パーフェクト・ラブ | ナノ


※イザシズのつもりがイザシズ要素薄めで、モブシズのような何なような。


すべての感情が吹っ切れて、脳を焼くほどの欲に支配される。その欲はあまりに激しく、そしてあらゆる想いを飲み込んでいるものだった。憎しみも嫌悪も侮蔑もある。同様に、隠し切れないほどの羨望や、思慕も、恋慕すらも、確かに含まれているのだと、静雄はとっくに気付いている。
そういった感情をも飲み込んで湧き上がり続ける欲を言葉にするなら、「ぶっ殺す」。紛れもない本心である。
憎しみ嫌悪し、羨み、そして、恋している。それらの感情をすべて混ぜ合わせて、あの男を殺したくてたまらないのだ。

ある夜、気持ちがよさそうに酔っている上司に、静雄も酔っているふりをして尋ねたことがある。
「トムさんは、好きな相手を殺したくなることってありますか」
「んー? ディープだなあ…なになに、好きな女でもできたのか?」
「そーゆーわけじゃないすけど」
「そーだなあ…例えば」
「はい」
「ものすっげ長い間ずっと好きだった女を初めて抱いたときとかなら、そう思ったりもするかもな」
気のいい上司は、「でもやっぱり出来ないだろうけどよ」と笑ってから、手にしていた焼酎のお湯割のグラスをまた傾げた。



長い間、ずっとずっとどうしようもなく惚れた相手を手に入れたとき、人は殺意に似た感情を持ちうるのだと仮定するのならば、常日頃から憎んで厭ってそれでもどうしようもなく想っている相手を手に入れたとき、人はどういう感情を持つだろう。静雄はふと、そんなことを他愛もなく、しかし幾度も考えた。

例えば、名前も思い出せないような男に抱かれているときだ。
静雄は性に対して淡白なほうだが、当然性欲も皆無ではない。特異体質のせいで気軽に異性を抱けないが、その代わりに妙に同性に好かれることに気付いたのは、けして最近の話ではなかった。その上、同性との性交渉に対する嫌悪感も薄い。結果、静雄は気が向いたときに、声を掛けてきた男と寝るようになった。
サングラスを外し、バーテン服を脱いで、少し池袋から離れた街を歩けば、誰も静雄のことなど知らないし注意も払わなくなる。今日も、池袋から山手線で四駅ほど離れた街で、静雄の喧嘩人形という二つ名を知りもしない相手とホテルに入った。
下手に動いて相手の体に傷をつけると面倒なので、静雄は行為の最中は、基本的に動かない。ただ黙って、男の無骨な手のひらが全身を這い、息を荒げながら愛撫する様を、硝子を挟んだその先のことのような、どこか遠い世界のもののように見ていた。
それでも、直接的に感じる箇所に触れられれば、息は上がるし性器も反応する。
静雄は、いささか性急に体内に入り込んできた男のペニスの熱さに喘ぎながら、ただきつく目を閉じていた。
その瞼裏に閃光のように瞬く顔がある。漆黒の髪に鈍く光る赤の虹彩。憎く、疎ましく、そして多分、愛おしい顔だ。
「ッ、あ」
その顔が浮かぶと、大して集中できもしないこの行為にも、体の熱が増す気がする。静雄は目を瞑ったまま、ほぼ強制的に高められていく快感の中で、その影を追いつづけた。




久しぶりの行為のあとで酷く疲れているのに、どうにもすっきりとしない。
さっさと部屋をあとにして、しつこく携帯電話の番号を聞いてくる男を振り払ったはいいものの、未だに電車は動いていない時間帯だった。夏なので、既にあたりは明るくなりつつある。夜の深い藍の闇に、明るい光が混じって、空は不思議と輝いている。
美しい夜明けの空の下で、だがすっきりと晴れない気分をもてあましながら、ふらふらと歩く。眠気に一つ欠伸をし、ふと、駅近くの高層ビル群を見上げたときに、道の向こうから歩いてくる男の影が目に入った。思わず舌打ちをする。
池袋からそう遠くなく、しかし池袋の話題の入り込む余地のないこの大都市の唯一の難点は、この男が活動拠点としていることだ。だが、夜明け頃にも人の多い街だし、狭い都市ではない。何よりこの時間帯だし、会うはずがないと思っていたのだが。
向こうからやってくる黒衣の男も、静雄に気付いたらしい。少し驚いたように目を見開いたあと、その唇を侮蔑の形に吊り上げた。
「…こんな時間に来て、男漁りでもしてたの? 浅ましい化け物は大変だねぇ」
聞きたくない、しかしどこかで聞きたいと切望していた、その声が静雄を蔑む。それは睡眠不足と行為のせいで苛立った神経を、容赦なく抉っていく。
「っせーな。手前こそこんな時間にネズミみてえに動き回りやがって」
言い返すが、近づいてくる赤みを帯びた虹彩は、気にした風もない。ただその酷薄な印象を残す瞳が、まっすぐに静雄を映している。それをきつく睨み返すと、近づいてきた臨也はぐっと静雄の腕を引いた。
「んだよ、触んな」
「ねえ、その辺の男に抱かれたんでしょ?」
「手前にゃ関係ねーだろ」
「まだ足りないって顔をしてるよ」
図星だ。静雄は忌々しく舌打ちする。
相手が悪かったのかどうにも不燃焼気味で、さらにこの男の姿を見たときから、治らない火傷がじくじくと痛みを訴えるように欲が疼いている。
気がつくと、吐息がぶつかるほどに顔が近い。顔を顰める静雄などお構いなしに、臨也は静雄の耳もとで甘く囁きかけてきた。
「淫乱なシズちゃん。俺が抱いてあげようか」
透明感のある声が、侮蔑の言葉と甘い誘いを一緒に紡ぐ。臨也が、静雄の性的嗜好を知っていることは随分前から悟っていた。だが、この男がこんなふうに直接的に誘いをかけてきたのははじめてだ。
静雄は思わず、男の顔を凝視する。出会ったときからずっと追ってきた厭わしい顔が、至近距離で静雄を見つめている。また、じくりと火傷が痛むように、欲が疼く。静雄はその欲を隠さずに、ただフンと笑って見せた。
「臨也。どんなに欲しくても、お前にだけは抱かれねえよ」
静雄の言葉に憮然とした表情を浮かべる臨也を置いて、静雄は歩き出す。そうして、静雄の背を睨みつける臨也の視線を感じながら、煙草のパックを探し当てて一本取り出し咥えた。
苦く、それでいてどこか甘い、ざらりとした煙を体内に取り込み、深い藍を薄め朝を迎えつつある空に向かって吐き出した。


常日頃から、憎悪も恋慕も入り混じって、あの男を殺したくてたまらない。
もし、あの男と体を重ねてしまったら。幾度となく巡らせた妄想の果てに、静雄は一つの可能性に行き着いている。つまりきっと、そのとき静雄は、こう思うだろう、と。

この男を殺したい。――この男に、殺されたい。

それは、いつまでも緊張した、それでいてだらだらと続いているこの関係がたどり着く最果てだ。そこにたどり着くのは、あの男のすべてを手に入れたあとでいい。


(パーフェクト・ラブ)
(2010/08/11)






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