Last Scenes4 | ナノ


虚しい心持のまま立ちすくんでいた街中の雑音が、気付けば妙にはしゃいだ声に変わっている。
池袋を行きかう人の群れも、見慣れた紺の制服に身を包んだ若々しい少年少女たちの姿に変化していた。リノリウムの床。整然と立ち並ぶ、見飽きた机。鞄を探り、古い型の携帯電話を取り出すと、ディスプレイは予想したとおりの日付を示していた。
大して回らない思考のまま臨也はゆっくりと、しかし慣れた足取りでベランダへと向かった。雑然と校門へと入ってくる生徒の中に、一際鮮やかに映える金髪長身の姿がある。その眩しさに臨也は一度目を細めて、それからぐっと強く瞼を伏せた。


○ Third Sequence


服従させることには失敗して、関わらずに過ごせば虚しさと後悔が残る。それならば適度に関わればいいのではないか。臨也はこれまで、考え付くこともなかった選択肢をこのシーケンスで選んだ。
すなわち、平和島静雄の「友人」として過ごしていくのだ。それも、ただのクラスメイト程度ではない。高校時代を終えても、互いの存在を深く心に残せる存在、つまり、親友と呼べるような間柄になる。
この選択肢を思いついたときは、「あの化け物と、俺が親友?」と苦笑したものだが、考えてみれば臨也にも静雄にも親友と呼べる存在はいなかった。これはこれで、あの化け物の新たな一面を見られて楽しいかもしれない。そう臨也は言い訳をした。

平和島静雄と親友になることは、想像していたよりも難解だった。何せ静雄は自身の膂力のせいで、あまり人との接し方を知らなかったし、その上臨也に代表されるような理屈っぽい人間を苦手としている。入学当初、静雄は臨也から話しかけても、眉根を寄せて素っ気無く言葉を返すだけだった。
だが臨也は知っていた。平和島静雄という人間は、自分を慕ってくる相手を、絶対に無碍にはできない男だということを。臨也に対する態度も、胡散臭いものを見るものから次第に慣れ親しんだ相手に対するそれに変化していった。
「おはようシズちゃん」
「ああ…つうか手前、シズちゃんって呼ぶな」
「それよりさ、今日の数学、当たるよねえ。あの先生、出席番号順だし」
「…げ」
「あーあやっぱり忘れてた? シズちゃんってほんと、鳥頭だよねえ」
「うっせえ」
こんな、いかにも高校生みたいなオリジナリティの欠片もない会話をして、臨也のノートを必死に写し出す程度には、静雄も慣れてきた。



「君と静雄の関係って不思議だね」
と言ったのは、新羅である。
「不思議?」
「不自然だって言い換えてもいいよ」
あまりいい言葉ではないそれに、臨也は眉を顰める。新羅は、「怒らないでよ」とひらひらと手を振って笑みを浮かべる。
「不自然って何が」
「んー、君は、静雄みたいなタイプは問答無用で敵視すると思ってたんだよね。それなのに妙に静雄を甘やかしてるだろ」
「…別に甘やかしてるつもりはないんだけどね」
「はたから見れば十分に甘やかしてるよ。君のことだから何か裏があって虎視眈々と静雄の首を狙っているのかと思えば、そういうわけでもなさそうだし。なんだか君は、静雄に敵視されたり無視されたりすることを妙に怖れているみたいなきらいがあるね」
その見解はけして間違っていない。都市伝説の首なしライダーにしか興味がないくせに、新羅は妙に鋭い男である。臨也は内心で舌打ちをしながら新羅の言葉の続きを待った。
「…静雄も、何で君に優しくされるのか不思議に思っているみたいだね。でも静雄はああいう性格で、優しくされ慣れていないから、突っぱねることもできないで君への依存を高めてる」
それこそが臨也の狙いである。臨也に自由を蹂躙されて無理に服従させられることも、交わらない距離を続けてやがて臨也を忘れることもなく、友人として臨也に依存する平和島静雄。それがこのシーケンスで得たものだった。
「ほら、こうして考えてみると、不思議で不自然な関係だろ?」
そう締めくくり、新羅は臨也を見た。臨也は唇の端を持ち上げる。自嘲を含んだ笑みになったことは自覚していた。
「…どんなに不思議で不自然でも、満たされたいんだよ」
もう、失う恐怖も忘れられる虚しさも真っ平だ。あんな思いをもう一度するくらいなら、この拙く歪つで滑稽な関係を長く続けていくことを選ぶ。
臨也は、何度もシーケンスを経て結局何をしたいのか、その回答を見失っていた。
「なんのことだい?」
「なんでもないよ」
そろそろ、窓ガラスを割って教育指導室に呼ばれていた静雄も戻ってくる時間だ。臨也は新羅との会話を打ち切り、静雄を迎えに行くべく教室をあとにした。



