いばらのエデン1 | ナノ


※イザシズっぽいパラレルで、なんとなーく雰囲気は西欧の近世序盤くらいです。が、この設定はどうでもいいです。
※死にネタを含みます。苦手な方は避けてください。


大切な秘め事は、誰も踏み入ることのできない、いばらの中に。



これから僕が記すことは、言ってみれば無情迅速のこの時代に埋もれてしかるべきただの手記であって、歴史学的に意義のあることだとか、あるいは壮大な抒情詩であるとか、そういったものではないんだ。亡き人への慰めのつもりもなければ、亡国への鎮魂のつもりもない。ただ、すべての人に平等に流れていく時間のなかで、それに抗って私が鮮明に覚えておきたいことを書き留めておきたいだけのものだから、僕の人生が終わるときには一緒に処分して欲しい。
俺以外の人類にとってなんらの利益にもならないことだけれど、世界中で私だけは、忘れたくはないことなんだ。

そう長々と書く気はない。私はセルティと一緒にご飯を食べたり、お茶を飲んだりする時間を愛しているから、それ以外のことに割く時間はあまり有してはいないんだ。今セルティはキッチンで僕のために、なんだか凝った料理を必死に作ってくれていて、僕はひとりきりこの書斎にいる。この時間だけで書ききりたいんだ。だから、長くは書かないよ。簡潔に、必要なことだけ。
そうだな、まずはどこから書こう。
今は亡きかの国が、まだ抗っていたあのとき。すでに終焉を迎え始めていたある夜の話からはじめようか。




けしてまっとうなことばかりをしているわけではないが、それでも参謀をはじめとする多くの重鎮に重宝されている闇医者・新羅のもとに、平和島静雄が訪れたのは、深夜に程近い時間帯だった。
「ああ、静雄。遅かったね。また臨也に小言を言われていたのかい」
「小言なんてかわいいもんじゃねえだろ。わけわかんねえこと言って切りかかってきやがって」
ああうぜえ、と忌々しげに吐き捨てながら、静雄は診察台に座った。この男はその人間離れした膂力を買われて、下級貴族の子ながら、精鋭と名高い一個連隊を率いる立場になっている。実際は静雄が敵軍に一人で突進し、敵を殲滅しているのが実情ではあったが。
怖ろしく頑丈な男ではあるが、それでもやはり本質は人間であるので、幼馴染である臨也は定期的に静雄を呼んで、その身体を診察していた。
「…ったく、あの野郎…」
新羅が診察している最中も、静雄はこめかみに血管を浮き上がらせながら、ぶつぶつとここにはいない男への不満を口にしている。相手は、折原臨也という。王族の子息にして、軍の統帥でもある男である。
静雄と臨也は犬猿の仲として知られていた。静雄は沸点が低く、その存在そのものが凶器のような男だ。大して臨也は、人が好きだと公言するが、人の扱いは荒く、その中でも静雄に対しては群を抜いて厳しい。
一度顔を見合わせれば、そこが宮中だろうと何だろうと構わず静雄は上官にあたる臨也に対しても容赦なく本気で戦闘を仕掛けたし、臨也も臨也でそれを受け流すことなく応じてきた。
いつか本当に殺しあうのではないか。二人を知っている誰もがそう囁いているし、新羅も二人の諍いを見るたびにそう思う。だが、二人が互いに抱く感情を、殺意という1つの概念だけで説明していいものか、新羅は疑問に思っている。
そもそも、静雄の体を診察するように、と新羅に命じたのは、臨也だった。「化け物でも立派な兵器だからね。あんまり早く壊れられると困るんだよ」。そんな理由が、こじつけに近いことを、おそらく新羅だけは知っていた。


自国の領土拡大が正戦となる理由としてまかり通っている昨今、この小国が生き残るには、他の小国を探し出して同盟を結んでいくか、それとも大国の属国と化すかくらいしか手はない。だが無駄に歴史と誇りがあるこの国は、そのいずれの選択肢をも拒絶した。残る道は、迫り来る大国に勝ち続けるしかない。しかし、それも厳しいように思われた。
周囲の国は産業を育て、あるいは兵法に特化し、国力を強めている。だが一方でこの国は資源もなく、国政は古い制度に囚われている。いずれ、滅びるさだめにあるのだろう。むしろ今まで、他国の侵略を許していないことの方が奇跡だ。それすら、平和島静雄と、その背後にいる折原臨也が生み出した奇跡に他ならなかったが。
静雄と臨也が生身の人間である以上、この奇跡は永劫に続いたりはしない。どちらかが、あるいは双方が欠けてしまえば、この奇跡も跡形もなく消えるだろう。
平和島静雄の、その最強と言う謳い文句にあまり似つかわしくない細身の体には、うっすらとではあるが、鋭利な刃物で裂かれた傷が残っている。静雄の体は特異で、その筋組織は殆んどの刃物を通さない。だが、肌は傷を残すこともあるし、あまりに多くの傷を負えば、体力が下がることもある。あまりに多量の血液を流せば、おそらくは死に至ることもありうるだろう。もし、今はもう薄くなっているこの傷が、もっと深いところに達していたら、すでにこの国は、存在しなかったかもしれない。

