クローズド・ワールド4 | ナノ




一日デリックをそれとなく観察していて、気付いた点がいくつかある。
性格はどちらかと言えば物静かで、作られてから7年しか経過していないというわりには外部への興味が薄い。どの程度の知識があるのかは知らないが、日常生活を送るのに問題はないようだった。
使用頻度の低い書類を置くことにしか使っていなかった小部屋を彼の部屋に宛がったが、あまり使う気はないらしい。睡眠をとるとき以外は、臨也の書斎で簡単な書類の整理や家事をしている。意外に料理が得意なようだ。
それと、音楽が好きらしい。家事をしているときはいつもヘッドフォンを装着して、何か聞いているようだ。時々、それに合わせてハミングを零したりもしている。今朝も、朝食を作りながら聞いたことのある曲をハミングしていた。何を聞いているのか正確には知らないが、彼の気まぐれなハミングから推察するに、どうやらジャズのクラシックナンバーが多いようだ。

鼻歌交じりで彼が作った朝食はオートミールとグリーンサラダだった。涼やかなガラス製のボウルに、パリパリのレタスとキュウリ、それに色鮮やかなトマトが彩りよく盛られていて、野菜嫌いを貫いてきた臨也には多少きつい。すると、どうにも目敏いデリックがそれを見て眉を顰めた。
「おい、何トマト避けてんだ」
「嫌いなんだよ。ていうかこの家にこんなに野菜なかったはずだけど、どうしたのこれ」
「新羅からの差し入れだ」
「……あいつ」
付き合いの長いあの闇医者は、臨也の好みを知っているはずだ。昨夜、デリックの当座の荷物などを持ってきていたようだが、それにこれらの新鮮な野菜をも入れてきたというのなら、間違いなく大いなる嫌がらせである。
「新羅恨んでんじゃねーよ。いい年して好き嫌い言ってんな。食え」
「いい年って失礼だな。それに君だって、…」
苦いものが苦手だろ。と言おうとして、ふとその言葉を飲み込む。
苦いものが嫌いだったのは、この男ではない。
ビールが苦手で、甘ったるいカクテルばかり好んで飲んでいた。アルコールのつまみだって、ナッツよりも菓子を選ぶような子供舌だった。好物は、あの年であの背格好であの顔でプリン。見ているだけで胸やけがしてくるような甘ったるいプリンを、わずかに頬を弛めながら食べていた。
「…おい? 何固まってんだ、そんなにトマト食いたくねえのか」
ふと脳裏に鮮やかに浮かんだ面影に動きを止めてしまった臨也を見て、デリックはそう勝手に解釈したらしい。しょうがねえなあ、と呟いてからデリックは臨也のボウルに入っていたボウルにフォークを突き刺して自身の口に運んだ。粗野な仕草だ。
呆気にとられる臨也を気にせず彼はそれを咀嚼し、さっさと食事を終えると、再びキッチンに立ってケトルを火にかけ、コーヒー豆が入った瓶とミルを取り出した。どうやらコーヒーを淹れる気らしい。臨也は透明なボウルに残されたレタスをフォークで混ぜながら、彼の後ろ姿をまた観察する。彼はどこか楽しそうに、粉状にしたコーヒーをドリップに移していた。
静雄はコーヒーと言えばいつだってミ加糖タイプの缶コーヒーだった。コーヒーを淹れたりしない。調理をしたりもしない。
だが、気づいた点がある。
穏やかな表情と、時折見せる粗野な仕草は、平和島静雄のそれとよく似ている。思わず目に焼き付けてしまうほどに。




