ROSY-PORNO | ナノ


コーヒーリキュールの入っていた、不透明なダークブラウンの瓶に、無造作に水を入れて花を挿す。花の名前なんて片手で足りる程度にしか知らない静雄でさえ知っている、毒々しいほどに鮮やかな紅色の花だった。高芯の薔薇の花である。薔薇の本数は多く、一本の瓶だけには挿しきれなかった。
静雄の家には花瓶なんて気のきいたものは当然ない。当座しのぎの酒の空き瓶も、アルコールの耐性がけして高くない静雄の部屋にはそれほど多くはなかった。コーヒーリキュールの瓶2本のほかは、ブルーキュラソーのきつい青の瓶が1本、そのほかに薄い青のソーダの瓶が1本。それらにすべて、詰められるだけ真紅の薔薇を挿したが、それでも半分以上は残ってしまった。捨てるのも憚られて、静雄の平均よりも相当長い腕でようやく抱えきれるというような花束を、ベッドの上に無造作に置く。
安物のパイプベッドの上に、明らかに高価な真紅の薔薇という組み合わせが、いっそ薔薇の美しさを際立たせているようで、部屋の主としては少し虚しい気持ちになった。これを持ってきた静雄の弟の愛車の助手席になら、この上なく似合っていたのだろうが、安アパートの部屋の中ではいっそ滑稽なほどに浮いている。
いつまでもそこに置いておいても花を萎れさせるだけだし、何より静雄がそこで睡眠をとれない。似合わないが花瓶でも買ってくるか、と薄い財布を掴んで安アパートを出る、その瞬間に、ぐらりと擬声語が聞こえてきそうな勢いで、気分が悪くなった。体調云々の話ではない。目の前に、憎い天敵の憎たらしいほどに整った顔があったからだ。仕事が午前で終わりで、午後になって久々に弟が会いに来てくれた。そんな清々しい一日に、絶対見たくない顔だった。
「…今すぐ隕石でも落ちねえかな、手前の上に」
「それならもれなくシズちゃんも一緒に地獄落ちだね」
ついうっかり精神的苦痛から鈍く痛む頭を押さえたその隙に、するりと静雄の脇をすり抜けて臨也が勝手に静雄の部屋に入る。この男は、誰も招いていないのにこうして時折ふらりと静雄の家を訪れることがあるのだ。
ひくひくとこめかみが蠢くのを感じながら黒髪の後頭部を殴りつけようとすると、楽しげに揺らいでいたその頭がぴたりと動きを止めたので、つられて静雄も動きを止めた。すると漆黒の後頭部がふるふると震えて、とうとう腹を抱えて笑い出す。
「ねえシズちゃん、いつからこの小汚くて狭い部屋に薔薇の花を飾るような乙女趣味に目覚めたの?」
「うるせえ死ね」
つーか入るな出ていけ、という静雄の言葉など聞く耳も持たず、臨也は勝手に入っていく。臨也の言葉を肯定するわけではないが、確かに最低限のものが乱雑に置かれた静雄の部屋に、統一性のない瓶にさされた真紅の薔薇がそこらに散らばる光景は目に優しくない。
「百万本の薔薇の花、とまでは行かないけれど結構な量だね。とても薄給の上に借金まみれのシズちゃんじゃ買えそうにない。影のファンからでももらったの?」
まあそんなのいないか、と勝手に結論を出して楽しげにけたけたと笑っている。よし殴ろう、と拳を握りしめた静雄の前で、臨也が静雄のベッドを指さした。
「極めつけはあれだよ。外国の安いホテルの新婚旅行客向けサービスみたいだね」
細い指の先には、シーツの上に投げ出された真紅の薔薇の束がある。パイプベッドの、変わり映えのしないシーツの色にその赤が映えて、安いサービスのようだという臨也の言にはなぜか納得できた。
