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得てして人の感情は、複雑なようでいて、傍から見れば単純なものだ。
存在が腹立たしい、そばにいることが苛立たしい、相手に強烈に自身を刻み付けたい。相手に強烈に意識されたい。そして時々は、笑ってほしい。
何か一つの言葉でそれらの感情を片づけることは難しい。憎悪も恋情もきっと込められる。ただ、新羅はその感情を大体総括してこう称する。
「君はずっと、静雄にぞっこんだね」
もちろん、言われた当の本人は思いきり心外で不快そうな顔を作り、全力で否定したが。


ぼんやりと臨也は、眠る静雄の姿を見ていた。眠る、というよりは、意識を失っている、というのが近い表現ではある。学校帰り、ダンプカーにはねられたらしい。
意識を失った静雄を、現場から近かった新羅の家に必死に運び込んできたのは、すべてを仕掛けた張本人であるはずの臨也だった。もともと大してよくない顔色が、さらに青ざめていて痛々しい。
「うん、たぶん骨折もしていないね」
というのが、新羅の診立てだった。まだ高校生である新羅でも、その程度の判断なら可能だ。脳内の精密検査などは無理なので、静雄が目覚めたらきちんとした設備のある施設での検査を進めてはみるが、おそらく静雄は聞く耳を持たないだろう。
そもそも、外部からの刺激で静雄の脳に何らかのダメージを与えるということは、あまり現実的な話ではない。意識を失ったことも、身体的にダメージを受けたからというよりは、大きな衝撃を受けたはずみのものだろうと思われた。
「意識が戻れば普段通りに動けると思うよ」
「相変わらず、ふざけた化け物だよね」
あからさまに安堵しているくせに、唇を皮肉の形に持ち上げて、臨也はそんなことを言う。片時も静雄の顔から離れないその視線は、わずらわしげで、それでいて愛おしげだった。
新羅はしばし沈黙して、やがて意を決して言葉を綴った。
「僕は静雄を僕なりに大切な友人だと思っているけれど、君たちに何かが起きるたびに僕の家に運び込まれるのはちょっとごめんこうむりたいから、言うよ」
「…何、新羅」
「静雄の身体は未だに進化を続けている。僕が知る限り、小学生のころの静雄なら、さすがにダンプカーで跳ねられれば、死にはしなかっただろうけれどそれなりの怪我を負っていたはずなんだ。ところが今日は目だった外傷ひとつない。静雄の身体は、凄まじい勢いで強度を増しているんだ。もうすでに、前人未到の域だよ」
「何が言いたいの?」
「静雄を本気で殺したいなら、今が絶好の、そしてもしかしたら最後の機会かもしれないよ。今後、静雄の身体はさらに進化を続けていく。そうすれば、まさに静雄の身体は完全無欠、誰も手が出せなくなる」
今なら、たとえば力を込めて頸動脈を切り付ければ、さすがの静雄も死ぬだろう。だが、これ以上に静雄の身体が進化していけば、それができる保証はない。
「俺に、今ここでシズちゃんを殺せって言ってるの?」
「…さっきも言った通り、僕は静雄のことを、それなりに大事な友人だと思っているよ。付き合いも長いし、何より興味深い観察対象だ。でも、もし君が静雄を本気で殺したいなら、たぶん今しかない」
外科医が有する、人の治療のために役立つ器材というのは、裏を返せば人に損傷を負わせることに長けたものだということだ。新羅の家には、そんな器材がそれこそ腐るほど転がっていた。さらに言えば、臨也が、今関わっている組織のつてで、死体をうまく処理するそれ系の人間とパイプがあることも知っていた。まさに御誂え向きである。
さあどうぞ、と笑顔を向ける。臨也は憎々しげな顔をしてそんな新羅を見て、それから未だ昏々と眠り続けている静雄に視線を向けた。メスを貸そうか? と提案をしてみるが、臨也は無言で自身の懐からフォールディングナイフを取り出して刃を構える。ぐっと刃を静雄の首に押し付けて、しかしそこで動きを止めた。
新羅は声を掛けなかった。ただ黙って成り行きを見守っていただけである。そんな新羅の視線の先で、臨也は静雄をしばらく睨みつけてから、大きなため息を吐いた。刃をしまう、カチッという音が、やけに大きく響く。
「やめるのかい?」
言外に、できないのか、という言葉を滲ませて聞く。臨也は苛立たしげに新羅を睨みつけてから、さっさと部屋を後にした。バン、と力任せにドアが閉められた。新羅は、やれやれと軽く頭を掻く。
「ちょっと嫌がらせが過ぎたかな」
臨也と静雄がもめ事を起こすのはいつものことだが、さすがにダンプカーはやりすぎだ。本当は、静雄を失うことが怖いくせに。それを自覚させて反省を促すつもりだったが、苛立ちを煽っただけだっただろうか。


だが意外にそうでもなかった、と知ったのは、翌日のことだ。


前日そんなことがあったから、静雄の機嫌はマントルにのめり込みそうなほどに低下しているだろう。今日はあまり近づかないようにしておこう。などと考えながら教室のドアを開けると、いつもは遅刻ぎりぎりにしか来ない静雄が珍しく席に着いていたもので、うっかり数秒前の決意を忘れて話しかけてしまった。
「どうしたの静雄、今日は早いね」
「そうか?」
首を傾げるしぐさも、普段はまったくない愛嬌を滲ませている。これは相当機嫌がよさそうだ。
「何かいいことでもあった?」
聞くと、静雄は珍しく楽しげに少し頬を弛めた。「昨日よお、プリン食ったんだ」
「………はあ?」
静雄の話をまとめると、要はこんなところだ。

