悪魔とワルツを。 | ナノ


※ブレギルで、普通の貴族(?)パラレルです。パンドラとかアヴィスとかない普通の中世っぽい世界で、ブレイクは神父、ギルバートは貴族の養子という設定です。しっかりした時代考証はまったく行っておりません。


迷える子羊なら、それなりの頻度でやってくるが、その男は子羊と評するには体が大きく、その上あまりに全身黒かった。その黒さときたら、ブレイクは即座に鴉を連想したくらいだ。
小さな教会の裏に倒れ伏したその黒い塊を見て、死んでるのかと思い箒の柄で黒いコートをつつくと、どうやら生きていたらしいそれは、小さな呻り声を上げた。いつからそうしているのか分からないが、全身しっとり濡れているところを見ると、朝露が降りる前にはいたのだろう。
「もしもーし、生きてるならそこどいてくだサイ。掃除できないんですヨ」
一応声を掛けてみるが、漆黒の髪の男は薄っすらと瞼を開けただけだった。それが見事な金の瞳で、思わず見とれた。色々な人間を見てきたが、ここまで見事な金の瞳というのも珍しい。
などと悠長に考えてはいたが、男が起き上がる気配のないことにブレイクは溜め息を吐く。
面倒ごとはごめん被りたいが、さすがにこのまま見捨てるのも、かりそめにも聖職者という肩書きを持つブレイクには気が進まない。それに――どうにも、倒れているその男からは血の匂いがした。このまま放置しておいたら、教会の裏から死体が発見される、というような事態にもなりかねない。それは多少なりとも避けたい。

という経緯で、教会に迎え入れたその、迷える子羊ならぬ迷える鴉は、どういうわけか怪我が治っても、時折ブレイクのいるその教会を訪れるようになった。
名前はギルバート。どうやら、四大公爵家であるナイトレイ家の養子という身分らしい。らしい、というのは、ギルバート自身が自分の身分を明かしたわけではないからだ。たまたま、この教会を出るギルバートと入り口ですれ違った貴族の夫人が、「今の方はギルバート様じゃなくて?」と興奮気味にまくし立てたことによる。
うわさ好きのそのマダムによれば、ギルバートというのはもともとベザリウス公爵家の使用人であったが、ナイトレイ家の養子として迎え入れられたのだそうだ。
ほんの1年ほど前にこの地にやって来たブレイクは知らなかったのだが、ベザリウス家とナイトレイ家はかねてから折り合いが悪く、まだ幼かったギルバートがどうしてナイトレイ家の養子になれたのか、当時から今に至るまで様々な憶測が貴族の間で飛び交っているらしい。ありがちなところでは、ギルバート公爵の落とし種であるとか。それ以上に下世話なところでは、ナイトレイ家の公爵夫人に好まれたのだとか、いや好んだのはナイトレイ公爵本人なのだとか。そういう下世話な話題が出ても不思議ではないくらいに、彼は陰のある整った容姿をしていた。
だがおそらく、背景にある話はそれほど単純なものではないだろう。初めにブレイクが教会の裏で彼を見つけたとき、彼が負っていた怪我は、おそらく誰かに鋭利な刃物で切りかかられたものだった。ブレイクは神父になる前は、名のある剣士だった。見間違えるはずもない。
貴族の養子として生活しているのなら、あんな傷は負わないだろう。それに、それ以外にも彼のその白い胸には、おそらく相当以前に付けられたであろう大きな傷が走っていた。
何か曰く付きなのだろうということは分かるが、ギルバートはどうして怪我を負ってあんなところに倒れていたのかについては何も語らなかった。本人が語りたがっていないことを悟ってブレイクも尋ねなかったし、正直なところ、彼の手当てをしたそのときは、彼は二度とこの教会を訪ねることはないだろうとブレイクは思っていた。だから名前を名乗る以外に彼が殆んど言葉を口にせずとも、特に問題はなかったのだが。


予想に反して、ギルバートはその後もその教会を訪れた。
ブレイクのいる教会は、街から外れた丘の上にある小さいものだ。司祭もブレイクしかいない。街の中央部にはもっと大きく立派な教会もあるし、公爵家なら邸宅にチャペルくらい有しているかもしれない。それにも関わらず、ギルバートはわざわざこんな場所まで、ふらりと足を運ぶのだ。

