庭火の花 | ナノ


※ 吉原遊郭っぽいパロですが、女体化ではないです。が、静雄がナチュラルに女装してます。
※ 遊郭の専門的な知識とか歴史的な知識とかはないのでかなり適当です。心の目で行間を読み、「吉原なんだな」と納得してやってください。
※ 最初、ほんの匂わす程度に臨也×女性の描写があります。
※四木さんの臨也に対する態度や口調が分からなかったので、その辺り超適当です。ご了承ください。


体にぷんとまとわりつく香の匂いは、けして嫌いではない。だが今夜は、しき降る雨の匂いと相俟って、どうも鼻につく。しばらく障子戸に背を預けていたが、気が落ち着かなかった。
敵娼はすでに蒲団に沈んでいて、身動きもしなかった。寝てはいないのだろうが、臨也の相手をする気もないらしい。一度肌を重ねてしまえばそれ以上に何かを要求することもしないし、反対に何かを要求されることも嫌う臨也の性質を知っているため、臨也が起きていても特にかかわる気はなさそうだ。賢い娼妓なのだろう。そこが気に入って、通っているわけだが。
雨と混じった香の匂いとどうにも鎮まらない感情に辟易して部屋を出る。さすがに間もなく中引けにもなろうかという時間なので、廊下も静まり返っていた。

吉原遊郭でもこの妓楼はかなり高級な部類に入る。楼の造りも手が込んでいて、内装も贅を凝らしてある。
臨也はひっそりと静まり返った一階に下りて、中庭に面した濡れ縁に出る。庭のそこかしこに置かれた行灯が、降り止まない雨に濡れた庭を照らしていた。少しここで休むか、と思ったときに、場違いに華やいだ笑い声が聞こえた。高い声。まだ子供の声だ。見ると、濡れ縁の先にふたつの人影がある。一つは、笑い声の主と思しきまだ幼い女児の影で、これはこの妓楼の禿だろう。もう一つの影は、それよりもはるかに大きい。背の高さからいって、男であろうと思われた。
最初臨也は、それはこの妓楼の若い衆かと思った。妓楼には、見世番もいれば幇間もいる。男の働き手などいくらでもいるのだ。そのうちの一人だろうと思ったのだが、ふと見たその姿に、自分の考えが間違っていたことを悟る。
女物のような着物を着て、帯は前に締めて長く垂らしている。その帯の締め方は、遊郭の娼妓特有のものだった。陰間だ、と臨也は結論付けた。
吉原には普通、陰間はいない。あくまで吉原の主役は花魁であり、陰間は陰間茶屋で、湯島などの界隈で栄えている。だがこの妓楼は、あまり知られてはいないが、花魁と同じ扱いで男娼を数人置いている。
表立って見世には出ないが、遊女と同じ格付けが存在し、それに見合うだけの揚代を要求する。臨也は男に興味がないため知識として知っていただけで、実際にお目にかかったことはない。
そのときも大して興味を持たず、客にあぶれた陰間が禿を話し相手に時間を潰してるのだろう、くらいに思い、踵をかえそうとした。その瞬間、行灯に照らされたその男の姿がはっきりと見える。目を引かれて動きが止まる。白の内掛けの上で煌めいたのは、短く切られた眩いほどの金の髪だった。
――珍しい。臨也は素直に驚嘆する。

