drowning in blue1 | ナノ


※恋愛お題、【「朝の浴室」で登場人物が「決める」、「水」という単語を使った話】に従って書いています。
※みんなのメンタルがわりと迷子です。


○ Prologue. August 30, 2010, at 4:10 a.m.

窓がないため光の入らないバスルームの闇も、すでに薄くなってきている。夜明けを告げる朝日が狭い部屋を透かして、このバスルームにまでその残光を届かせているのだ。
自身の体を包む浴槽の水を掬ってみる。静雄の、暴力に身を染めてきた割に無骨さのあまりない手のひらに掬われた水は、やがて、ぽたりと、あるかなしかの音を立てて指の隙間から零れていった。
身を包む液体は、既に湯というよりは水に近い水温となっている。夕べ焚いておいたのを、そのまま朝になるまで放置したのでそれも当然だ。夕べ、入浴するつもりのところに、彼がやってきたので、そのまま朝まで入らずに過ごしてしまった。
すっかりと指の隙間から浴槽に還ってしまった水。その水に、縦に長い体を縮こまらせて浸かりながら、息をつく。それは安堵の溜め息のようにも、悲しみを堪えきれずに零れた吐息のようにも聞こえた。
今は夏だが、さすがに水に浸かると体が冷える。それでも、その肌から体温が失せていくほどに冷えていく心地よさが、静雄は好きだった。思えば、彼は水に似ている。心地よく包んでくれるのに、けして手のひらには残らない。

水に指先まで冷やされた手のひらを握り締めて、今日こそは、と心に決める。今日こそは、彼にさよならを、言わなければ。


○ August 29, 2010, at 11:48 p.m.

水気の多いローションを塗りこめた狭隘な彼の隘路を、昂った自身でこじ開ける。高い声とともに、きゅっと内壁を締めてそのまま幾度か小さな痙攣を繰り返す静雄に気遣いながらも、ぐっと身を沈めきる。
「ふ、あァ…っ」
開かせた静雄の脚が宙を蹴った。
門田は乱れた金髪に手を伸ばし、顔にかかったそれを払ってから、「動いて、いいか」と尋ねる。顔を露出したことで今更ながらに羞恥を煽られたらしい静雄が、頬に朱を走らせながらもこくりと頷く。それに促されて、律動を開始した。
一度引いてから、ぐっと突き上げると、静雄の背が綺麗に弓なりに反った。ぐちゅ、と濡れた音と、静雄の嬌声が響いて、欲をさらに掻き立てられる。
嵩の張った先端で、思い切り直腸を突き上げる行為を繰り返す。
「は、ああ、」
静雄は荒い息で喘ぎながら、きゅっと門田の背に腕を回して抱きついてきた。それは水を嫌がるこどもが親に縋るような必死さだが、懸命に力を制御して門田に害を与えないよう気を使っているのが伝わる。その懸命さがいとおしく、門田は静雄の顔に何度も唇を落とし、やがて口内を貪った。
「ん、ん、ふ、…っ」
ほとんど理性を残していない静雄が、必死にそれに応えて舌を絡めてくる。唇を離すと、唾液が糸を引いた。官能に濡れた静雄の瞳が、物欲しげに門田を見上げている。それに煽られて、再度腰の動きを激しくした。
もう何度となく抱き合った体なので、静雄の感じるところはよく知っている。前立腺を強く擦ると、静雄は門田の肩に縋りながら快感を逃すように顔を左右に震わせた。抽挿のスピードを速めると、それにあわせて静雄も声を漏らした。
もともと狭い隘路の締め付けが強まり、静雄の腿がびくびくと震え始めた。門田も余裕がなくなる。
「…静雄」
掠れた声で呼びかけると、生理的な涙の膜が張られた瞳が門田の目線と合わさる。好きだ、という言葉は伝えない。この関係が始まってからずっと、伝えてはこなかった。今だって、伝えることに怯えている。
結局名前を呼びかけただけで、何も言えなかった。不自然な沈黙を忘れさせるように、抽挿を繰り返す。荒い息とベッドの軋む音、それから静雄の断続的だった声が切実さを帯びた。
「ん、う、あ、ああ…っ」
射精を促すように強く前立腺に硬くなった性器を擦りつけると、逆らわず静雄は絶頂を迎える。それに数秒遅れて、門田も彼の体内に、熱を放った。


