。それから比べたら、幾分ましだろう。
キスを繰り返しながら静雄を畳の上に座らせた臨也は、今度こそ無遠慮に袷の合間に手のひらを入れてきた。風呂上がりの肌には、臨也の指先は冷たい。その手に無遠慮に胸元を触れられて、静雄は息をつめた。帯を乱して、下腹部やまだ反応を見せていない性器にも直接触れられる。声が零れそうになるのを抑えて、必死に唇をかみしめる。だがそんな反応を面白がるように、臨也は口の中に指を差し込んできた。静雄の人並み外れた力でその指を噛むことはあまりに危険なので、注意しながら指に舌を絡ませ、吸い上げる。倒錯的な行為に、体が熱くなった。
臨也は一度指を抜いたかと思えば、今度は二本差し込んできた。
「よく濡らして。そう、いい子だね」
神経に障るほどに甘ったるい声で、臨也が促す。言われるままに舌を這わせ、ねとりと舐めあげた。臨也はそれを満足そうに眺めている。唾棄したくなるような胸糞悪さと、甘ったるい充足感が同時に込み上げて、目を閉じた。
指を抜いた臨也は、静雄の足を開かせ、奥まったところにある後孔に濡れた指で触れてきた。縁をなぞり、唾液の潤いを借りて指の先端を埋めてくる。浅い部分を引っかかれる感触に、太ももがぴくぴくと震えた。ぐっと指を差し込まれて、ぐりぐりと奥を探られる。
「ふ、…」
違和感とひきつるような感覚に、声が零れた。
「前、ほとんど触ってないのに反応してるよ。もう濡れてる」
「……ッ!」
からかうような楽しげな声に指摘され、頬が熱くなる。ゆるゆると握られた陰茎は、確かにしっかりと反応を示していた。抗おうと臨也の腕に手を掛けるが、ぎゅっと根元を強く握られて体が跳ねた。
「あぁ…ッ」
面白がるような臨也の指先が、今度は先走りのぬめりを借りてまた内部に入ってくる。さらに本数を増やし、単調なリズムでピストンさせてきた。指が届かない奥の部分が疼く。
「あ、あ…、おく…!」
「腰、揺れてるよ? そんなに欲しい?」
「…死ね!」
流される前にせめてもの罵倒を浴びせかけるが、臨也は端正な顔でうっそりと微笑んだだけだった。
指を内部から抜いたかと思うと、静雄の身体をひっくり返す。畳に手をつき、尻だけを上げさせられた。だが屈辱的な体勢に文句を言うより先に、散々乱された浴衣を更に乱し、孔に熱いものが触れた。臨也の陰茎だと気づくのとほぼ同時に、ぐっと肉をかき分けてそれが内部に入ってくる。
「ふあ、あぁ、や…!」
痛みを感じる間もなく無遠慮に奥まで突き上げられて、迸った声は悲鳴というにはやけに甘い。行為に慣れてきつつある自身の身体に、だが自嘲するほどの余裕はなかった。
「そんなに、腰を振って。…いけない子だなあ」
体を支える力をなくして畳の上に上半身を投げ出した静雄を追い、臨也が耳朶に直接舌を差し込む。さらに乳首を引っかかれて、敏感になった体がまた跳ねた。
「い、た…! あ、ふあ、あ…ッ」
ゆるゆると腰を揺らしていたかと思えば、また奥を激しく突き上げてきて、逃げ場のない快楽に、畳に爪を立てる。雨音の忍び込んでくる部屋に、肉のぶつかる音がやけに大きく響いた。膝や腕が畳の目にこすれて痛むが、それさえも脳が快楽に転換する。
「うあ、ん、ああっ」
連続する快楽に、陰茎から精液が迸る。だがそんな静雄に気づかうことなく、臨也は律動を続けた。奥を強く突かれるたびに、衝撃に精液が溢れる。
「……っ」
やがて臨也も息をつめて、静雄の中に精を吐き出した。じわ、と内部に広がる液体と、それと同時に急速に湧き上がる虚しさに、涙が滲んだ。




自身と静雄の身を軽く清めた臨也は、奥の部屋に布団を敷き、そこに静雄を誘った。それに従い、シーツにくるまってから、静雄は瞼に手のひらを載せる。
この関係が始まってから、満たされていると思ったことは少ないが、ここのところのこの虚しさには理由がある。
掌をずらして、静雄は置き行燈の仄かな明かりに照らされた和室の隅に目をやる。床の間の隣りには違い棚があり、そこには小物を入れた桐箱が置かれている。そこに、以前の住人であったと思しき女が残していた、椿の彫が入ったつげ櫛があった。
他の荷物はすべて送り届けたのか、この屋敷に以前の住人の面影は見当たらない。だが、おそらく屋敷の整理をした者が、そのつげ櫛についてはこの家の備品だと勘違いして残しておいたのだろう。しかしそれは、少し前までここに住んでいた女の持ち物だった。臨也が留守の間に、かつての住人である女がそれを取りに訪ねてきた。