「ほら、そろそろ休めよ茜」
低めの声が、禿に言った。ぶっきらぼうだが、どこか労わるような声だった。
「えー、もっとお話してたいよぉ」
「また明日、相手してやっから」
「ほんと? 約束だよ!」
「……ああ」
そんな会話が雨音に紛れて聞こえてきた。廓言葉ではない会話に少し驚いていると、その直後、軽い足取りで禿と思しき幼女が屋敷内へと入っていった。残された影が、気だるげに煙管に口を付けている。その目線の先には、雨に濡れて闇を深くする庭があるばかりだ。だが彼は、ただじっと、雨の音の染みこむ庭を飽きもせず見ているようだった。
臨也は興味を引かれ、その青年に近づいた。足音は消して歩いたつもりだったが、青年はすぐに臨也に気付き、驚いたようだった。臨也はこの妓楼で働いている人間には見えないし、まだ普通の客は敵娼といる時間だ。客が雨の濡れ縁に来ることなど、考えてもいなかったのだろう。
近くで見ると、より一層鮮やかな金色だった。それに、顔も悪くない。気の強そうな瞳は強い光を帯びていて、妙な色気があった。
「……んだよ」
じっと見ていると、睨まれていると思ったのか、男が低く声を出す。威嚇するような響きがあった。
吉原のような遊郭において、高級娼妓はむやみに客にへつらったりはしないものだが、それにしてもこの男の態度や言葉遣いは、客に対するそれではない。よく見れば、格好も遊女のものとは異なっており、振袖に近い。それなりの年に見えるが、未だ客を取っていない新造なのかもしれない。
「ちょっと迷っちゃってね」
「…嘘くせえ」
臨也の顔をじっと見たその男は、そう吐き捨てた。確かに嘘だが、それにしても随分と正直で口の悪い男だ。とても遊郭で客を取ってやっていけるようには思えない。少なくとも、臨也好みの人間ではないことは確かだ。
肩を竦めて帰ろうと思ったが、不意に、浮かんでいた疑問を口にしてみた。
「こんな雨の中で、何を見てたの?」
「…花」
無視されるかとも思いながら問いかけてみると、男は煙管の吸い口から唇を離して呟いた。その視線を辿ると、庭にある置き行灯に照らされて、確かに花が咲いていた。少し俯いているような風情のその花被は、雨に濡れているためか、深い深い青紫である。
「あれが欲しいの?」
「……」
答えは沈黙だった。欲しいんだな、と臨也は感じた。吉原で珍しく男を売るこの妓楼でも、やはり陰間は表立っては行動しない。この中庭に出て花を見ることが出来るのも、夜だけなのだろう。
「取ればいいじゃない。簡単だろ」
「着物が濡れるだろ。…これ、借り物だから、濡らして痛めるわけにはいかねえ」
男は自分の着物の腕を軽く上げて見せた。どこか着慣れていないように見える女物の衣装は、地味に見えるが、よく見ると質の良いものだと分かる。確かにこれほどの衣装なら、簡単に濡らすわけにもいかないだろう。
気まぐれな性質の臨也は小さく一つ溜め息をついてから、濡れ縁を降りて客用に用意されていた下駄を履き、その花の前で身を屈めた。近くで見るとそれは本当に、寂しげな風情で咲いている小さな小さな花だった。その根元近くを、いつも胸元に忍ばせている小刀で切る。そうすれば、水にさしてもよく水を吸い花が長く保つ。切った花は軽く、雨のしずくに濡れてしっとりとした感触を臨也に伝えた。
