drowning in blue3 | ナノ


○ August 30, 2010, at 4:16 a.m.

薄い壁越しに、水の跳ねる音が聞こえた。
静雄はまだ湯を使っているようだった。随分と長い。カーテンの隙間から見える空は、もう深い藍を随分と薄めている。朝が来る。

想いを告げるタイミングは、いつでもあった。
直接的な好意の言葉を告げずに性的な関係を持つカップルなど珍しくもない。だが、門田が好意の言葉をしっかりと口にしなければ、静雄に想いを伝えることはできないだろう。静雄の中には、無意識であったとしても、自分が人から好かれるはずがないという自己否定が根強く横たわっている。
静雄は未だに、門田が同情から、静雄との関係を続けているのだと思っている。その原因を作ったのは、間違いなく門田だ。そして同情という名のもとに結ばれた関係に、静雄が囚われ続けるように願ったのも、門田だ。静雄を手に入れるためには、それしかないと思っていた。愚かだと思うが、もしもう一度、静雄との出会いからやり直せたとしても、門田はきっと同じ選択をしてしまうだろう。
それでも、と門田は夢想する。もし、静雄の寂しさにつけ込む形の始まりではなく、きちんと言葉を告げて始まれたとしたならば、何か変わっていただろうか。
静雄は、門田と接するときは、臨也に対する身を焦がすほどの憎悪という熱情を持たず、穏やかに笑うことも多い。門田がその金の髪をぐしゃぐしゃとかき回すと、「何すんだよ門田」と口では文句を言いながらも、どこか嬉しそうに目を細めていた。その顔を見るたびに、好きだ、と言葉を告げたくなる。それが、寂しさを紛らわすというこの関係の終わりを告げるものだとしても。
始まりを今から変えることができないのなら、終焉に突き進むしかないのだ。
朝日を浴びた闇が、薄い青へと色を変えている。完全に闇が消える前に、彼に、思いを告げようと思っている。

絶え絶えながらも続いていた水音が、聞こえなくなった。静雄が上がってくるのかと思ったが、その気配もない。さすがに不安になり、門田は自身もバスルームへと向かった。
「静雄、開けるぞ」
声を掛けてから、浴室へと続く扉を開ける。ひやりと冷えた空気の中、静雄は浴槽に浸かっていた。
「あ、わり。お前も使うのに、俺長く使って」
静雄は慌ててあがろうとしたようだった。それを手で制して、門田は湯船の彼に近づいた。湯気のまったく立っていない浴槽に、眉を顰める。
「それは構わないが。冷たくないのか?」
「…あー。体、ほてっちまってたから、こんくらいでちょうどいい」
どこか呂律の回っていない響きで、静雄はそう応えた。それにしても、冷たそうだ。
門田は静雄の髪に触れて、ぐちゃりと濡れた髪を乱した。「やめろよ」と静雄が言う。その割りに、目を細めていて気持ちがよさそうだ。
その顔を見てしまうと、せっかくの決意がまた大きく揺らぐ。この顔を、この感触を手放すことに怯えてしまうのだ。揺れた思いのまま、それでも先に進まねばと、水の中をもがくように門田は静雄の肩に触れる。予想以上に冷えた肌だった。
「かどた…」
門田からの接触に応えるように、静雄が顔を上げて、呼びかけてくる。普段は好戦的な強い光を帯びたその瞳が、寂しさを湛えていた。その瞳に、門田の中で決心がぐらりと大きく揺らいだ。門田は心の中で重く息を吐いた。

早朝の青い光のなかで、浴槽の水が二人の重なった影を映す。それは溺れた者がふたり、相手に縋る仕草のように見えた。


○ Epilogue. August 30, 2010, at 4:18 a.m.

溺れて縋る。そうすれば、二人で沈んでしまうだけだと知っていた。

「かどた…」
触れてきた門田に、体の芯まで冷えてしまったために上手く呂律が回っていない舌足らずな声で呼びかける。門田は、「うん?」と静雄を覗き込んだ。やさしい光を宿した黒い双眸が静雄を映す。
こんな非生産的で濁った関係をいつまでも続けていていいはずがない。高校のときから既に何年も経った。もう、彼にさよならを告げなければ。そう思っている。ずっと、そう思ってきた。
静雄はゆっくりと水中から腕を上げた。ぱた、と肌から滴る。持ち上げた冷えた腕を、門田の首に回す。冷たい腕で触れた肌は、あたたかい。けれどその体温は、静雄の手に入らないものだと知っていた。
「どうした、静雄」
「…さみしい」
唇からぽろりと出てきたのは、言おうと決意していた言葉ではなかった。
もう何年も前、夕方のプールで言ったものと同じ言葉だ。あのときは、門田が投げ出した同情という呪縛を完成させるための言葉だった。今はただ、ぎゅっと抱きついても、この男が、指の隙間を滑り落ちてこの手に留まらないことが、どうしようもなくさみしいのだ。

零れ落ちた静雄の呟きは、門田の耳にも届いてしまったようだ。門田は、まるで頑是無い子供のように甘える静雄の背に腕をまわし、きつく抱きしめてきた。あたたかく、静雄の望むだけの強さで抱きしめてくれる体だった。
何年も前のあの夏の夕方と同じように、静雄は門田の肩に縋る。掌を握り締めて掴んだはずの決心が、いつの間にか、門田の熱に温められてどろりと溶け、指先から零れて浴槽に落ちていった。
こうして、ふたりで溺れ、また深いところへ沈んでいくのだろう。


(drowing in blue 3・完)
(2010/09/08)





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