その日もギルバートは、暗い面持ちで教会の椅子に座っていた。ブレイクが近づいても、ただ思いつめたような瞳で、掲げられた十字架を見ていた。
「赦しを得たいことがあるのなら、告解室へどうぞ? 私は神父ですカラ、告解はいつでも受け付けていますヨ」
「…おまえに告解するくらいなら、街を駆け回って遊んでる子供にでも聞いてもらったほうがよっぽど救われる気がするな」
声を掛けてみるが、澱みなく拒絶されてブレイクは苦笑する。
「そりゃまた酷い言われようですネェ。これでも貴族のマダムたちには大人気なのに」
むしろマダムたちにしか人気がないと言ってもいいのだが。紳士たちに言わせれば、ブレイクなど「胡散臭いことこの上ない」そうだ。冷静な正しい評価だと受け止めている。
「そのマダムたちがここに通う目的は、告解や礼拝だけじゃないんだろ」
それも正しい。どこかしら呆れを込めた眼差しをギルバートに向けられて、ブレイクは薄く笑った。
信仰心の薄れたマダム方が、熱心にこんな街外れの教会に通ってくる理由は、十字架に祈りを捧げることでもブレイクに罪を告白することでもない。その目的は単純に、この教会の唯一の神父であるブレイクなのだから、むしろ、更に罪を重ねることだとさえ言える。
もっとも、不貞は神の教えに反します、と窘めるほどに、ブレイク自身が信仰心を持つわけではないし、まったく楽しんでいないわけではなかったので、所詮同罪だ。聖職者という肩書きを持っている分だけ、ブレイクの方が罪が重いのかもしれないが。
「おまえみたいな男が神父だなんて、世も末だな」
「妬いてるんですカ? 心配しなくても、最近はマダムたちとの秘密の告解も控えていますヨ」
「誰が妬くか! しかもなんだその秘密なんとかいうセンスのない言い回しは!」
ブレイクと他の人間との情事でも思い浮かべたのだか、怒鳴るギルバートの顔が、見事に真っ赤でブレイクは笑った。もうそれなりの年齢だし、恋愛ごとに長けていてもおかしくない顔立ちをしているのに、妙に純情な部分のあるギルバートが可愛らしい。
じとりと睨まれても、一向に笑い止む気配のないブレイクに焦れたのか、ギルバートは椅子に掛けられていた黒いコートをばさりと着込んだ。
「どこに行くんですカ?」
「帰るんだ」
「おやおや…それはつれないネェ」
くるりと背を向けたその漆黒の後姿を追いかけて、その腰に腕を回す。そのまま耳もとで彼の名前を呼ぶと、ふるりと背筋を震わせた気配が伝わってきた。どうも彼は感度がいい。
「離せ!」
「ダメですヨ。私に会いに来たんでショ?」
「…ッ、誰がおまえなんかに!」
そうは言いつつも、彼の顔は更に赤くなっている。どうにも、厄介な背景を背負っていそうなわりに、分かりやすい性格だ。
実際に彼がここに来る目的は、この静謐な場所が気に入っているためもあるだろうし、それにあわせて、ブレイクに会いたいがためもあるのだろう。ブレイクは妙に、何かしら心に深い欲求がある人間を引き寄せてしまう。ブレイクならばその昏い欲望を叶えてくれるとでも思うのだろうか。
しかしギルバートは、引き付けられるようにブレイクの前に現れるが、それでも頑なにブレイクに自身の願いを託そうとはしない。そこでブレイクは、そそのかす。
「昏い願いも、心中の想いも、打ち明けて楽になってしまいなサイ。私が、神に代わって君の罪を赦しますよ?」
彼を後ろから抱き寄せて、甘い声で囁く。ギルバートは体をこわばらせてから、ふるりと顔を横に振った。
「駄目だ、ブレイク。オレは楽になることなんて望まない」
ギルバートは緩いブレイクの拘束から逃れて、一度だけ伏目がちな視線をブレイクに向けた後、静かに古い教会を後にした。残されたブレイクは溜め息を吐く。
相変わらず頑なな態度だ。いつもどうしようもなく思いつめた瞳をしているのに。
体内に狂気にさえ似た願望を飼いながら、それでもブレイクの誘惑に堕ちないギルバートは、たまらなくブレイクを惹きつけた。


