グローリア・グローリア2 | ナノ


肩の痛みに気を引かれて、持っていた赤ペンを置く。
今何時だろうと時計を見ると、間もなく21時になろうというような時間だった。いつの間にこんなに時間が経っていたんだ、と驚きながら、椅子から腰を上げる。長い間殆んど同じ姿勢を保っていたため、少し腰が痛んだ。

リビングに向かうと、そこではソファに座った同居人が、格別楽しくもなさそうにテレビを見ていた。その前のローテーブルには、ケーキの箱らしきものがいくつか散乱していた。
「採点は終わったんですカ?」
「いや。あと少し残ってる」
ギルバートの気配に気付いたらしき同居人が、ちらりとギルバートを見上げて聞いてくる。それに答えながら、ギルバートはテーブルに散らばった瀟洒な紙の箱を手早く拾う。
「今回の出来はいかがですカ〜?」
紅眼にからかいの色を滲ませながら、ブレイクは更に質問を続けた。
「…………今のところ平均は、45点、くらいだ……」
当然、100点満点での平均点だ。採点に着手していない残りわずかな生徒の答案がのきなみ高得点だったと虚しい仮定をしてみても、間違いなく良い出来だと言えるような平均点には達しないだろう。
答える声が消え入りそうなほど弱弱しいものとなったのを、ギルバートは自覚していた。
「それはそれは、ご立派な点数ですネェ」
「うるさいっ!!」
普段は滅多に見られないほどに生き生きとした表情でギルバートをからかうブレイクをきっと睨みつけるが、まったく効果はなかった。
人をおちょくるときだけ、とんでもなくきらきらと輝く宝石のごとき紅眼がギルバートを覗き込んでいる。ギルバートはそれを見て不意に、きれいだな、と思った。そして自分で自分の思考に、「何を考えているんだ」と呆れる。
「どうかしましたカ?」
「いや、なんでもない!」
一人で勝手に赤くなったギルバートに、ブレイクが不思議そうに問いかける。ギルバートは慌てて頭を振った。
二人が勤める学園はここ数日、テスト期間に入っていた。テスト期間前はギルバートはテストの問題作りに没頭していたし、テストが終われば終わったで、採点にいそしむことになった。
さすがに忙しくて、一緒に暮らしてはいても、ここ数日はきちんと顔を見合わせる機会がなかった。そのせいで、しばらくぶりにじっくり見るブレイクの姿に、目を奪われたりしたのだろう。
見とれていた、なんて悟られるのが嫌で、ギルバートは散らかったテーブルの片付けに戻る。ものの見事にケーキの空き箱しかない。その上今もブレイクは、新しい箱を開けてフォークを手に持っていた。
「まさかとは思うが、夕飯、それか?」
「ピンポーン」
軽快に答えられて、ギルバートは頭を抱える。忙しさにかまけて、ギルバート自身が食事を固形の栄養調整食品で済ませていたので、ブレイクへの食事の用意も怠っていた。ようやく菓子以外も口にするようになったというのに、ここ数日でブレイクの食生活はすっかり元に戻ってしまったらしい。
「出前を取るなり外食するなりして、きちんと食事らしい食事をしろと言っただろ」
それだってカロリー摂取量を考慮すると勧めたくないのだが、毎食とも主食にケーキ、主菜にクッキー、副菜にチョコレート、とかいう絶望的な糖分摂取量の食事よりははるかにマシだ(今日にいたっては主食も主菜も副菜もケーキで、絶望具合がさらに上がっている)。
こんな男が、この国の将来を担う若者が青春を過ごす学び舎で、『生活習慣病は君たちにも無縁ではない――野菜をたくさん摂り、糖分や脂質をおさえた食事を心がけよう』とか書かれたポスターやプリントを作ったりしているのかと思うと、ギルバートはこの世界の不条理さえ感じてしまう。
眉を吊り上げたギルバートに、しかしブレイクは悪びれた風も無い。
「う〜ん、君以外の人間が作った食事はどうもネェ…」
本当は菓子だって君が作ったほうが美味しいのに。とぶつぶつ言っている。正直、嬉しい言葉ではあるが、それにしても一体何日この男はまともな食事を摂っていないのだ、という不安の方が先立った。