ここ数週、じりじりと削られてきた睡眠時間を今になって体が必死に補給しようとしているかのように、体が眠りを欲しているのが分かった。PCを使っての情報収集を行っているというのに、頭がぼんやりとして作業効率が明らかに低下している。昨夜は臨也にしては長時間睡眠を取ったはずなのに、昼下がりを迎えて眠気の波が押し寄せてきたらしい。PC画面から目を離してふるりと首を振っても、眠気は去ってくれそうになかった。
幼稚園児じゃあるまいし、と忌々しく思いながら書斎を出てリビングに向かう。リビングでは、デリックがソファに腰掛けて洗濯物をたたんでいた。白いスーツに紅色のシャツという歌舞伎町界隈でしか見られないような派手な衣服を身にまとった長身の男がタオルを丁寧にたたむ姿というのは、いっそシュールだ。
「ねえ、コーヒー淹れてくれない」
「ダメだ」
「は!?」
眠気を飛ばす妥当な手段としててっとり早くカフェインを摂取しようと思い彼に呼びかけたのだが、振り返ると同時に却下されて思わず目を見開く。断られることは、想定していなかった。
「だーめーだ。午前中にも3杯飲んでるだろ。あんまり摂取すると胃によくない」
この辺りは新羅の受け売りだろうか。余計な真似をするものだ。俺の母親か何かか、と呆れてしまう。
「…分かった。じゃあ自分で淹れる」
「ダメだっつってんだろ。…眠いのか?」
デリックを無視してキッチンに向かおうとすると、腕を掴んで止めてきた。そのまま常人よりもはるかに強い力で、ぐっと腕を引かれて彼の隣に無理やり座らされる。
「何なの。離せよ」
「眠いんなら寝りゃいいだろ」
「眠くない」
「嘘つけ」
どうせ急ぎの仕事もないんだろ、とデリックは言う。これでも新宿界隈では相当に名の知れた情報屋だというのに、失礼な話だ。だが確かに、睡眠が取れなくなってきたあたりから仕事の量は減らしていたので、急ぎのものはなかった。
デリックの腕を振り払って立ち上がることは諦め、座り心地の良いソファに深く腰掛けて、光がやわらかく差し込むリビングを見ていると、なんだかデスクとPCにかじりつくのも馬鹿馬鹿しくなってくる。おまけに、手の先をデリックが掴んでいて、その部分が妙にあたたかい。ちょっと前にもこんなことがあったな、とぼんやりと考えた。どうにも、この男の体温に安堵して、強烈な眠気に負けてしまうようだ。
力を抜いて背中をソファに凭れかかると、もう瞼を開けていることさえ億劫になった。今度は欲求に逆らわずに瞼を伏せると、「おやすみ」という声がふわりと掛けられた。なんだか泣きたくなるくらいやさしい声だ。
そんな言葉をかけて、離れていこうとする気配がある。臨也は半分夢心地のまま、彼の腕を逆に掴む。君のせいでまたこんなところで眠る羽目になったんだから、その君がさっさと離れていくなんておかしいだろ。そんな屁理屈を、言いたかったように思う。けれど言葉にすることはできなかった。
傍にいなよ。
代わりに出てきた言葉はそんなものだ。何故そんな言葉が出てきたのかは分からない。体温が酷く安心できたからだと、臨也はそう、言い訳にもならないことを考えていた。

はっと目を覚ましたら、あたりはすでに暗くなりかけていた。仮眠にしてはしっかりと眠りすぎだ。
不自然な体勢のまま長時間いたためか、体のそこかしこが痛む。たち上がって伸びをしようと思ったときに、ふと右腕の違和感に気付いた。見下ろすと、腕の上腕部に金の髪がもたれかかっている。デリックだ。ソファに座ったまま体を傾げて眠っているらしい。その頭が、臨也の上腕部に当たっているのだ。思わず言葉を失って、しばらくしてようやく臨也は唇を開いた。
「…重い」
忌々しく呟いてみるが、起きる気配はなかった。
眠った顔ならば誰もが天使に見える、というような表現をよく聞くが、あれは嘘だな、と臨也は思う。少なくともデリックの姿は、そう表現するようなものではない。生命力を漲らせる強い視線を放つ瞳を閉ざし、意思の強さを物語るような口元が力なくわずかに開いているからだろうか。むしろ大きな人形のように見える。だが、不自然に近い距離のせいで伝わってくる体温が、そんな感傷を否定する。
傍にいなよ。目が覚めたら、眠る前に言ってしまった気がするそんな言葉が彼に届いていたのかどうか、聞いておきたかった。もし彼がそれを肯定するなら、忘れろ、と命じたかった。だが、もういい。
臨也は暗くなっていくリビングに目を投じる。鮮やかな落日が見えた。隣に体温を感じながら、夕日を見ていると、もうそんなことはどうでもいい、と思えた。
もしかしたら彼は、寝ぼけた臨也のそんなくだらない願いを聞いて、ずっとここにいたのだろうか。それだけは少し、気になってはいたけれど。




そんなことがあってから、同じ寝顔を何度か見たことがあったな、と考えた。
臨也と静雄は、甘い関係ではなかった。街中で会えば、それなりに本気で殺し合いを繰り広げていたし、目障りな相手だったというのは本音だ。
だが時折、まるでそうすることが当然のようにセックスをして甘い雰囲気の中で朝を迎える日もあった。7年ほど前は、ある日まで、そんなことが多かったように思う。

今、デリックは楽しげに昼食の用意をしている。家事はどれも好きなようだが、特に調理が好きなのだろうと思われた。調理はどこで覚えたのかと何気なく聞いてみたところ、答えは「新羅の家」だった。想定していた回答である。
「セルティと一緒に作ってたんだ」
「あの都市伝説?」
「都市伝説ってなんだ?」
「…その話はいいよ。先を続けて」
「? セルティの奴、結構ドジでよく調味料の種類と量を間違えるから、俺が隣で注意しながらセルティの様子を見てるようになって、いつの間にか一緒に作るようになってた」
新羅はこの前、臨也にはデリックの料理の腕はセルティには及ばない、などと惚気交じりに言っていたが、どうやら本格的にただの色ボケだったらしい。事実はデリックが言った通り、都市伝説が作った料理は奇抜な味になることが多かったようだ。結果として、それをフォローすることになったデリックが調理のスキルを上げたらしい。