「…幽が持ってきたんだ」
撮影に使ったものを大量にもらったらしい。静雄の好む店の洋菓子と一緒に持ってきたので、幽としてみれば純粋にお裾分けのつもりだったのだろう。あれで意外に茶目っ気のある弟のことなので、実はちょっとしたいたずらなのかもしれないが。
「そんなところだと思ったよ。シズちゃんが自室のベッドにわざわざ薔薇を飾るとは俺も思ってない。まあ、そうだったならそれはそれで楽しいけどね」
いかにも下手な誘いみたいで、と臨也は意味ありげな視線を向けてきた。怒りを通して馬鹿らしくなってきたので、「帰るか死ぬかしろ」とだけ告げると、意外に強い力で腕を掴まれる。ぐっと寄せられた体を力ずくで振りほどくより先に、神経に障る適度に甘ったるい声が耳に吹き込まれた。
「せっかくだから、誘いに乗ってあげるよ」
「だから違うっつってんだろ!」
臨也が今日ここにくることなど知らなかったし、そもそもベッドの上の花は単に置き場に苦慮して仮初めにそこに置いただけだ。もちろん臨也もわかっていはいるのだろうが、楽しげに静雄の足に自身の足を絡ませてバランスを崩させ、乱雑にベッドのシーツの上に引き倒した。赤い薔薇の花が、静雄の首から頭のあたりの下敷きになったようで、かさりと柔らかだが軽い音がした。ほぼ無香だと思っていた薔薇が、わずかに芳しくも悩ましい芳香を放っていることに、そのとき静雄は初めて気付いた。
衝撃に思わず瞑ってしまった瞳を再び開けると、自室の天井を背景に、反吐が出そうになるほど楽しげな男の表情が映るったので、思いきり牙を剥く。
「どけ。そんな気分じゃねえ」
「つれないこと言うなよ。シズちゃんたぶん知らないと思うけどね、今日は俺の誕生日なんだ」
「知らねえよ。それとも敢えて今日、俺に殺されてえのか?」
「いいね、誕生日と命日が一緒なんてなかなか気が利いている。でもその前に、プレゼントもらおうかな」
何を馬鹿な、と眉をひそめる静雄に構わず、臨也は静雄のシャツに手を掛けた。
「なんで手前の誕生日なんてこの世でもっとも忌まわしい日を俺が祝わないといけないんだ? あ? 臨也くんよお」
「そうはいっても、こうやって見ると御誂え向きだよ。薔薇の花と喧嘩人形。なかなか絵になる」
そんな臨也の言葉に、自身の後頭部と首に押しつぶされている真紅の薔薇のことを思い出し、身体を捩って拘束から逃れようとした。幽からもらった花を、こんなことで無駄にするわけにはいかないからだ。だが臨也は、暴れる静雄をうまく抑え込んで、シャツの裾から手のひらを忍ばせてきた。
「ふざけんな!」
「少しだまりなよ。しばらくしてなかったから、シズちゃんも溜まってるだろ?」
片目を眇めるような嫌な笑い方をして、臨也はまだ反応していない静雄の性器に触れ、やわやわと扱き出す。臨也の冷たい指先に鋭敏な個所を刺激され、静雄は息を飲んだ。
突き放すことなど、簡単だ。純粋な力比べなら、臨也は静雄の比較対象にさえなりえない。だがそれをせずに、思わず快感に身を預けてしまう自身を、静雄はどこかで自覚している。その理由は深く考えたくはないが。
せめての抵抗にと、腕を動かし、頭の下に敷かれていた花束をなんとか床に落とす。はらりはらりといくつかの花弁が花芯から散り、静雄の視界の隅を真紅に滲ませた。



