※オズギルで、パラレルです。学園もので、オズは中学生、ギルバートは国語教諭という設定です。 蝉の声が鳴り止まない。 緑の深い一角に佇む学校なので、それも当然だが、蝉の声以外何も聞こえないというのも妙に静かに感じる。 「…平和だなあ」 「どこがだ。お前、自分の立場を分かっているのか?」 しみじみ呟いたオズに、即座に言葉を返したのはギルバートだった。二人しかいない教室で、二人の会話はよく響く。 「分かってるよ。ギルと楽しく逢引中」 「違う! 補講中だ! しっかり問題を解け!」 「…は〜い」 仕方なくプリントに目を落とすオズを確認して、ギルバートは深い溜め息を吐いた。 「大体、他の科目では優等生なのになんで国語だけ赤点なんだ。追試もことごとく落ちやがって…」 「そんなの、少しでも長くギルと一緒にいたいからに決まってるじゃない」 あっけらかんと答えるが、国語の担当教師は、深々と溜め息をついた。 「からかうのも大概にしろ」 「からかってないってば。ねえギル」 「先生を付けろ」 「ええ? いいじゃない、ふたりっきりなんだからさあ」 自分の顔が一番魅力的に見えると自負する、とびっきりの笑顔を向ける。ギルバートは、言葉を詰まらせて視線をオズから離した。顔を逸らしたまま、少し頬を赤く染めて、「駄目だ」と答える。分かりやすくうろたえている。 この教師は、オズの顔に弱い。自分が作り出した事態なのに、複雑な気分になる。 ギルバートは春先に、この私学に赴任してきて、オズのクラスの国語を受け持った。 オズがギルバートを初めて見たのも、この教室だった。教室でオズを見た新任教師は、その瞬間に凍ったように体を硬直させ、すぐに泣きそうに表情を崩して、「ジャック」と消え入りそうな声で呟いたのだ。 それは酷い狼狽振りだった。不審に思った他の生徒たちが何度も呼びかけても気付かない様子で、珍しい金の瞳にオズを映していた。縋るような目線だった。オズは動けずに、黒髪の青年の金目を見返していた。 その後、すぐにギルバートは正気を取り戻した。学生に謝罪を述べて授業を開始した。しかし教壇に立っている間、何度教室内の学生に視線を投げかけても、彼はオズを見ることだけはしなかった。 ギルバートは、整った外見のわりにどこか抜けていて、そのギャップゆえか赴任してすぐに男女問わず人気が出た。 特に女学生からの支持は熱烈だったが、黄色い声を浴びてもギルバートは頬にかすかに朱を上らせてぶっきらぼうに応じるだけだ。その純朴な感じがまたたまらないのだと、本人は絶対に理解していないのだろう。 オズも例外ではなくギルバートに好感を覚えたが、それ以上に、縋るように向けられたあの金の瞳が忘れられなかった。 あれ以降、ギルバートはオズに対して特別な言動を取ることはなかったが、それでもオズに対してはどこかよそよそしく接しいるのがオズには分かっている。 不審に思ったオズは、この中等部の教頭であり、かつオズの叔父であるオスカーにそれとなく聞いてみたこともあった。ギルバートと、“ジャック”のことを。 「あいつ、やっぱりお前見て驚いてたか?」 オスカーはオズの疑問を察しているようだった。オズは頷く。 「ジャック、って呼んだ」 それは知っている名前だった。幼い頃から何度となく聞いてきた名前だ。 ただし、オズの知っているそのジャックという人間は、すでに故人だ。10年前、オズが物心つく前に、不慮の事故で亡くなっている。 オズにとっては遠縁にあたる人間だが、数親等はなれた血族とは思えないほどに顔が酷似していると、よく言われている。 「…そうか。ギルには事前に、お前のことを話しておいたんだがな。それでもやっぱりショックを受けたか」 「ギルバート先生って、ジャックと知り合いだったの?」 「……ああ」 ギルバートは孤児で、幼い頃に縁があってジャックのもとに引き取られたのだとオスカーは語った。