本日の昼食はホウレンソウとトマトの入ったグラタンのようだ。臨也の野菜嫌いを知った上での選択なので思わず眉を顰めるが、ホワイトソースの芳しい匂いがキッチンと一体化したリビングに広がって、食欲を煽る。
ホワイトソースとチーズがのったグラタン皿をオーブンに入れると、デリックはリビングに来て窓際で煙草を吸い始めた。グラタンの出来上がりが楽しみなのか、それとも一服できることがうれしいのか、表情が穏やかで上機嫌を物語っている。
リビングで読書をする臨也に構わず、窓辺に陣取った彼は、ふとハミングを零した。やはり聞き覚えのある、よく知られたジャズのクラシックナンバーだ。陽気な鼻歌に合わせて、臨也は歌詞を思い出した。In other wordsあるいはFly me to the moonの曲名でよく知られている、名の通り、月まで飛んで連れていって、と恋人へ甘ったるく囁きかけるように歌う曲だ。臨也は動きを止めて、デリックを見る。
臨也が喫煙者ではないため、この部屋に灰皿はない。だからデリックは勝手に酒の空き瓶を灰皿に使っているようだった。ウォッカの入っていた茶色の瓶を左手に持ち、煙草を右手の指に挟んで、風に金の髪を遊ばせている。
心地よさげに閉じられた瞼に、少し開いた唇。臨也はそれを、オーブンが調理終了を知らせるまで目をそらさず見ていた。




それにしても、手を変え品を変え彼が臨也に野菜を食べさせようとするのは、何か理由があるのだろうか。昼のグラタンもそうだが、夕飯には見た目にも鮮やかな野菜のグラッセが並んでいる。それをじとりと見ながら尋ねてみると、彼の返答は短かった。「アンタが偏食だからだろ」
「…俺が偏食であることによって、何か君に迷惑をかけたかい?」
「偏食だからそんなに顔色と性格悪いんじゃねーの。いいから食え」
何だかさらりと酷く失礼なことを言われて、頬が引き攣る。添えられていたチキンのソテーはさっさと食べてしまったので、残された野菜に苦戦している臨也を尻目に、デリックはさっさとコーヒーの準備をしていた。コーヒーは一日最高カップで4杯まで、というポリシーを持つ彼の、その4杯目のコーヒーである。
フォークに刺した人参のグラッセを嫌々口に運んでから、臨也はため息を吐いた。人参はそのままでも甘い野菜だが、味付けも甘めだ。作ってもらったことはないが、この分だとだし巻き卵なども甘そうだ。
コーヒーカップを二つ並べるデリックに、臨也は食器棚に置かれていたスティックシュガーを2本ほど渡した。
「…なんだ? これ」
「君だってほんとは苦いもの嫌いなくせに、ブラックコーヒー無理に飲んでるだろ」
「んなことねえ」
「あるよ。人間観察が趣味の俺の目をごまかせると思ってるの?」
ブラックコーヒーを口に含んだ瞬間に、苦味に軽く眉根を寄せることを知っていたし、それに、最初にコーヒーを口にする前に、彼がふとテーブルの隅に目を走らせたことに気付いていた。これは推測だが、恐らく彼が以前にいた新羅の家では、テーブルの隅に砂糖が置かれていたのだろう。だからつい癖で、そこに砂糖を探してしまったのだ。
「うぜえな…」
デリックは眉を顰めてそう言ったが、しばらくしてシュガーを手に取った。
2本ともしっかり琥珀色の液体に溶け込ませてから、彼はコーヒーカップを口に運んだ。美味しそうに喉を鳴らす。ブラックコーヒーを飲んだ時とは全く異なる飲み方に、思わず苦笑してしまった。
「…なんだよ」
ぎろっと睨んでくるが、頬が少し赤い。照れ隠しだろうと思われた。
「シズちゃんもね、ブラックコーヒーは飲めなかったよ」
スティックシュガーもあったが、若干溶け残ってしまうとキレ出したりするから、臨也の部屋にはいつもガムシロップが用意されていた。見ているこちらの気分が悪くなるほどたっぷりと、静雄はそれを自身のコーヒーに入れて飲むのだ。
デリックは動きを止めて、少し複雑そうな顔をして臨也を見た。
「アンタ、平和島静雄が嫌いだったんじゃないのか?」
「嫌いだったよ。早く視界から消えてほしかった。ねえ、でもデリック」
「ん?」
記憶にある静雄と寸分たがわぬ顔が、臨也を見ている。
「アイツと、シズちゃんとね、こんな風に穏やかに時を過ごしたことも、あったんだよ」
「……」
デリックは何も言わず、ただじっと臨也の表情を窺っていた。臨也は言葉を続ける。
「ありえたかもしれない将来の一つとして、もしあのまま二人で時間を過ごしていたなら、今の君と俺のように、シズちゃんと今も穏やかに過ごせたりしたのかな?」
もちろん、あの日別れることも、静雄の身体に短い残り時間が設定されることも、臨也が数年にわたり意識を失うこともなかったら、という、かなり虚しい仮定の話だ。何だか自分で言っていて、少しばかり苦いものがこみあげてくる。
臨也の視線の先で、デリックは寂しげな顔をした。そうしてその顔のまま、「さあな」と笑った。


(クローズド・ワールド 4)
(2011/06/24)







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