ゆっくりとボタンを外すギルバートの手は震えていた。 常なら色白の頬が紅く染まっている。その顔で睨まれても、欲を煽られるだけだ。 ボタンが外れて、ギルバートの白い肌が隙間から見える。 「…ッ」 外気の冷たさに、ギルバートが肩を震わせた。 構わずに、オズはギルバートに近づいて、タイを取り払ってシャツを開く。胸に斜めに走った傷がすべて見えた。 その傷に、オズは少しだけ指先を躊躇わせた後で、触れた。 他の箇所よりも明らかに皮膚の薄い無残な傷。遠くから見てもはっきりと分かるであろう大きな傷は、間違いなく生涯、彼の身に残り続けるだろう。 改めてその傷を見て、思わず眉をひそめてしまったオズに、ギルバートは笑って見せた。 「そんな顔しなくても大丈夫だ」 「でも、」 「お前は気にしなくていい」 「でもさ、」 「もう、痛くない」 金の瞳を優しく細めて、ギルバートはオズの髪を撫でた。それは年上が子供をなだめるときの仕草だ。 あまりに優しくて、切ない接触。 その傷にまた触れる。ギルバートはやんわりとオズの手を外そうとするが、オズはその手をゆっくりとわき腹に移動させた。そこにも、親指の先くらいの傷跡があった。 「これは?」 「…ん? ああ、確か、何年か前に、チェインと戦ってるときに、飛び具で刺された」 なんでもないことのように彼は言う。実際、もう痛みもないのだろう。だが刺されたときには相当の血が出たはずだし、もう少し刺されたのが上だったなら、急所を抉ったかもしれない。 彼の上半身には、そういう傷がいくつもある。 オズがアヴィスに堕ちてからこの世界では10年が過ぎているとは言っても、この傷跡の多さは尋常ではない。オズが隣りにいなかった長い間、オズの知らない年月を、戦いに身をおいてきた者の体だった。 「……悔しい」 「はあ?」 「なんか悔しいなー」 「何を言ってるんだ」 心底呆れたようにギルは応じる。自分がつけた傷以外にも、生涯残ってしまいそうな傷が彼の体にあることが許せないのだと告げれば、彼はもっと呆れるだろうか。 鎖骨から肩口へのラインに触れて、肩に掛かっていたシャツを落とす。 「オズ、もう…っ」 これ以上はいいだろう、と訴えるギルバートだが、オズは許さなかった。 「駄目だよ、全部見せて」 薄く綺麗に筋のはった腕を、未だ幼い自分の指先で辿る。その感触に、ギルバートが息をのむ気配がした。 困惑の気配が伝わってくるが、構わない。 彼の体に残る、オズの知らないすべての傷を、知りたかった。 (愛 も 毒 も *) 主人が裸の胸元に触れてくる。そこには、消えない傷跡がある。 男なのだし、傷跡など気にならないと言っても、もう痛まないのだとなだめても、その傷に触れるときオズは、自分の方が痛そうな顔をする。 ギルバートにしてみれば、オズの左胸の刻印の方がよほど痛々しいのだが。 それは、ギルバートが世界の誰よりも慈しむ主の命を確実に蝕むものだ。見るたびに、きり、と自分の心臓が痛む。 白い手袋を外した右手で、その主の左胸に触れる。 ギルバートからの接触に驚いたオズは、一瞬眼を見開いたが、すぐに嬉しそうな顔をした。そして、オズに触れた右手を自分の手でさらい、その手の甲に口付ける。 年齢の割りにませた行為だ。もう肌も合わせているのに、今更な話だが。 「なあに、ギルってば誘ってるの?」 「…バ…ッ、そんなわけあるか!」 「えー、だってー」 オズは楽しげに、ギルバートの指に舌を這わせる。ギルバートは赤面して、思い切りオズに掴まれた腕を引いた。 「まったく、お前は…」 からかわれているのだとわかってはいても、やはりオズに自分の体に触れられることは羞恥を伴う。 これ以上は付き合いきれないとベッドの下に散乱した服を着込もうとすると、不意にオズが真顔になって、またギルバートの胸の傷に触れてきた。 微かな感触だが、びくりと体が反応する。もう痛みはないが、皮膚が薄いそこは感覚が鋭敏だ。触れるのがオズならなおのこと。 オズのまだ幼い指先が、傷跡を辿る。反射的に息を飲んで身構えたギルバートに、オズはやはり眉根を寄せた。 また、そんな痛そうな顔をする。ギルバートは苦笑して、オズの頭を撫でる。だがオズは顔をしかめたままだった。 仕方ないので、ギルバートはオズの腕を掴んで、自分の方に引き寄せる。 「うわっ」 ギルバートよりもよほど小さいオズの体は、抵抗すら出来ずにギルバートの胸に倒れこむ。 「ちょ、っと、ギル!?」 驚いたオズが抗議の声を上げるが、ギルバートが気にせずにその未だ薄い肩を撫でる。少ししてようやくオズは、力を抜いてギルバートの肩に顔を埋めた。 「なんか子供扱いされてるみたいで複雑だなあ」 オズはぶつぶつと呟くが、離れるつもりはないらしい。 まだ裸同士の胸が触れ合って、少しこそばゆい。だが、それ以上にそのぬくもりに安心した。 ギルバートの傷跡と、オズの刻印が触れ合っている。 互いの体に刻まれた負の部分が重なって悦ぶなんて、おかしいだろうか。それでも二つが重なって、安堵する。ぴたりと触れ合う胸は、互いの体の傷と刻印を塞いでいるようにも思える。まるでもとから一つのものであったように。 惹かれて慈しみあうのが運命であるかのように。 (D U L C E M E N T E *) (甘い毒) (2009/08/11) |