ラブアフェア2 | ナノ


「…シズちゃんと同じ年に、なりたいよ」
俯くことの少ない少年だった。不遜な態度で、いつだってどこか人を馬鹿にしたような顔で静雄を見上げてくる。そんな臨也が、今日は俯いて地面を睨みつけている。常とはあまりに違うその姿に呆気に取られながら、静雄は彼に一歩近づいた。
すると、少し潤んだようにも見える臨也の瞳が、それでも強い光を帯びて静雄を見上げてくる。その視線の強さに驚くより先に、ぐっとバーテン服のベストの肩のあたりを臨也の手が掴んだ。衝撃に思わず目を眇める静雄だが、普段なら理性が失われるようなそんな行為も、怒りのゲージを上げることはなかった。肩を掴む臨也の手が、少し震えているように思えたからだ。縋ろうとするような必死さを感じた。
「おい、臨也…」
手を離せ。その言葉を、続けることはできなかった。臨也からの接触は、けして多くはない。これで二度目だな。ふと、そんなことを思った。

        *        *

小雨に煙る浅い春の日に、他の人間がどこかしら恐怖と蔑みを込めて遠巻きに静雄を見るなか、真っ直ぐに静雄に近づいてきた子供が、臨也だった。目つきの悪い子供だな、というのが第一印象である。それはお互い様だ、と思えるほど自身を冷静に見てはいない高校生の頃の話だ。
次いで思ったのが、随分ときれいな顔をしたガキだな、ということだった。いっそ冷たいようにさえ思えるほど、整った顔をした子供だった。
だが、きれいな顔とは裏腹に、というか、目つきの悪さそのままに、性格と根性の腐りきった子供だということに気付くまでに、それほど時間はかからなかった。子供ではなかったら、思い切り殴りつけたくなる性格をしている。自分の胸元までも身長のない子供を殴るほど落ちぶれてはいなかったが、死なない程度にかるーく殴ってやろうか、と思ったことは一度や二度ではない。

「でも静雄がキレない相手なんて、珍しいよね。しかも相手、臨也だろ?」
そんなことを言ってきたのは、風変わりな幼馴染だった。高校で再会したこの友人は、高校を卒業後もなんだかんだと付き合いが続いている。
「知ってんのか?」
「臨也は有名だからね。君とふたりで公園で過しているのは、この近所では結構よく知られていたよ」
臨也は君の怒りを買うにはもってこいの相手だと思っていた、と新羅は笑う。それはその通りだろう、と静雄は憮然とした。
別に今までも、臨也に対してキレなかったわけではない。ちょくちょく怒りは爆発していたが、臨也の逃げ足の速さと、一回り以上も年下の相手を殴ることに対する躊躇いとが、結局臨也を殴り飛ばしてこなかった主な理由だ。そう告げるが、目の前の新羅は、それを簡単に否定する。
「そうかな? 高校の頃、君は生意気な中学生くらい、いつだって簡単に文字通り吹き飛ばしてきたじゃない。臨也ももう中学生だし、別にそこまで小柄じゃない。それなのに君が彼を殴らないのには、何か別の理由があるんじゃない?」
「………」
ない。とは言い切れなかった。


いつのまにかそこにいて人の神経を害する小柄な少年に対して、静雄は「ノミ蟲」と綽名した。
「ちょっとシズちゃん、それ失礼でしょ!」
「あ? 手前こそ、その呼び方やめろ」
知り合って3年目くらいの頃の話だ。臨也はランドセルではなく、いつの間にか一丁前に学ランを身につけるようになっていた。春先には糊がきいて初々しかった制服も、随分と着慣れてきた。そんな季節だ。
「シズちゃんはシズちゃんでしょ」
「…じゃあ手前はノミ蟲でいいだろ。ノミ蟲」
ぴくりと動くこめかみを押さえながらも、なんとか口元を笑みの形に作って馬鹿にするようにノミ蟲と連呼すると、臨也は苛立たしげに顔を顰めた。その様が、普段はどこか大人びて見える少年を年相応に幼く見せて、静雄は愉快になる。自分でも大人気ないとは思うが、それでも軽くあしらうことはできなかった。
「大体、ノミってなんだよ。俺そこまで小さくないし」
「はあ? 小せえだろ」
「今年に入ってもう4センチも伸びたよ」
静雄の目の前で、少年がぴんと背を伸ばす。少年の頭の天辺が、やっとなんとか静雄の顎辺りにくる程度だった。
「絶対、シズちゃんより大きくなるよ」
「…それは無理だろ」
胸をはる少年に、静雄は苦笑する。静雄は長身の部類に入る。一方で臨也は、同年代の少年達と比較しても恐らく平均の域を出ていない。本格的な成長期がこれからくるとしても、骨格からして爆発的に大きくなるとも思えない。静雄の身長を越すことはないだろう。
それでも、デカくなったな、と静雄は思う。癪なので声に出したりはしないが。
出会った頃は、静雄の胸元までしかないような少年だった。何故か定期的に会っていたから気付かなかったが、立ち並んでみると、もうここまで大きくなっていたのか、と月日の流れと成長期に感嘆するばかりだ。
そうか、成長するんだよな。静雄はその事実に、少しだけ胸が痛むような感覚を持った。楽しげに意味のない追いかけっこを繰り広げて、いつまでも静雄の心の平穏を邪魔するような年ではないのだ。