感覚が研ぎ澄まされたためか、悩ましい薔薇の芳香が鼻腔から入って脳を侵食する。耳殻をなぞっていた男の舌が、わざと水音を響かせながら耳の内部に入ってきた。くちゅ、と神経にダイレクトに響く粘着質な音に、興奮を煽られる。
臨也とセックスをした回数を数えるほど、静雄は自虐的な性格はしていない。だが、少なくとも手足の指を全部酷使しても数えきれない回数には達しているはずだ。それらを通して気付いたことは、臨也のセックスは酷く気まぐれだということである。皮膚の繊維を腐らせる気かと思うほど粘着質な愛撫を、それこそ脳が腐り落ちてしまうと思うほどに長い時間をかけて施す日もあれば、慣らすことさえ面倒だというように強引にペニスを突っ込んで出して終わり、という日も少なくはない。その日の気分しだいなのだろう。
本日はどうやら前者だったらしい。首筋を、いたずらに時折歯を立てながら舐めあげて、鎖骨をきつく噛む。かと思えばまた鎖骨の窪みをじとりと舐めあげて、その感触に静雄が身体を震わせる様を楽しんでいるように見えた。だが、その気分が急に一転したらしい。静雄から剥いだシャツを投げ捨てたあとで、数秒動きを止めて沈黙した。
「…ここ、どうしたの?」
「あ?」
「この傷。誰につけられたの」
少しざらついていて、普段より苛立たしげな声だった。臨也の視線をたどり、自身のむき出しにされた脇腹を見ると、肌に大人の人差し指ほどの長さの切り傷がついている。少し記憶を遡って、まだ仕事をしていた今日の午前の出来事に行きついた。
「知らねえガキのグループに喧嘩売られた」
突然ナイフで切りかかられて、よけきれずについた傷だ。切りかかってきた相手はその直後、池袋の空中を飛んで街灯と抱き合う羽目に陥ったが。
筋力が人並みを外れている静雄だが、肌の表面だけはさほど常人と変わりはない。勢いよくナイフで切り付けられれば皮膚は傷も付くし血も出る。治癒能力が高いので、放っておいても問題はないが、思いきりよく皮膚を裂かれたので完全に傷が消えるまではまだ時間がかかるだろう。
「…ふうん」
大して面白くもなさそうに呟いたかと思えば、その傷跡に軽く爪を立ててくる。途端に走った痛みに、思わず声を漏らした。
「…ッ、てっめえ!」
思いきり顰めた静雄の顔を見て、臨也は唇の端を持ち上げて笑って見せた。獰猛な笑顔だった。ぞくりと悪寒を感じて臨也の身体を押しのけようとすると、思いきり体重をかけて抑え込まれる。
「おっと。暴れないでよ、このベッド狭いんだから」
「手前みたいな存在を想定した買ったベッドじゃねえんだよ!」
「うるさいなあ」
文句を言いながら、静雄の脚を持ち上げてその間に自身の身体を割り込ませる。スラックスと下着を乱暴に下げたかと思うと、ゆるく反応を示す性器の下の後孔に指を差し込む。まったく潤いのないままに無理にこじ開けられる痛みに、静雄は上ずった悲鳴を上げた。
「く、ぁ……!ぬ、け……!」
「痛い? でもシズちゃん、痛いの好きでしょ?」
「んなわけ、あるか……、っひ……!」
本数を増やされて、内部で開かれる感触がある。痛みと摩擦に、うっすらと目に膜が張った。
「やっぱり、あんまり濡れないと入れにくいね」
そんな理不尽なことを呟いて、臨也は一度内部から指を引き抜くと、萎えかけた性器を扱き始める。すぐに反応を強くしてこぼし始めたカウパー液をその指に絡め、再度内部に侵入させた。
「ふあ……、く……ッ」
多少滑りをよくした指が、ずるりと中に入ってくる。その刺激に身を震わせて、静雄は臨也の背に縋った。内部を動き回る違和感が、急速に快楽に変わっていく。それが悔しくて、静雄は臨也の髪を軽く引いた。
「……何?」
「気軽に抱きてえなら、……ッ、他の女でも抱いてこいよ」
「それはそれで楽しそうだけどね。今はとりあえず、目の前で涎垂らしてるやらしい体を食べないと」
嫌味に整った顔に、欲情の匂いを強く漂わせて臨也が笑う。それを睨み返す間もなく、くちゅりと湿った音を響かせて指を抜く。足を抱えられたかと思うと、すぐに指よりもずっと熱い塊が押し当てられて、静雄は息を詰めた。
「ん、ア……! や……ッ」
ろくに慣らされてもいないし、押し入ってきた性器には、ゴムもほどこされていない。潤いも明らかに足りていない。だがそんなことをまったく気にする風もなく、一度奥までそれを侵入させると、馴染むのさえ待たずに律動を開始した。
「まて……ッ、あ、ク……」
配慮も遠慮もなく奥を突き上げられ、罵倒も文句も、うまく言葉にできない。安いパイプベッドが軋む嫌な音と、粘着質な音、それから荒い息遣いが、薔薇の仄かな香りが蔓延る部屋に響いている。
自分の上で激しく腰を揺らす男を見上げると、いつもよりきついのか、眉根を少し寄せて耐えているような表情を作っている。それを見ると、なぜかいっそう興奮を煽られてくる。
「は……、あ、ぁ……!」
感じ入っていることを隠せていない自分の嬌声が、また少し高くなる。
臨也の些細な表情一つで欲を煽られる自身が悔しくなり、静雄は臨也の首に腕を回してきつく抱き込んだ。
荒い息をついている臨也の首筋に縋るように唇をつけ、ほんの軽く歯を立てる。それから、臨也も余裕がなくなっていることにかこつけて、強めに薄い皮膚を吸った。唇を離すと、首の後ろあたりに赤い痕が確認できる。
限界が近づいていることを感じながら静雄は、白く染まっていく思考のなかで、ざまみろ、と思った。
臨也の肌に、濃い赤の痕は確実にしばらく残る。せめてその間だけでも、他の人間を抱けなくなればいいのだ。
強い快感に滲む視界に、その真紅だけが鮮やかだった。