静雄がその傷を負ったのは、激しい戦いの最中だったという。彼が一般の兵であったなら、即死だっただろう。だが静雄は、傷を負っても敵軍殲滅という任務は果たし、自身の足で城へと帰ってきた。
これも新羅以外は誰も知らないことだが、静雄は戦場から帰ってきて、まず最初に臨也のもとを訪れる。その時も、肌を裂かれ血を零しながらも、静雄は臨也のもとに行ったらしい。そしてそのまま、意識を失ったのだという。
「本当に、迷惑な化け物だよねえ」
治療のために新羅を呼びつけた臨也は、口元を歪ませて忌々しげにそう吐き出した。
実際、勝利の報告の最中に意識を手放したのは静雄の落ち度といえなくはないが、ほぼ身一つで敵陣を殲滅させた功労者に対するねぎらいの言葉にしてはあまりに情がない。だがそれを咎める気にはなれなかった。臨也が、手当てを施して「大丈夫、この程度の傷、静雄なら数時間で復活するよ」と告げたときに、溜め息を零したことを知っていたからだ。それは限りなく、安堵の吐息に似ていた。




臨也は王族の子だが、妾腹で、王宮で生まれ育ったが王族内での立場はけして強くはなかった。だがその明晰と称される頭脳と情報収集能力で、軍の指導者として確固たる地位を築いた。妙に子供じみた言動も見せるが、基本的に臨也は完璧な軍人だった。戦術に長け、自身もナイフや体術の相当の使い手で、統率力に優れ、人前で取り乱すこともしない。おそらく臨也が軍のトップに君臨していたことは、この国の尽きかけていた寿命を延ばすことにかなり貢献しただろう。
そんな臨也が、おそらく唯一弱みを見せる相手が、犬猿の仲と呼び声の高い平和島静雄だった。新羅はそれなりの確信を持ってそう主張できる。

ある日の昼下がりのことだ。新羅は王城の奥庭を散歩していた。城の深い場所は、王やそれに準ずる王族の住まいであり、親兵以外は滅多なことでは足を踏み入れることができない。だが新羅は、王族も顧客に持つ医者であって、病に臥せるとある皇子の様子を見に行っていたのだ。
興味本位に庭に出てみると、意外にもそれほど手の込んでいない、ワイルドな庭だった。庭師が手を抜いているのではなく、おそらくそういう趣向なのだろう。
木々が生い茂り、柔らかな木漏れ日が降り注ぐ小路を歩くと、やがて薔薇園に出た。どれも見事に剪定されているとは言いがたく、好き放題に枝を伸ばしている。どこかで花も綻んでいるのか、芳しい匂いも漂っていた。数代前の王妃が薔薇をこよなく愛していたと聞くので、その名残の薔薇園なのかもしれない。
そんなことを考えながら歩みを進めていたが、新羅はふと、その足を止めた。幾重にも薔薇の蔦が伸び絡まる中に、古びた木製の長椅子が置かれている。随分と長い間そこに置かれていたことを窺わせるほどに色が剥げかけていて、とても王城に似合うものではない。だがそれよりも新羅の気を引いたのは、そこに腰掛けている人影だった。
金髪と、そのすぐ隣りに黒髪が見える。どちらも見知った影だった。静雄と臨也だ。
驚いたことに臨也は、静雄の肩に凭れかかって寝ているように見えた。人を蔑むような瞳が閉ざされていて、子供のような寝顔をしている。静雄は起きているようだが、そんな臨也を煙たがる様子もない。むしろ、新羅の気配に気付いたらしい静雄は、小さく苦笑してからそっと人差し指を自分の口のところに持っていった。
“静かに”“起こすな”。そんなメッセージを感じ取る。
昼下がりの木漏れ日が降り注いで、甘い匂いのする薔薇園を優しく包んでいる。
いばらの中の二人は酷く安らいでいるように見えた。邪魔をする気になどなれなくて、新羅は何も言わずに静かにその場を立ち去った。




臨也と静雄の仲が、けして良好だと思ったことはない。けれど、いばらの蔦に抱かれるようにして休む二人を見たときに、二人の間にあるのが憎悪や殺意だけではないのだといういことも悟った。
静雄は相変わらず、臨也のことを話題にすると今すぐにでも怒りのゲージが振り切れてしまいそうな顔をする。だから新羅は、それとなく臨也の方に探りを入れてみた。
臨也は饒舌だが、語りたくないことについては貝よりも口が固い。ようやく引き出せたことは、臨也と静雄は子供の頃に会っているということだけだった。王の護衛官だった父親に連れられ、静雄は幼少の頃からよく王城に出入りしていたらしい。
「あの頃から信じられないくらいの単細胞だったなあ、シズちゃんは」
「ふうん。でもそれからずっとなんだかんだ言いつつ傍にいるなんて、なかなか腐れ縁だねえ」
「そうじゃない。…そういう約束なんだよ」
瞼を少しだけ伏せて、臨也は答えた。胸に秘めた大切な何かを思い返しているように、あたたかで寂しい声だった。新羅は気付いた。多分それは、誰も触れることのできないものなのだ、と。


(いばらのエデン)
(2011/01/22)






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