「苛立つばっかりなのに、どうして臨也と一緒に過ごすんだい?」
高校を卒業したあとで、真っ当とは言い難いながらも医学の道を志す幼馴染に、聞かれたことがある。もっともな疑問だが、静雄はそれに対する明確な答えは返せなかった。きっかけとなった安っぽい折りたたみ傘に未練があるわけでもない。当然、手元に帰ってくるに越したことはないが、いつまでもそれに拘っているわけでもない。
ならどうして臨也と関わり続けるのだろう。それを自問するとき、いつも思い出す光景がある。ほんのささいなことだ。恐らく臨也自身はもう覚えていないだろう。だが静雄はそれを忘れられずに、まだあの公園に通っているのだ。


そうこうして時は過ぎ、静雄が高校を卒業してもう3年近くが経過していた。
静雄は高校卒業後、自宅から近く賃料の安いアパートに住み、アルバイトをしながら生計を立てていた。だが、生来の短気と人間離れした怪力が邪魔をして、どのアルバイトも長くは続かない。その日も、アルバイト先で客と口論になってレジのカウンターを持ち上げてしまい、解雇を申し渡されたあとだった。
晴れやかさとは対極にある静雄の気分を表すように、いつ雨が降り始めるとも知れない、思い灰色の空が広がる夕方のことだ。
「…バーテン、か…」
アルバイト先からとぼとぼと帰る道すがら、駅の西口あたりを歩いているときに、洒落たバーの店先で店員募集のチラシを見つけた。夜間業務のためか賃金は悪くない。さらに、アルバイトから正規従業員としての採用の道あり、という煽りも魅力的だった。
だが、極度に短気だという自覚のある静雄に、接客業が務まるとも思えない。他に何か探さないと、とつらつらと考えながら帰途にある公園を覗く。臨也と初めて会った公園である。そこに、臨也の姿があった。
特に何か約束をしているわけではないが、臨也は放課後よくこの公園をうろついていたし、静雄も実家も今の賃貸アパートも近いこともあり、よくここで会っては苛立ちを煽る追いかけっこをしていた。
その日の臨也はやはり学校帰りなのだろう。身にだいぶ馴染んできた学ラン姿でベンチに座り、膝に本を広げていた。
教科書や参考書の類なのか、それとも文芸書の類なのかは静雄には分からない。だが、少し顔を俯けて一心に文字を追うその横顔は、いつも静雄の苛立ちを煽る人を馬鹿にしきった顔とはまったく異なるもので、声を掛けることを躊躇わせるには十分な姿だった。
「ねえあれ、折原君だよ」
「ほんとだ」
やっぱりかっこいいよね折原君。公園の入り口を通りかかる、臨也と同じ中学に通っているらしい女生徒が、声を弾ませてそんなことを言い合いながら静雄の傍を通り過ぎていく。静雄は結局、臨也に声を掛けることはせず、足早で公園の前を通り過ぎた。
いつもなら、苛々しながらも無視をすることはしない。それなのに、どうしてそんな行動を取ったのか、静雄自身にもよく分からない。ただ、まだまだ成長途中にある少年と、真っ当に働くことさえできない自身の姿を突きつけられ、漠然と、そろそろ距離を置くべき頃なのだと思っていた。その結論に至ると、少し悲しくも感じる。
7つも年下の臨也を、弟のようだと思ったことはない。まして、友人だと思うはずもない。それでも、数年にわたり、彼に関わり続けてきた。
俯いて歩く静雄の項に、ふとかすかな水の感触が当たった。反射的に空を見上げる。重い色の空から、雨が落ち始めたようだった。