体液が飛び散ったままの格好で、二人とも意識を飛ばすように眠ってしまっていたらしい。既に空は明らみ始めていた。このまま夜明けがこなくてもいい、と門田がどれほど願ったとしても、夜は無情に明けて行くものらしい。門田は小さく溜め息を吐いてから、静雄のむき出しの白い肩を揺すった。
「静雄、起きられるか?」
「…ん、ああ…」
情事の痕を残す掠れた声で、静雄が頷く。門田に後処理をされることを嫌がる静雄は、情事後、必ず自分で浴室に向かうのだ。特に、今日は彼の体内で射精してしまったため、早いうちに処理をしたほうがいいだろう。
「わりーけど、先、風呂使う…」
「ああ。一人で行けるか」
門田が尋ねると、静雄はこくりと頷いた。その顔は疲れを色濃く残し、足取りはまだ幾分覚束なかったが、それでも静雄はシャツを羽織って、浴室へと向かった。
その白くまっすぐな背中に、深い群青から薄い青へと色を変えて行く夏の朝の空が影を落としはじめていた。

朝がくる前に、彼に想いを告げようと思っている。この部屋を訪れたときからずっと、そう決めていた。たとえその言葉が、この関係の終焉を告げるものであるのだとしても。


○ August 29, 2010, at 5:10 p.m.

終焉、終わり。常にそれを意識していた。この関係が始まったときから、いつもだ。
今日こそは終わりにしよう。次に会ったときは終わりにしよう。そう考えながら、結局会って抱き合うとぐだぐだと決心が溶けていく。身を包む水に似た彼に、溺れているのだ。

門田は人の感情に機敏な性質で、静雄が精神的に参っているときに、いつもあらわれて支えるように触れる。その夜も、池袋の道端で会ったとたんに、軽い仕草で静雄の肩に触れた。
「何かあったのか」
耳に心地のよい低い声が、小さくそう尋ねる。普段どおりに接して、普段どおりに挨拶を交わしただけだ。それなのに、どうして門田には伝わってしまったのだろうか。
「…大したことじゃねーけど」
実際客観的に見れば、大したことではないはずだ。今日もキレて暴れて、抜いた街灯の先が当たり砕けた硝子の破片で、上司であり静雄のよき理解者であるトムが怪我をした。
怪我と言っても、顔の皮膚一枚を切っただけで、全治一週間ほどだ。トム自身も、「気にすんなよ」と笑っていた。それでも、この一連の出来事は、静雄を落ち込ませるには十分だった。
微妙に視線を外した静雄の仕草から、静雄の落ち込み具合を悟ったのだろう。門田は、数度静雄の頭をほんの軽く叩いて、「夜、空いてるか」と尋ねてきた。低く優しい声に、体の奥が火傷を負ったように熱くなり、そして同時にじくじくと痛みを訴え始めた。

風呂を沸かして、入ろうかと思っているところに門田がやって来た。几帳面なところのある門田は、約束の時間より若干早めにやってくる。その手には、酒の瓶が入ったビニール袋を携えていた。
「ほら、みやげ」
受け取って中身を広げてみると、静雄の好きな甘いリキュールの瓶やチューハイの缶がいくつも入っている。静雄は、有名な鮮やかな青のキュラソーを取り出して二つのグラスに少しだけ注ぎ、それにレモン・ジュースを足して軽くステアした。浅い海を抜きとってグラスに閉じ込めたような色彩のロング・ドリンクが完成する。
その片方を門田に差し出すと、門田は苦笑しながら受け取った。
「さんきゅ…けどな静雄」
「んだよ」
「バーテンやってたヤツに言うのもおかしな話だけどよ、せっかくのキュラソーなんだからもっと凝ったカクテルとか作れないのか?」
ブルーキュラソーは色彩の鮮やかさ故に多くのカクテルで用いられ、その多くが洒落たものである。それは知っているが、そもそも静雄はさほどアルコールに強くないため、ロング・ドリンクのほうが合うのだ。小さく舌打ちして、グラスを傾けた門田を軽く睨む。
「いいだろ別に」
「まあ、お前の作るカクテル、大雑把なわりにうまいけどよ」
笑いながら門田はごくりと浅い青のカクテルを飲み、「うまい」破顔した。静雄もつられてそれに口付ける。
それは子供舌の静雄でも飲めるが、ブルーキュラソー独特の苦味とレモンジュースの甘酸っぱさが、ほろ苦さを喉に残す。その苦さに、思わず眉間にしわを寄せると、門田はそんな静雄の顔を見て、別のグラスに甘いソーダを入れ、手渡してきた。
「ほら」
「ん」
一口飲んで、口内に残った苦味を中和する。それを確認した門田は、静雄の顔を覗き込んで笑った。いつもと同じく優しい門田に、静雄は自分から顔を寄せた。グラスを置いて、キスをする。門田は自然な仕草で、静雄の腰に腕を回した。

この関係が始まった高校生のときから、ずっと終焉を意識していた。今日こそは終わらせよう、今日こそは自由にしよう、そう思っていた。今だって思っている。けれどせめてもう少し、もう少しだけ、と言い訳をして、それを先に延ばすことを自分に許す。
絡めあった舌は、浅い海に似たカクテルの苦い味がした。


○ August 7, 2010, at 3:04 p.m.