実のところ、新羅に指摘されるまでもなく、自分と静雄との関係の歪さを臨也はよく理解していた。
理屈の通らない、沸点の怖ろしく低い静雄と、理屈をだらだらと並べることを趣味とする、人を蔑んだような目をしている臨也。誰がどう考えても、今のぬるま湯のような関係は不自然だ。
静雄もそれを感じているようだった。ある日静雄は、こう問いかけてきたのだ。
「何で手前、俺に関わるんだ?」
夏に近い昼下がりの屋上だった。授業を自主休講した静雄は、自分の隠れ家としているこの屋上で悠々と昼寝を楽しんでいた。その午睡に臨也が参戦したのだ。
静雄は、いつの間にか隣りに陣取っていた臨也を見て、日差しの眩しさにか少し目を細めた後で、喧嘩人形にしては穏やかな声で問いかけた。
それは、かつてのシーケンスでも受けた問いだった。臨也は自嘲する。そのときの臨也の答えは、こうだったはずだ。
「何でだろうね。何でだと思う?」
「知らねえから聞いてんだろ」
学校は授業中の時間帯のため、屋上はやけに静かだった。空は青く澄んでいて、日差しを遮るものもない。屋上をわたる風は少しだけ強く、臨也と静雄の髪や制服のシャツをゆるくはためかせていた。
臨也は一度、緩く瞼を伏せる。同じ問いをこれまでのシーケンスでも、異なるシチュエーションで受けた。臨也は今まで、その問いに明確な答えを示さなかった。自分でもその答えを見つけてはいなかったからだ。
だがさすがに、三度目のシーケンスを迎えた今になって、臨也はおぼろげながらも、その答えを見据えている。すなわち、幾度出会いを繰り返しても、この男から目を逸らせない理由だ。
だが臨也は、このシーケンスでも、その答えを口にすることを避けた。
「…俺もよく分かんないけどさあ、シズちゃん見てるとつい構いたくなっちゃうんだよ」
「…変なヤツだな」
言って、静雄は微笑んだ。臨也は目を見張る。夏の強い日差しの中で、すぐに溶けてしまいそうなほど、柔らかな笑い方だった。
そんな顔を見せたりするから、また目を逸らせなくなる。
青い空を背景に、静雄の金の髪が泣きたくなるほど鮮やかだった。



どんなに不自然で歪つでも、このシーケンスはうまくいっている。臨也はそう思っていた。
静雄は相変わらず沸点の低い喧嘩人形として名を馳せているし、臨也は臨也で情報屋としての地盤を固めることに忙しい。それでも二人は、何故かそれなりに仲の良い友人として年月を経てきた。このシーケンスは悪くない。


だが結局、満足は得られないかもしれない。そう気付いたのは、高校二年も終わりが見え始めたころの、修学旅行の夜だった。

修学旅行に際して、クラスメイト4〜6名で自由にグループを作ってくれ、というのは表向きの話で、実際に臨也たちに選択の余地はなかった。たち、というのは、臨也の他に変人が際だっている新羅、喧嘩人形と名高い静雄、そしてこの華々しい面子の纏め役にして唯一の良心、保護者の呼び声も高い門田である。この4人には当然他の誰も声を掛けられず、結果として余り者が身を寄せ合う形でまとまるよりほかなかった。
以前ならいざしらず、このシーケンスでは臨也と静雄の仲もけして悪くはないので、余り者グループと言えどこの4人の収まりはけして悪くはない。ほのぼのとした観光地探索など縁遠いと思われている4人だが、そこは皆の保護者こと門田がなんとかまとめてくれた。
多少問題となったのは、宿泊施設での部屋割だった。ホテルでは一部屋2〜3名で一室が与えられる。4人グループである余り者グループの割り当ては2名ずつの二部屋だった。そうすると、まるでそれが世界の摂理であるかのように、臨也と静雄が同室となった。半分程度は教師陣の思惑である。
門田と新羅は、一般の生徒とは一線を画するが、それほど問題を起こす生徒ではない。問題の先陣を切るのは、やはり静雄と臨也である。幸いに何故か仲の良い二人を同室にしておけば、教師陣が目を光らせなくてはならない部屋が一つで済む。そんな教師の思惑に、メンバーの誰も意義を唱えなかった。臨也だけが、まさか周囲の理解のもとで静雄と同室で睡眠を取る日が来るとは思わなかった、と当惑したものだ。