軽やかな音を立てて降りだした雨の中、何度も繰り返し思い浮かべてきた光景を、また静雄は思い浮かべた。


雨の降る、公園だった。高校の帰り道、ふらりと立ち寄った公園でベンチに座っていると、見覚えのある少年が歩いてくる。高校最後の四季がめぐりはじめて春が過ぎ去った、梅雨の頃だ。傘は持っていなかった。とことこと歩いてくる少年に、少し前に予備の折り畳み傘を取られたせいもある。
だが、それを咎めるほど、その日の静雄には余裕がなかった。いつもより派手な乱闘を繰り広げたあとだったからだろうか。
「また、怪我してるの」
「うっせえな」
大き目の傘を重そうにさす臨也に声を掛けられるが、返事をするのも億劫だった。パイプのようなもので殴られたため、武器の当たった頬の辺りが赤く腫れているはずだ。殴った相手は文字通り殴り飛ばしたし、治癒力の高い静雄のことなので、少しここで時間を潰していれば、帰宅するまでには完治するだろう。
臨也は静雄の不機嫌な様子に、何も言わずに離れていった。こんな雨の日に、逆立った神経を隠そうともしない静雄と追いかけっこをする気にもなれなかったのだろう、と静雄は、少し心を沈ませて瞼を伏せる。少しそうしていると、ふと頬に冷たい感触が当たった。
「…うわ…っ、…臨也?」
「みっともない顔さらしてないで、腫れを引かせる努力しなよ」
驚いて瞼を開けると、傘を下ろした臨也が、腫れた静雄の頬に塗れたハンカチを押し付けていた。どうやら、近くにある水場にハンカチを濡らしに行っていたらしい。
「おい、いいから離れろ。つうか傘させ。風邪引くだろ」
静雄にしてみれば、大した怪我ではない。それよりも、臨也がさしていた傘を降ろしていることの方が気になった。だが臨也は、離れようとはせず、静雄の肩に手をかけて布地を頬に当て続けてくる。
「少しじっとしてなよ」
子供らしさの過分に残る臨也の体は、立っていても、ベンチに腰掛けている静雄の高さと変わらない程度しかない。それでも、力尽くで振り払う気にはなれなかった。熱を持っていた患部に、冷たい布地の感触は酷く心地いい。
静雄は黙って、自分に触れてくる、幼いながらも怜悧に整った顔を見ていた。

ただ、それだけの出来事だ。けれどそれだけのことに捕らわれるように、静雄はそれから臨也にかかわり続けてきた。


*         *

臨也からの接触は、まだ出会って間もないその日以来だった。
あのときよりも力強い手が、縋るように静雄の肩を掴んでくる。あの日、座っている静雄と変わらない大きさだったはずの彼の身長は、やはり静雄には届かないまでも、それなりに近づいた。お互い立っているのに、視線が絡む。こんなときなのに、静雄は臨也の成長振りに改めて驚いた。
震えるような指先と、強い光を帯びて静雄を見上げてくる瞳。臨也が何を訴えたいのか、静雄には理解できない。だがやはり突き放すことはできなくて、静雄は困惑する。離れる気のなさそうな臨也の髪に、静雄は少し躊躇わせたあとで、右手を軽く置いた。出会ったあの雨の日にもした仕草だ。年下の子供を宥めるのに、それ以外の方法を知らなかった。
だが、もうあの頃よりずっと大きくなってしまった彼に、同じ方法は通じなかったらしい。静雄からのそんな接触に、臨也は思い切り眉根を寄せた。不快がっているというよりは、泣きそうな顔だった。
「やっぱりシズちゃんは、何も分かってない」
「手前、何言って」
言いかけた言葉は途切れた。少年から青年へと変わる狭間にいる彼の、思いのほか強い力で、腕を引かれたからだ。咄嗟のことでバランスを崩す静雄の顔に、臨也の手が触れる。次いで、唇に柔らかな感触があった。
ほんの一瞬の接触のあと、すぐに離れたそれに、静雄は呆然と臨也を見る。臨也は相変わらず、強い瞳で静雄を睨んでいる。突然の行為に対する怒りは湧かず、それよりも、ああ、泣かせてしまったな、と静雄は思っていた。あの雨の中で最初に臨也が触れてきたあの日から、彼を泣かせることだけはしたくないと思っていたのに。
「…臨也」
躊躇いながら呼ぶと、びくりと肩が揺れた。静雄が驚くほどの力強さで腕を掴んだくせに、こんなところはまだ幼い。あの日からずっと引きずってきて、少しずつ形成されてきた感情に、唐突に、気付かされた。


(ラブアフェア)
(2011/04/20)






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