早々に仕事を終わらせて、明日の朝からは絶対にバランスの取れた食事を用意しよう、と心に決める。卵はまだあったはずだし、鮮肉や鮮魚はないが日持ちのするベーコンなら残っている。ああでも、とにかくブレイクに何より摂取して欲しいビタミンを豊富に含む野菜があまりない、などとつらつらと考えていたところで、ようやくブレイクの顔が至近距離に寄っていることに気付いた。
「ギルバート君、はいあーん」
「は…?」
なんだ、と問いかけるより早く、反射のように少しだけ開けた口に、かちりと何かを入れられる。直後、甘い味が口内に広がった。フォークに刺さったケーキの欠片を一口分入れられたのだ、と気付くのにそう時間はかからなかった。チョコレートケーキだったらしく、苦味のある上品な甘さで、思わず咀嚼する。
「突然何するんだ、危ないだろ」
「疲れたときには甘いもの、鉄板ですヨ?」
「それはそうだが、…甘いものは苦手だ」
「だから食べさせてあげたんでショ」
ハイ、どうぞ。と今度は、ポットから紅茶を注いでよこした。その瞬間に、いくつか違和感を覚える。
今まで気付かなかったが、紅茶のポットは二つあった。もう一つはすでにブレイクの前にある。どうしてポットが二つ必要なんだ? さらに言えば、差し出されたカップはギルバート用のものだった。わざわざ用意してあった様に見える。
そしてさらに違和感。ポットから注がれた紅茶は、少し冷えているように思える。用意してから時間が経っていると分かる。そのうえにまた違和感。かすかに立ち上る香りが、いつもの紅茶のそれと違っている。
不思議に思いながらも、手渡された紅茶を苦手な甘味が残る口内に流しこむ。途端に、違和感の正体に気付いた。
覚えのある、少しだけぴりりと舌に残る刺激。生姜だ。
「…ジンジャーティー…?」
「生姜は血行を良くしますカラ」
淡々とブレイクは言う。それは食事に関しては主婦並みの知識を持つギルバートも知っている。生姜は血行を良くしたり疲れをとったりする、非常に体に良い食品である。
問題は、それを何故この男が淹れたのかということだ。野菜も辛いものも苦手とするこの男が。ジンジャークッキーを食べられないこの男が。
自分で飲むためとは思えない。それなら、考えられることなんておのずと限られてくる。
つまり、これは彼が、試験問題の作成と採点に追われっぱなしで疲労が溜まっているギルバートのために淹れたものである、と。
「……普通に部屋に持ってきてくれればいいだろ…」
そうは言っても、わざわざギルバートの仕事部屋にそれを持ってこなかった理由は分かっている。
紅茶が少し冷めていたのは、ギルバートのために淹れたはいいものの、そんな優しさを示すのが気恥ずかしく、ギルバートのもとにもって行くのを躊躇っていたのだろう。
「なんのことですカ」
相変わらず、ブレイクは飄々としている。そのポーカーフェイスを崩すのは難しいが、ブレイクが天邪鬼なのはとうに知っているのでまあ別にいいか、とギルバートは思う。手のひらのカップから漂う、ブレイクが大嫌いなジンジャーの香り。さっそく効能があらわれたのか、あたたかな気分になった。

しっかりとジンジャーティーを堪能してから、さて早く採点を終わらせてしまおう、と意気込んで立ち上がり、ギルバートはブレイクに声を掛けた。
「ブレイク、ケーキと紅茶、あとでもっとよこせ」
「いいですヨ、口移しなら」
にやり、といつもの邪な笑顔を向けられる。普段なら真っ赤になって拒絶する言葉と、そのからかうような笑顔が、今は不思議とまったく不快にならない。
「…ああ。採点が終わったら、たっぷりな」
普段は絶対に見せない、誘うような笑顔で言い返してやる。
すると、何個目か検討もつかないケーキを食べていたブレイクが、一瞬ぽかんとした顔をして、フォークを取り落とした。それが愉快で、いい気味だと笑って、ギルバートはリビングを後にした。


(グローリア・グローリア 2)
(2010/06/16)




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