ジャックが亡くなるまで5年間ほど、ギルバートが14歳になるまで一緒に暮らしていたのだという。 「ギルバートはジャックを本当の家族のように敬愛していたからな。そっくりなお前をみてついつい気が緩んだんだろ。そのうち慣れるさ」 「……うん」 (でも叔父さん、ギルバートは、今にも泣きそうな顔をして、切なげにジャックの名を呼んだんだ。縋るような目でこの顔を見ていたんだ) オズはそのことをオスカーに告げることはしなかった。 そして、それ以来ギルバートのことを思い出すたびに生じる疼くような胸の痛みも。 オズ、と焦れたような声に呼ばれて顔を上げる。出会ってからずっと、オズの心を捉えて離さない金の瞳が、心配げにオズを見ている。 「そんなにボケっとして、具合でも悪いのか?」 「心配してくれたの?」 「…そりゃ、生徒だからな」 その返答は気に入らないが、本当に心配そうにオズを見つめる顔に気をよくする。 夏季休暇中にも関わらずオズの補講のために借り出されているというのに、それでもギルバートはオズにどこまでも優しい。 オズは基本的に成績がいいが、夏休み前に行われた定期テストで見事に国語だけ赤点を取った。ほぼ白紙で提出したのだ。 当然、問題が出来なかったのではない。追試や補講の機会を得て、もっとギルバートと話がしたかったのだ。追試も見事に落ち、思惑通りこうしてオズは、広々と感じる教室でギルバートと向き合っている。 ギルバートの顔を嬉しげに見上げるオズに、ギルバートは溜め息を吐いて、机上のプリントをこつりとペンで示す。早く進めろ、と言いたいらしい。 仕方なくプリントに目を落とす。「ラ行変格活用」についてギルバート自身が考案したらしき問題が刷られている。骨身を惜しまず作りこまれた力作だ。 「ギルはさあ」 「ん?」 「なんでこの学校に来たの?」 この学園はかなりの名門校で、広大な敷地を緑深い山中に持つ。学問に励むのに適した環境ではあるが、それは都心から離れていて通学に不便だということだ。 ギルバートなら、この学園の他にも選択肢はあっただろうと、前々から不思議に思っていた。 「ここは、……のいた学校だから」 「え?」 返答の声は小さく、よく聞き取れなかった。思わず聞き返す。 「子供の頃、この学校に来ていたんだ。親代わりの人間が、ここに勤めていたからな。その人が、家でひとりで待っているのは寂しいだろうからと言って、よく連れてきてくれた」 「へえ。ここの先生だったの?」 「…まあ、そんなところだ。それからずっと、この学校が好きなんだ」 ギルバートがいうその親代わりの人間が、ジャックであることはすぐに察しがついた。 ジャックはこの学園で管理職に就いていたという。子供を連れてくるというような自由が許されたのも、ここが一族経営の学校だからだろう。 少し考えれば、ギルバートがジャックの過ごしたこの学園を選ぶことなど分かりそうなものだ。オズは理由を尋ねたことを、少しだけ後悔した。 「…ギルは、その人のことが……」 好きだったんだね。と言おうとしたが、ずきりと胸が痛んで言葉を切ってしまった。不思議そうにオズを見るギルバートに、なんでもない、と告げるが、胸中は苦しかった。 今でも、オズを視界に入れると、どこか痛みを抑えているような顔をするギルバート。ジャックとのことを、見たことのない穏やかな、それでいて影のある表情で語ったギルバート。 その人のことが、今でも好きなんだね。盛夏の蝉時雨の聞こえる教室で感じた事実は、澄み渡った空に反して、酷く苦いものだった。 「ねえギル」 「何だ」 「好きだよ」 「……からかうな」 対応はいつまで経っても変わらない。本当なんだけどなあ、と呟くが、その言葉がギルバートに届きそうな気配はなかった。 (夏の果実) (2009/08/25) |