     *     *     *     *     *



あの部屋に染みついている煙草の匂いが臨也の服に移っている。更に、今日は薔薇のわずかな芳香も加わっている。静雄が意識を手放したので、これ幸いにとベッドの下に落ちていた大量の花を持ち出したのだ。
誕生日に、両手で抱えねばならないほどの真紅の薔薇を携えて、しかしそれでも臨也の気分は険悪だった。ちらちらと集まる視線をきれいに無視して都心を闊歩し自分のオフィスに入ると、臨也は花をソファの上に投げてさっさとパソコンの電源を入れた。
「意外に早かったのね。今日は仕事はしないんじゃなかったの?」
雇用主の帰還に、いっそ面倒そうな視線を投げかけながら、波江が尋ねてくる。臨也はいくつかのウィンドウを立ち上げてキーを操作しながら答えた。
「ちょっと急に調べ物ができてね。波江さん、手が空いてたら手伝ってよ」
「いいけれど」
「そう。じゃあちょっと、ネット掲示板で池袋関連の今日の書き込みを調べてくれる? 検索ワードは、平和島静雄」
「……また、何かあったの?」
呆れ顔で尋ねてくる秘書に、臨也は唇を釣り上げた。
「ちょっと俺個人で報復したい相手ができてね。まあ、たぶん今すでに病院のベッドの上にいると思うんだけど」
あの肌に自分以外の人間が傷をつけることなど許さない。そんなことを暗く考えながら、臨也は池袋近くの病院で今日搬入されてきた急患の状況を調べる。
「そう」
それ以上何も聞かず、波江は手にしていたファイルを一度デスクの上に置いた。自分用にあてがわれたパソコンの方に近づいてくる。が、チェアに座る前に、ふとソファの前で歩みを止めた。
「その前に、この花、花瓶に挿していいかしら? 萎れてきていて少し気になるの」
「好きにすればいい」
波江の視線の先には、無造作に置かれた真紅の薔薇の花が転がっている。
弟からもらった花がないとなれば、あの男は慌てて探し回るだろう。そしてすぐに臨也が持ち出した可能性に気付き、このオフィスまで追いかけてくるかもしれない。それはそれで楽しそうだ。その程度の考えで持ち出した薔薇である。活かそうと枯らそうと関係がない。それよりも臨也は、己のいらだちを癒すべく報復を優先させた。
だがそんな臨也の耳に、わざとらしい大袈裟なため息が聞こえてくる。優秀な秘書のため息だった。
「何? 波江さん」
「あなたも、その首筋のそれをどうにかしなさい。気になるし、みっともないわ」
己の細い首筋の後ろあたりを指さして場所を臨也に示しながら、浪江は近くにあった自身のバッグを引き寄せてコンパクトケースを出し、臨也に差し出した。受け取ったコンパクトを開け、小さな鏡に浪江が示したあたりを映す。己では見えにくい個所に、盛大な鬱血があった。正面よりは後ろに近い個所なので、シャワーを浴びても気付かなかったらしいが、しかし臨也の髪の短さなら、周囲の人間には確実に見える位置である。
他の女と寝てこいと言ったくせに、意外にかわいい真似をする。途端に、臨也は愉快な気分になった。
「波江さん、やっぱりその花、きちんと活けてよ」
「……何? 好きにしろって言ったのに、気が変わったの?」
「そう。それは持ち主に返す。たぶん間もなく、取りに来るでしょ」
オートロックなどものともしない勢いで。そうしたら、もとより臨也のものではない花など素直に返してもいい。もっと情熱的な花を、静雄からもらったようなので。
だがその前に報復を終わらせねばならない。臨也は小さな鏡をかざしてもう一度だけ鬱血を見てから、ケースを閉じて波江に返し、マウスを繰った。

鬱血の痕は、できそこないの赤い花に似ていた。


(ROSY-PORNO)
(2011/05/12)





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