新羅の家で静雄が目を覚ましたのは、臨也が去って少し時間が過ぎ、日がすっかり落ち切った頃だった。一応、新羅はダンプカーで跳ねられた彼の身体を慮ったが、事の次第を思い出した静雄は怒りでそれどころではない。手のひらを重ねて指をごきごきと鳴らすと、地を這うような声で「あの野郎…」と呟いて新羅の家を飛び出していった。新羅はそれを、今日が臨也の命日にならないといいなあ、などと軽く考えながら見送った。
どうやらその後、新羅の家の近くで、静雄は臨也を発見したらしい。「待ちやがれいぃぃざああぁやぁぁぁ!」という怒声を聞いた。ダンプに撥ねられはしたがやはり元気そうでよかったよかった、と結論付けて、新羅は目下片思い中の妖精に告げるべき口説き台詞を考える作業に入った。
その後も臨也と静雄はどうやら池袋中を追いかけっこで走り抜けたらしい。すっかり夜になるまで、必死に臨也を追った静雄は、ふと見知らぬ路地で我に返った。全力疾走で消耗した体に訴えかけてくる甘い匂いを嗅いだという。
「ノミ蟲は見失ったけどよお、すげーうまいケーキ屋見つけて」
前に一度、静雄の父が土産にケーキを買ってきてくれた店があったが、どうにも池袋の入り組んだところにあったらしく、場所を聞いても辿り着けなかった。その店のロゴからして、そのときの幻のケーキ屋であると思われた。
静雄はそこで財布にも優しくさらに大の好物であるプリンを買って帰ったが、やはりこれが大層うまかった、という話らしい。静雄は熱しやすいが、一方で怒りを忘れるのも早い。どうやらそのプリンが、静雄の怒りを鎮めてくれたようだ。プリンの美味しさと、探していた洋菓子店を見つけた喜びで今日は機嫌がよろしい、ということらしい。
単純な静雄らしいと苦笑する一方で、新羅はなんとなく、ことの真相を見つめていた。
昨日、新羅のもとを臨也が去って、静雄が目覚めるまでの時間は20分程度だっただろうか。臨也なら自身の身を隠すには十分な時間だったはずだ。それなのに、目覚めた静雄がすぐに見つけられる場所にわざわざいた。それに、静雄が入り組んだ土地にあるケーキ屋を探していたのは、本人が何かの拍子に話していたので、新羅も、そして臨也も知っていた。
自身のあとを追わせて、静雄をわざわざそこに連れて行ったのだろう。
「…素直に一言、謝れば済む話なのにね」
それができないからこその折原臨也ではあるが。
「あ?」
思わず零れた言葉に不思議そうな顔をする静雄に、苦笑して新羅は「なんでもない」と手を振った。

とにかく、きっかけはそんな出来事だったのだ。




望む場所に相手を連れて行きたいときに、例えば恋人同士なら手をつないで向かうこともできるし、友人同士でも家族でも、多くの場合は連れ添って歩くことができる。だが、臨也と静雄はそのどれにも該当しなかった。だからそういう形を取ることになったのだろう。
臨也は自身のあとを追わせることで、静雄の望む場所に連れて行き、また時には自身のお気に入りの場所に静雄を導き、自分が見せたいものを静雄に見せることもあったようだ。
これは臨也ではなく、静雄から聞いた話である。

修学旅行最終日の朝のことだ。臨也と静雄に新羅と門田を合わせた4人は同じグループで、同室に寝ていたが、まだ日も昇らない早朝に臨也と静雄の言い争う声で目を覚ました。あまりにいつものことなので新羅はそのまま再び眠りの世界にいざなわれたが、どうやら二人はそのまま追いかけっこを始めたらしい。起床時間には二人の寝床はもぬけのからで、戻ってきたのは朝食時間を過ぎてからだった。
相変わらず静雄はこめかみに血管を浮かせながら臨也のあとを追って帰ってきたが、成長期に朝食を食べ損なったわりにそこまで機嫌が最悪ではないことが、付き合いの長い新羅には分かった。
後日、その理由を静雄に尋ねた。すると、静雄はこう言った。ノミ蟲のせいで朝食を食べられなかったことは腹立たしいが、その代わりに。
「…海を見たんだよ」
修学旅行先は沖縄だった。使用した宿泊施設は、そこそこ海に近い。騒がしい思春期の高校生さえいなければ、常に潮騒が聞こえてくるような場所である。
朝方、散々静雄をからかって逃げ出した臨也は、一直線に海の方に向かったという。それを追って白い砂浜に向かうと、ちょうど暗い空を割って朝日が出始めたのだという。
遠浅の海は、時間帯を考えれば当然だが人影がなく、穏やかに凪いでいた。上り始めた太陽が、水平線の向こうから光の筋を投げかけて、それが澄んだ空と水面を透かす。そのさまは、
「悪くなかったな」
ということらしい。「ノミ蟲をその場でぶっ潰せなかったことは残念だけどよお」、というおまけがついてはいたが。
どうにも詳しく話を聞いていると、思わず足を止めてその光景に見入った静雄に、臨也はからかいの声をかけるでも、更に言えばこれ幸いにと逃げるでもなく、ぼんやりと海を見る静雄から数歩離れたところで、やはり同じようにしばらくの間黙って海を見ていた、という。

その話を聞いたとき、新羅はなんとなくため息を吐きたい気持ちになった。同居人にこの上なく夢中な自分も、冷静な第三者からはこんな風にむず痒くもいじましく、いっそ滑稽なほど必死に見えているのだろう。
恋をする、というのはかくも涙ぐましいものなのだ。


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(2011/05/30)





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