仄暗い、しかし強い願いを持つ人間は、なぜかブレイクに縋ろうとする。ブレイクは、その多くを嘲笑して、縋りつく手を跳ね除けてきた。しかしギルバートについては、ブレイクから積極的にその手を取ろうとしている。
おかしなものだ、とブレイクは思う。この自分が誰かに執着することがあるなんて、ブレイク自身が知らなかった。
きっかけは一瞬だった。彼が祈っている姿を見た瞬間に、彼に魅入られたのだ。
その日、ブレイクは所用で街に出ていた。帰ってくると、教会に人の気配があった。
常日頃から教会の門に鍵はかかっていないが、ブレイクが不在のときに来客があることは珍しい。気配を殺して近づくと、聖壇の前に膝をついて祈りを捧げる人影があった。それは、ブレイクが教会の裏で拾って以来、時折訪れていたギルバートだった。ギルバートは手を祈りの形に組み合わせ、瞼を伏せて俯いていた。
夕日が教会の古いステンドグラスを透かし、彼の白い顔を慰撫するように、やわらかな影を落とす。それは、神を信ぜずに神の傍に仕えるブレイクから見ても、あまりに神聖な光景だった。
一心に祈りを捧げる人間の姿が、あそこまで美しいことをブレイクは知らなかった。

その姿を見て以来、ブレイクはことあるごとにギルバートに甘い言葉を囁いてきた。それはけしてからかっているのではない。ブレイクの本心からの言葉だった。
婦人方との逢引きをやめたというのも事実だ。それまで、それなりに楽しんできた、貴族の婦人との甘言の取引も、なんだか急速に色あせてしまったのだ。



夜半に雨が降り出した。
その雨の音に紛れ込むように、古びた教会に人の気配がするりと入ってくる。それに気付き、居住している教壇裏に設けられた小部屋から聖堂に入ると、聖壇の前にギルバートの姿があった。
「おや。こんな時間にいらっしゃるなんて、さては夜這いデスカ」
「……馬鹿か」
いつもなら顔を真っ赤にして言い返すであろう冗談を言っても、やけに反応が乏しい。
近づくと、彼が全身濡れていることに気付いた。その上、どうも血の匂いがする。見たところ彼に怪我はなさそうなので、返り血でも浴びたのか。
その濡れて冷えた腕を掴み、有無を言わせずに、裏部屋に付けられたシャワーブースに押し込む。彼は抵抗せずに湯を浴びているようだった。
シャワーブースから出てきたギルバートは、いつもの黒い上着をはおってはいなかった。だいぶ濡れてしまっていたので仕方ない。湯上りでいつもより少し幼く見えるギルバートを手招きすると、彼は怪訝そうな顔をしながら素直に従った。こんなところも可愛らしい、と思いながら、その濡れた癖のある黒髪を清潔な布で拭う。ギルバートはくすぐったげな顔をしたが、すぐに影のある表情になって問いかけてきた。
「おまえはどうしてオレを甘やかすんだ?」
「そんなの、君を手に入れたいからに決まっているデショ」
「おかしな奴だな」
「…君は、どうして私のところに来るのですか?」
「…分からない。ただ、どうしようもなくおまえに会いたくなる…」
後半は消え入りそうな声だった。しかしいつになく素直な言葉だ。
ギルバートは、ブレイクの甘言に縋ってしまいたいのに、何かを、誰かを、強く想う感情がそれを押し留めている。ブレイクは苦く笑う。

ギルバートは、常ならブレイクが眠る簡易なベッド脇に取り付けられた狭い窓から、雨の降る夜の闇を見ていた。その視線の先には、今は闇に閉ざされた街がある。彼はそれを力なく睨みつけているようにも、それに絶望し呆然と見ているようにも見えた。
この丘の下に広がる、闇に閉ざされた街に、彼は縛られているのだろう。
「君がこの街を厭うなら、誰も君を知らない遠い場所まで私が連れ出してあげますよ。そんなに悲しい顔をせずに生きていられるよう、私が何でもしてあげます」
ひどく憔悴した様子のギルバートを、柔らかく抱き寄せて、また甘く囁く。ギルバートは力なく微笑んでから、ふるりと首を横に振った。
「…おまえの言葉は、まるで悪魔の誘惑だな」
「エバに善悪の知識の木の実を与える蛇のようですカ? それは罪深い」
「ブレイク。…でもオレは、その誘惑には乗らない。やることがあるんだ」
それは知ってはいる。罪を背負って、体に傷をつけてまでも、成し遂げたいことが彼にはあるのだろう。
だが残念ながら諦めることはできない。ブレイクは口角を上げて笑う。何度でも、甘い誘惑を続けるだろう。ギルバートがこの腕に縋るまで。

愛とは見返りを求めず与えるものだと聖典は告げる。それを否定する気はない。しかしブレイクは、こうも考える。愛とは、惜しみなく奪うものだ。


(Waltz with the Fiend)
(2009/09/17)




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