そしてまた濡れ縁に上がると、臨也はそれを、目を瞠っていた男に差し出した。
「はい」
「……なんで俺に」
「だって欲しかったんでしょ」
「別に、んなことねえよ」
と言いながらも男は、その花を受け取った。行灯のほの灯りで薄く光る男の着物に、その花の青紫はよく映えた。
「何の花だろ」
「苧環だ」
ほぼ独り言に近い臨也の問いに、低いがどこか甘い声で、男がポツリと答えた。
「おだまき。ああ、」
それがこの青紫の花の名前だと悟る。実際に咲いているところを見たことはないが、聞いたことのある花の名前だった。おだまき――苧環。
紡いだ麻糸を巻いて中心を空の玉にしたものを苧環という。それに形状が似ているから、同名を付けられた花、それが苧環である。言われてみれば確かに、花被が筒状になって中心を空けている。
「しずやしず、の苧環か」
「…っ」
何気ない臨也の呟きに、金の髪の男が弾かれたように臨也を見る。その瞳に驚愕の色があって、臨也の方も驚いた。
「どうかした?」
「何だそれ」
「ああ、しずやしず、のこと? “しずやしず しずのおだまき 繰り返し 昔を今になすよしもがな”。その昔、静御前が頼朝の前で詠った歌だよ」
「…へえ」
男は青紫の花を白い指先で軽く撫で「しずやしず」という初句を繰り返した。幼い口調だった。臨也は目を瞠る。
ついさっきまではきつく吊り上げていた眦を下げて、子供みたいに瞳を輝かせている。嬉しげで――美しい顔だった。臨也は知らず息をのんでいた。
「お前、意外と物知りだな」
感心したように臨也を見上げて、ちょっと笑って見せた。臨也は目を逸らすことさえできない。目を見開いたまま何も言わない臨也を、男は不思議そうに覗き込む。地味だが高級品だと分かる白に青の模様が施された内掛けがさらりと流れて、宵闇にあってさえ眩いほどの金の髪が近づく。
「…っ、君こそ、よく花の名前なんて知ってたね。そういう風流なこととは無縁そうなのに」
ようやく体の端から動けるようになったので、臨也は慌てて目を逸らして嫌味を言った。彼の気分を害する意図があったが、それは成功しなかったようだ。彼はただ、どこか寂しげな表情を浮かべただけだった。寂しげで、遠い何かを想うような。
「弟が、好きな花だったんだ。だから覚えてただけだ」
「……ふうん」
遊郭に売られてくる人間の身の上など、似たようなものだ。臨也は目の前の青年のことを何も知りはしないが、彼がその弟とやらに再会できる日が遠いことだけは分かる。むしろ、もう会えない可能性の方が高いだろうということも。
男はしばらく、簪の一つも挿していない金の髪を少しだけ傾けて手の中の青紫の花を見ていたが、やがてふと顔を上げた。
「俺はそろそろ戻る。ほんとは部屋から出るなって言われてるしな」
臨也にそう言った男は、手に握った花を軽く持ち上げて見せた。言外に、謝礼を示したつもりなのだろう。そうしてそのまま、振り返りもせずに、座敷の帳に消えていった。
臨也はその後姿をらしくもなくぼんやりと見送る。そしてしき降る雨の音をすぐ近くで聞きながら、彼の名前すら聞かなかったな、などと考えた。残されたのは、青紫の花の感触だけだった。