この恋はずっと、苦いものだった。

始まったのは高校の頃だ。
門田は静雄を一目見た瞬間から、興味を引かれていたと言ってもいい。出会ったばかりの静雄は、荒んだ雰囲気を持ってはいたが、真っ直ぐに伸びた背筋が印象的な少年だった。門田はその頃から一般的な高校生よりは読書をしていたが、彼を上手く形容する言葉を見つけられなかった。ただ、とても純粋な感情で、綺麗だと、思った。
体を重ねるようになった今になっても、この恋は苦いままだ。成就することもなく、ただ、門田が仕掛け、そして静雄が答えた呪いによって互いを縛り、互いに身動きが取れなくなっている。このままでは二人で溺れるだけだと分かっていても、それでも互いの呪縛を解かずにここまできた。
静雄が門田の手を離さない理由は、恋情からではない。けれど、門田が静雄に互いを縛る呪いをかけたのは、間違いなく恋慕からだった。

数多の人間が集うこの池袋において、静雄ほど離れていても位置を特定しやすい人間はあまりいない。彼の頭上では、しょっちゅう人やゴミ箱などが舞い上がるからだ。
その日も、悲鳴や怒声と共に、人が空高く舞い上がる姿が、少し離れたところからも確認できた。久々に静雄の姿を見たくなり、門田はそちらに向かう。
その間に怒声や悲鳴はおさまり、代わりに金髪で長身の影の周囲からわたわたとチーマー風の男達が蜘蛛の子を散らすように逃げて行く。いつもと変わりない光景に、「静雄、」と呼びかけようとして、動きを止めた。静雄の真っ直ぐな背中の向こうに、漆黒の姿が見えたからだ。
既に静雄が殴り飛ばしていた男達は辺りから消えている。静雄は周囲の変化になど目もくれず、その漆黒の男を真っ直ぐに睨みつけていた。その腕は、その辺りで剥ぎ取ったらしいガードレールを持ち上げている。
「ちょこまかと逃げやがって、大人しく殺されろよ臨也くんよお!」
「いやだよ。避けないと俺が死んじゃうだろ。それよりシズちゃんこそ大人しく刻ませてよね」
物騒な会話を繰り広げながら、二人は互いの得物をぶつけ合わせたり避けたりと忙しない。
門田は、その場に留まって二人のやり取りと見ていた。それは高校時代から幾度も幾度も見てきた光景ではあったが、やはり凄まじい迫力で、それに何より、二人のひたむきさが伝わってくる。
互いを宿敵と認識しあっている臨也と静雄は、互いの姿を視界に入れると、それだけで世界が完成してしまう。他の人間など目に入らなくなるのだ。
高校の頃から、静雄に喧嘩するよう裏で糸を引き、静雄を孤立させていったのは、間違いなく臨也だ。だが、そうして出来た静雄の孤独を癒せるのも、臨也だけだ。門田は同情という名のもとに、温もりを欲する静雄にいっときの安らぎを与えることしか出来ない。――この恋はいつまでもずっと、苦いままだ。
「…、静雄、臨也!」
苦いものがこみ上げてきて、それを吐き出すように名前を呼んだ。最初は静雄も臨也も反応しなかったが、幾度か呼びかけると、臨也がこちらを見て舌打ちした。
「ドタチン、邪魔しないでよね」
「……門田」
臨也が注意を門田に向けると、静雄もようやく闖入者に気付いたようだった。門田を見て、手にしていたガードレールをおろす。
「騒ぎがでかくなった。そのうち警察が来そうだ」
喧嘩の仲裁にもっともらしいことをこじつけて、二人を見る。臨也はあからさまに機嫌を降下させて、ナイフの刃をしまった。
「今日こそは化け物を殺せると思ったんだけどなあ」
「…手前…っ!」
「やめろ静雄」
臨也の見え見えの挑発に気色ばんだ静雄を抑える。臨也はつまらなそうに鼻を鳴らし、くるりとその場を後にする。静雄は、ひたむきだとすら形容できそうな真っ直ぐな視線で、その後姿を睨みつけていた。

臨也が静雄に向ける激情を、門田は理解している。高校の頃から、ずっと。いつか臨也が、その激情を言葉にして静雄に向けたとしたら、静雄と門田の関係などすぐに消えてしまうのだろう。この恋は、終わりがくるそのときまでずっと、苦いままだ。
門田は空を見上げて溜め息を吐く。静かに都会を覆う、重い曇天が広がっていた。


(drowning in blue 1)
(2010/09/03)





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