「隠す理由がもうないのなら」 黒髪の青年が言った。聞きなれた声だ。 出会ったときはもっと高い、成長途中の少年の声だった。いつの間にか背も伸び、視線の鋭さが増して、彼は端正な外観の青年になった。 「一度だけでもいい。…全部脱いでくれ」 ブレイクだけを映す金の瞳はかなしく翳っていた。それがどれだけ魅惑的か、彼自身は知らないのだろうが。 迷いがないわけではなかったが、ブレイクはその願いを聞き届けた。 重い上着を脱ぎ捨て、シャツに手を掛けるブレイクの仕草を、ギルバートは目を逸らさず見ていた。 やがて上半身を晒したブレイクのもとに、ふらりとギルバートが寄ってくる。 醜くぶれた刻印に、彼がその白い手を伸ばした。その箇所は久しく人肌から遠のいていたため、指の感触が酷く懐かしいもののように思われた。 「醜いでショウ?」 「そうだな、無様だ」 真摯な瞳で随分と悪辣な口をきく。その指先が、刻印の痕を辿った。 ギルバートが敬愛するオズの胸元にあるものと似て非なる、より醜悪な刻印だ。 彼が何を考えながらその刻印に触れるのか、ブレイクには分からなかった。10年という長い年月、そう浅くもない関係を続けてきたというのに、今日のギルバートの行動はブレイクにはまったく読めない。 無様だと辛辣に評した割りに、ギルバートは、繊細な細工にでも触れるかのように酷く優しく触れてくる。 「オズの胸にある刻印は、見ているのが辛かった。でもお前のは違うな」 「私の刻印なら構わないと? さすがにそれは寂しいですネェ」 この10年というもの、たくさん虐めてはきたが、それでもそれなりに愛着を持って過ごしてきた。それはあるいは、愛情であり憐れみであり、恋情ですらあった。彼も同様の感情をブレイクに抱いていたはずだ。 だから、けしてブレイクを軽んじての発言ではないということは理解してはいたが。 「そういう意味じゃない。そうじゃなくて…」 案の定彼は、真面目に否定の言葉を口にした。 金の瞳を彷徨わせて、言葉を探している。 「おまえが何十年も、必死に生きることに縋ってきた証拠だろ」 「まあ、そう言えなくもないですケド」 「だから、どんなに無様でも、俺には…」 その先の言葉をギルバートは紡がなかった。気恥ずかしいのだろう。黒髪から覗く耳が赤く染まっている。 言葉を紡がずに彼は、ブレイクの胸の刻印にそっと唇を寄せてきた。 触れるか触れないかというような僅かな感触が伝わる。 刻印をなぞった指先も、微かに触れた拙い唇も、優しいものだ。ブレイクには過ぎるほどに。 ほんの微かな体温をブレイクに残して離れたギルバートは、滅多にしない自身からの接触に、顔全体を真っ赤にしている。 それがおかしくて、愛しくて、ブレイクはその顔を己の手のひらで包み、額にそっと口付けを落とした。そのまま抱きしめようとすると、びくりとその体が震えた。その上あろうことか、逃げるように一歩引き下がる。心外だ。 「…なんですか」 「いや、おまえの体温がこんなに近くにあることってなかったから、落ち着かないんだ…」 確かに、今まで体を重ねてさえ着衣のままだった。ギルバートがブレイクの素肌に違和感を感じたとしても不思議ではない。 これまで、なぜ脱がないのかと問われたこともあったし、おまえも脱げと請われたこともあった。それでも刻印を隠すために、素肌を晒すことはしなかった。 そのせいで、ギルバートが傷つくことがあったことも知っている。 「ヨイショ、っと」 「うわっ! っおい、ブレイク!?」 有無を言わせず、自身より若干大きくなった体を床に引き倒す。 ブレイクの突然の行動と、冷たい床の感覚に、ギルバートが抗議の声を上げる。それに構わず押さえ込み、服を剥いだ。 現れた肌に、自身の裸の胸をぴたりと合わせる。初めての接触に、ギルバートが息を飲んだのが伝わってきた。 「この肌は、冷たいですか?」 「…いや、予想していたより温かいな。でもやっぱり、少し冷たい」 くすぐったげにギルバートが身を捩る。 その耳朶に、直接彼の名前を囁くと、触れ合った肌が速い鼓動を伝えてきた。 そのまま首筋を舐め上げる。ふるりと背筋を震わせたギルバートを許さず、追い詰めるように胸元に舌を這わせた。 少し困惑したようにブレイクの名を呼んだギルバートの唇に、触れるだけのキスを送る。 「君が、温めてくれるんでしょう?」 低く囁くと、欲情を灯し始めた金の瞳が、驚いたように見開かれる。 少しの間をおいて、ギルバートは口元を緩め、淡く笑んだ。 「…ああ、そうだったな…」 腕が背に回される。 甘く強い抱擁に応えて、その胸に身を、沈めた。 限界を訴え始めている体は、そう長くは持たないだろう。摂理を曲げて、何十年も長らえてきた命だとしても、終末は必ず訪れるのだ。 その何十年のうちで、ギルバートと過ごしたのは10年ほどだ。気が遠くなるほど長いようにも、瞬きの間ほどに短いようにも思える。 あとどのくらい、彼の傍にいられるかは分からないが、この10年に比すれば相当に短い間だろう。 愛情も恋情も、言葉にしてはこなかった。ブレイクも、ギルバートも。 このまま終焉を迎えるまで、互いに言葉にはしないだろう。彼が必死に言葉を隠すなら、無言のままで終わるのもいい。 終幕を迎えたそのときに。ほんの軽くこの胸の刻印に触れた彼の唇の感触を思い出すことができたなら、それでいい。 (フィナーレに花束を) (2009/08/19) |