  ○               ○

「できれば俺は直に会いたくはなかったんですけどね」
朱塗りの粋な杯で豪快に酒を飲みながら、不快そうな表情を隠そうともしないのは、楼主の四木である。
「酷いなあ、これでも結構、金払いのいい上客だと思うんですけど」
「上客でも下衆、って輩はたくさんいますよ」
底冷えのするような声で罵られる。いくら吉原広しと言えども、ここまで客に暴言を吐ける楼主には滅多にお目にかかれない。もっとも、四木は元来理知的に会話をする人間なので、相手が臨也でなければここまで悪し様には言わないだろう。害虫のごとき嫌われようである。
そんな扱いにも慣れている臨也は、薄ら笑いを崩すことはない。それを見て、さも気分が悪そうに四木は悪態をついた。
「で、わざわざ俺に頼みごとってなんですかね」
「その前に、ちょっとどうでもいい近況の話とかしてみませんか?」
「…用件を早く言ってほしいんですよ。酒が不味くなりそうなんでね」
「はいはい。四木さん、今度この妓楼で新しい花魁の突き出しをするそうですね」
近況、と言いつつも話は本筋に切り込んでいる。臨也は注意深く四木の様子を窺っていたので、杯を持つその手の動きが止まったことにも気付いていた。
「結構この妓楼の情報も持っているつもりですが、突き出しするような新造なんてここにはいなかったように思いますけど」
新造が初めて客を取ることを突き出しという。普通の娼妓であれば、これは盛大に行われるが、当然突き出しされるのが男の場合は表立っては目立たず、ひっそりと行うだろう。
「知らなかっただけでしょう」
「そうですねぇ。俺は男には興味がないから、陰間には疎いですし」
「……本当に性格が悪いな」
陰間、という言葉を臨也がすぐに出したことで、臨也が既にある程度の情報を得ていることを察したのだろう。四木は忌々しげに顔を歪ませた。臨也は「おかげさまで」とにやりと笑って言い返した。
「でも不思議ですよねえ。その陰間、最近ここに入ったばかりの、廓言葉もほとんど使えないような男でしょう? しかも別に若くもない」
通常、吉原で花魁になる人間は、まだほんの子供の頃に売られ、教養や廓言葉を身につけてから水揚げされる。しかし昨夜会った男は、教養深いようにも見えず、何より吉原独特の廓言葉をまったく使っていなかった。それに、いくら陰間は表には出さないとは言っても、あの長身と金髪、それにすっきりと整った容姿では、目立たないわけがない。妓楼に働く者の口にのぼって広まれば、臨也の耳にも入っただろう。それが今までなかったのだから、あの金髪の青年が吉原に入ったのは最近だと考えて間違いはないだろう。
四木は、互いの腹を探り合う問答に嫌気が差してきたらしい。知的に煌めく瞳に剣呑な色彩を加味して、「いい加減、本題に入ってくださいよ」と低く言った。
「じゃあ手っ取り早く言います。その男娼の水揚げ、俺にさせてくださいよ」
「……波江はどうするんです?」
吉原では、たやすく敵娼を変えることはできないし、複数の敵娼の客になることも基本的に許されていない。どうしても相手を変えたいならば、流儀にのっとらなければならない。だがそんなこと、臨也にとってはなんの問題もなかった。
「波江花魁には話をつけますよ。手切れ金も弾みますし」
もともと割り切った仲だ。波江が渋るとは思えない。
四木もそれが分かっているのだろう。その件についてはそれ以上深くついてはこなかった。ただ、訝しそうな顔で臨也を見ている。どうしてそこまで男娼一人にこだわるのか、不思議に思っているのだろう。
「どこかで静雄を見たのか」
四木は、臨也がこだわる理由をそう結論付けたらしい。そしてそれは外れてはいない。
臨也は答えずに、ただ内心で、静雄、という彼の名前らしきものを繰り返した。しずお。なるほど、だからしずやしず、で反応したのか。
「あれは確かにここに来たばかりだ。愛想はないし年も二十を超えてる。廓言葉もまったく覚えねえ。だがな…間違いなく売れる」
いい加減、臨也に対して丁寧な言葉遣いをすることに疲れたのか、四木の話し方がぞんざいになる。そうすると、この男が持つ研ぎ澄まされた刃のような雰囲気がさらに増した。
「…随分と自信があるようですね」
「ああ。何せ静雄は、俺が買って来たからな」
「…四木さんが?」
「ああ」
普通、どこかから子供を調達し、遊郭に売るのは、女衒と呼ばれるそれ専用の人間だ。楼主が直々に調達に行くことはない。
だがこの楼主は気まぐれに、女衒の真似事をして、遠方に子供を買いに行く。商売品を見繕うため、というよりは、自分が吉原から離れて羽を伸ばしたいだけだろうと臨也は踏んでいるが。それでも四木は、遠方に行っては子供を買って来る。ほとんどは垢抜けない子供だが、これがいい花魁に育つ。おそらく四木には、いい花魁に育つ子供をを見分ける才能があるのだろう。
「静雄の水揚げは、昔からの得意先に頼んである。臨也、昔からの馴染みでもないお前に生半可な額では抱かせない」
冷たささえ感じる声が、はっきりと拒絶の言葉を吐く。臨也は眉を顰めた。四木がこうもしっかり断言したときに、その言葉を覆させたことは未だかつて臨也にはない。
あの男、静雄は、臨也と上手く付き合っていけるような人間には見えなかったし、そもそも臨也は男に興味はない。だが、あの姿。青紫の花被を指先でなぞって笑った顔が、いっそ胸糞悪く思えるほどに目に焼きついてはなれない。その感情に、臨也は敢えて名前を付けようとは思わない。
ただ、どうしても彼を、手に入れたかった。


(庭火の花)
(2010/09/18)

「しずのおだまき」の歌の「おだまき」は、花の苧環ではなく、花の由来となった麻糸の玉の方を指しています。






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