しかし、このシーケンスの臨也と静雄の関係で、たかだか数泊同室で過ごすことに何の問題もあるはずもない。問題があったのは、臨也の内面だけだ。何せ静雄は、当然だが夜になると部屋では薄手の半そでのシャツ一枚とジャージ、といういかにもラフな格好で部屋のベッドに縦に長い身体を投げ出している。静雄としてみれば、それで非難されるいわれはまったくないのだろうが、臨也にとっては色々と思うところがあった。
あるときはその身体の深いところにも触れたことがある。また、あるときは一度もその肌に触れずに終わったこともある。目の離せない身体のラインを薄いシャツのみに覆わせて、臨也の前だというのに静雄はそれなりに楽しげだった。
「臨也、俺明日ここに行きてえんだけど」
「どこ?」
「ん」
ベッドに身体を投げ出したまま、静雄は手にしていたパンフレットを臨也に示した。覗き込んでみると、総合格闘競技道場のチラシである。放って置けばそれなりに穏やかな性質のくせに、妙に戦闘好きな男である。
「ってこれ、伏見じゃない。無理だよ、明日はドタチンの計画通り嵐山見学だって」
「門田説得してなんとか行けねえかな…」
上半身を起こし、静雄は腕組をして考えている。
「鳥頭のシズちゃんに説得なんて無理に決まってるでしょ」
「うっせえな、そう呼ぶな」
自然に静雄の隣りに座ってわざと怒らせるようなことを言うと、静雄は目を吊り上げたが、距離の近い臨也を咎めるようなことはしなかった。
ただし、新羅に対するように簡単に軽い暴力を振るったりはしない。臨也は気付いていた。このシーケンスの静雄は、臨也に対して嫌悪を持ったりはしていないが、代わりにあまりに臨也に触れることもしない。この距離が、妙に焦燥を掻き立てる。
だがそれでも、隣りで今までのシーケンスでは臨也に見せることのなかった自然で穏やかな笑みを浮かべて楽しそうに好きな格闘家の話を始める静雄を見ているために、臨也はその焦燥を胸の奥に隠した。

普段は物静かな性質である静雄は、ひとしきり話して疲れたのか、欠伸をして、隣りにいる臨也を無視して仰向けに寝転んだかと思うと、やがてすぐに寝息を立て始めた。
「…のび太君でも眠るまでもう少し時間かかるだろ」
寝入りのよさに感心したのも一瞬で、すぐに、かつては天敵だった平和島静雄が目の前で眠っているという異常性に沈黙する。浮かんできたのは、妙に胸を締め付けられるような感情だった。そういえば、この白い身体に触れても触れなくとも、寝顔を見たのは初めてだ。喧嘩人形と怖れられる化け物のくせに、瞼を伏せるとそれなりに整った繊細なつくりの顔立ちがよく分かる。見ていると、直接燻られているように胸が痛んだ。
この顔を臨也の前に曝け出す。これがこのシーケンスで臨也が得たものだが、一方で、触れることはできない。押し込めた欲が、夜の淵でちりちりと静かに、しかし確かに痛みを訴え続けていた。



満足は得られない。しかし歪つに甘く穏やかなシーケンスは、長く続くことはなく、ある日突然に途切れた。

そろそろ高校生活も終わりに向けてカウントダウンを開始し、卒業式を翌日に控えた日のことだ。もう既に三年生は自由登校に入っているが、学校というのは臨也のような人間にとっては暇つぶしにはちょうどよい。
臨也はその頃、情報を駆使して手駒を、他校の適当な不良グループと争わせていた。何か壮大な計画があったわけではない。単なる人間観察の一環だった。だがその臨也の趣味の犠牲となり、その不良グループが妙に殺気立ったことは事実だ。
そのグループが、そもそもの諸悪の根源が臨也であることを悟り、卒業前に来神高校にお礼参りに参上したのである。時代遅れも甚だしいことだが、それなりの人数なので感心してもいられない。臨也が携帯電話とパソコンを使って手駒を集めていると、校門前の怒声に悲鳴が混じった。何事かと臨也がガラス窓から校庭を覗くと、ぽーんという擬音が聞こえてきそうな勢いで、時代遅れにも“不良です”とレッテルを張っているような長ラン姿の男が、比喩ではなく空を舞っていた。
不良グループは殺気立った余りに忘れていたのである。この来神高校が、かの喧嘩人形の在籍する学校だということを。
だが、むしろ焦ったのは臨也である。ここで静雄が割り込んでいくことは想定外だ。喧嘩人形を怖れて、学外での出来事には極力触れないでいる教師陣も、さすがに学校内で問題を起こされれば目を瞑ってはいられない。
せっかく就職先見つけたのに、卒業できなくなって内定取り消されちゃうだろ。そのとき臨也に浮かんだのは、そんな馬鹿馬鹿しいほどにありきたりな、陳腐な学園ドラマみたいなことだった。だがそれでも、そのくだらなさに自嘲をする余裕もない程度に、臨也は焦っていたのである。