数日前のことだ。週末で学校のない雨の日、静雄はほぼ一日臨也の家にいたが、昼過ぎごろに、臨也は一度家を出た。
「ちょっとだけ用があるから出るよ。夕方頃には帰ってくるから、シズちゃんはここにいるといい」
和服を脱ぎ捨ててフォーマルなスーツに着替えながら、臨也はそう言った。そして臨也が去った後に、女が訪ねてきたのだ。
女は、幾度か庭先から女中の名を呼んだが、返事が無いのに焦れて濡れ縁に近付いてきた。布団の中でうつらうつらとしていた静雄は、その気配に慌てて身を起こし、障子窓を開ける。そこで、その女と鉢合わせた。
「あなた…」
差していた白い傘を閉じた女が驚いたような声を上げる。静雄も、身を固まらせた。整いすぎた女の顔は、逆に個性を薄めていたが、その姿には見覚えがあった。初めてここに来た日に、静雄とぶつかったあの女である。
「あの、…臨也は留守ですが」
何を言えばいいのか分からず、とりあえずそれだけ伝えると、女は軽く頷いた。
「知ってる。いつも土曜のこの時間帯は組合の集まりがあるの。だから、今来たのよ」
臨也には会いたくなかったということだろう。女は続けて、つげ櫛を取りに来たことだけを告げた。大切な肉親の形見だから、人の手を介してではなく自分で取りに来たのだという。静雄は女に請われて、飾り棚に置かれた桐箱から目的のものを見つけ、それを女に渡した。
「ありがとう。助かったわ」
にこりと女が微笑む。だがすぐに、ひどくまっすぐな瞳で彼女は静雄の姿を見た。その時になって、己の乱れた浴衣姿に気づき、静雄は慌てて浴衣の袷をただす。静雄は特殊な体質で体につけられた痣などはすぐに消えてしまうが、それでも女の前に散々臨也に甚振られた肌を晒すことには抵抗がある。だがそんな静雄の動作を見ても、女はただ静かな視線を向けていた。
「…あの男は、やめた方がいい。あなたが悲しい思いをするだけ」
やがて静かな口調で、女はそう言った。静雄は動きを止める。女は今度は悲しげに瞼を伏せて笑い、もう一度静雄に「本当にありがとう。さよなら」とだけ告げて、優雅な仕草で傘を広げ、踵を返した。女の白い傘とその下に見える柔らかなそうな髪が、やがて盛りを超えた紫陽花の向こうに消える。それでも静雄は、その場に立ち尽くしていた。
いっそもっと嫌悪や憎悪を込めて罵ってくれた方がましだった。女のもの悲しく、静雄をただ憐れむような視線がいつまでも脳裏から離れない。
臨也はあの女について、かつて「物わかりのいい人だと思ってたんだけど。不相応な望みを伝えてきたから、それは無理だって言ったんだ。そしたら出て行っちゃった」とだけ言っていた。二人に何があったのかは、正確には分からない。だが、彼女が臨也の言動により、ひどく傷ついたのは確かなのだろう。臨也の本質はどうしようもなく冷淡だ。


恐らくあの女と静雄は、臨也にとってそれほど変わりはないだろう。木張りの天井をぼんやりと眺めながら、静雄は思う。この屋敷にいる間の暇潰しとして、毛色の変わった静雄に手を出しただけで、結局はあの女と同じ、静雄もいつでも切り捨てられる存在にすぎない。それは静雄自身も、とっくに気付いていたことだ。それなのに、雨が降るたびにこの家に来ることをやめられなかった。
「まだ、何か怒っているの?」
にこやかに笑いながら臨也がシーツにくるまる静雄の顔を覗き込む。静雄は舌打ちして顔をそむけた。そんな反応に臨也は肩を竦めてから立ち上がり、少しばかり開いていた障子をさらに大きく開ける。雨の匂いのする湿った風が、静雄の頬を擽った。雨音は、一時に比べればだいぶ弱まってはいるが、まだ途切れる兆しを見せない。
ふと、雨音に混じり、不穏な雷鳴が届いた。けして近くはないが、その馴染みある音は、この暗い屋敷の隅々にまで届く。
「ああ、遠雷だ。見てごらん、シズちゃん。向こうの空が光ってる」
「……」
その声に促されて、静雄はもぞもぞとシーツから上半身を起こす。ゆっくりと視線を、紫陽花が行燈の灯りに照らされる庭から、上空へ移す。すっかり暗くなった重い色の空の向こうで、稲光が見えた。
「雷は夏の季語だね。間もなく夏が来る」
いつもの通り、澄んだ声を弾ませながら臨也が言う。夏が来る。静雄はその言葉を脳内で反芻した。傷を痛ませる雨季が終われば、静雄がここを訪れる名目上の理由はなくなるし、何より臨也は仕事に戻るため、ここを去るはずだ。ざわ、と胸の奥が騒ぐ。臨也に早く視界から消えてほしいと思う一方で、この愚かしい関係が終わることに、どうしようもなく怯えているのだ。
間もなく、梅雨は去る。気付いていなかったわけではない。出会った頃はまだ淡い色だった紫陽花の花が、すでに盛りを超えて終わりを迎え始めている。ただそれから目を逸らしていただけだ。気付かないふりを、続けていた。

「…臨也」
「なに?」
怠い体を起こして、臨也のもとにたどり着く。先ほどまで激しかった雨足が、また一段と弱くなっている。それを感じながら、臨也の肩に腕を回した。瞼を閉じて、口づける。
臨也は珍しい静雄からのキスに最初こそ驚いたようだが、すぐにそれに応じてきた。拙い誘いだったが、臨也の気を乗らせることには成功したようだ。臨也に身を凭れかけさせて、次の行為を待った。今は何も、考えたくない。そんな思いにせかされる。
だが遠雷はやむことはなく、それは静雄の耳にずっと聞こえ続けていた。


(遠雷 2)
(2011/07/30)





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