だから、普段ならば絶対にしないミスを犯した。頭に血が上って、理不尽なほどの膂力をふるっている静雄の前に、無防備に飛び出すなんて馬鹿なことを。

臨也だって、けして一般人ではない。平和島静雄と武力でそれなりに渡り歩いたこともある。だから、静雄の腕から目の前に凄まじいスピードで繰り出されたフェンスの残骸に、最低限の防御を施すことは可能だった。だがそれだけだ。意識を失う寸前に見たのは、突如飛び出してきて、静雄の攻撃に当たった臨也に、柔らかな茶の瞳を見開き、身体を硬直させた静雄の姿だった。



ああ、泣いているのか。そう思った。
このシーケンスの静雄は、かつてなら臨也に見せるはずのない色々な表情を晒す。それは、このシーケンスの静雄にだけ備わっているものではなく、平和島静雄という人間が本来持っている表情なのだろう。そんな表情のひとつひとつが鮮やかで、忌々しいほど目に焼きつく。
今の静雄は、泣いているようだった。俯いて、金の髪が頬に掛かっている。それだけだ。だが臨也は、泣いているのだと思った。
馬鹿だな、まるで俺が君のせいで怪我をしたみたいじゃないか。俺は君のせいで傷つくほど落ちぶれちゃいないよ。そう言って、嘲笑ってやりたいのに、悔しいことに声がでなかった。

それはあるいはただの夢だったのかもしれない。目を覚ましたときに、静雄の姿などどこにもありはしなかった。
「おはよう臨也。君は見た目の割りに結構頑丈だよねえ」
病院の個室で目を覚ました臨也にそう声を掛けてきたのは、新羅だった。忌々しく眉を顰める臨也を尻目に、新羅は滞りなくこれまでの経緯を説明した。
すなわち、臨也は頭部を打って一日ほど眠っていたこと。不良メンバーには救急治療室に運ばれた者も幾人がいたので、それに比べれば臨也は軽傷だったこと。卒業式は、パトカーさえ見守る中で物々しく執り行われたこと。静雄は、出席を禁じられたこと。
「幽君に連絡してみたんだけどね、静雄、どこかへ行っちゃったみたいなんだ」
「…は?」
「家出とかそういうんじゃないみたいなんだけど。遠方で働く、って言って、今日のうちに家を離れたんだって」
臨也は息を飲んで、白いベッドから飛び降りようとする。幸い怪我自体はたいしたことはない。今動けば、静雄の行方などすぐに分かるだろう。だが、その動きを止めたのは新羅だった。
「やめときなよ、臨也。静雄も君に怪我を負わせてそりゃもう茫然自失とはこのことか、って有様だったんだ。多分、君が追っても静雄は逃げるよ」
「……」
いつになく真剣な声で諭す新羅に、ぎり、と音がするほどに、臨也は自身の唇を噛んだ。
不自然に甘い関係で、静雄が臨也に触れることを躊躇っていたのは、臨也を傷つけることでこの関係を壊すことを怖れるためだった。そのことに臨也も気付いていた。結局このシーケンスで、無理に築いてきた砂の砦のような絆の行き着く先がこれだったのだ。
再びベッドに身体を沈め、臨也は目を閉じる。伏せた瞼に浮かぶのは、臨也の前に晒された寝顔であり、あの屋上で「変なヤツだな」と笑った顔でもあった。あの時、誤魔化さずに、ずっと静雄から目を逸らせずにいた理由を告げられていたのなら、今とは違う結末にたどり着けたのだろうか。しかしすべては今更なことだ。
瞼の裏で、静雄が微笑む。どんなに腕を伸ばしても、もうそれには届かない手のひらで、臨也は自身の顔を覆った。


(Last Scenes4)
(2010/12/03)






人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -