ヘヴンリーブルーヘヴン | ナノ


※WEB用にレイアウトを変えています。


「ねえシズちゃん」
 すっと臨也の手が伸ばされる。臨也の手から静雄が連想するものは、鋭利なナイフだ。それを避けるために一歩引く。だがよく見ると、その手にナイフは握られてはいなかった。
 では、何の為にこの男は静雄に手を伸ばしたのだろう。疑問に思って臨也を見ると、臨也はなぜか苦笑していた。それがまた、妙に自嘲の含まれた苦々しい笑みだったので、静雄は驚いて動きを止める。
「あの海の、話をしようか。あの永遠の海の話を」
 臨也はささやくような声で言う。あの海の、話。何のことかわからず、静雄は動きを止めたままで臨也の様子をうかがう。だが、何のことだ、と静雄が口を開くその前に、臨也が視線を鋭くして人の絶えず行き来する大通りを振り返る。そこで何かを見つけたらしく、臨也は小さく舌打ちをした。
「おい、臨也?」
「……何でもないよ」
 それだけ告げて、臨也はすっと静雄の脇を通りすぎる。明らかに、その場から逃げ出そうとする気配だった。どうやら本当に、何者かから追われているらしい。なんだか今日の臨也は余裕がないためかいつもとは異なり、追いかけて殴ってやろうという気にもならない。
 追うべきか、このまま今日は彼の姿を見送るべきなのか。そんなことを考えていると、視線の先でふと臨也の動きが止まった。それから、ゆっくりとした動きで振り返る。
「……じゃあね、シズちゃん」
 それは何と言うことのないほどの軽い別離の言葉だった。天気予報では今頃はでていないはずだった昼間の陽射しが臨也の顔を照らして、その表情はよく見えない。ただ、その口元がやけに素直に笑みを湛えているような気がして、静雄は言葉を失った。
 臨也はもともと静雄の返答など求めてはいなかったらしい。立ち尽くす静雄にかまわず、今度は振り返ることもせずに走り去り、池袋の雑踏の中に消えていった。


 次の日から、折原臨也は静雄の前から忽然と姿を消した。



(中略)


 ぎ、と重い音を響かせて扉が開き、その隙間から新羅はひょいっと顔をのぞかせた。
「ああ、やっぱりここにいたのかい。君が授業をさぼるなんて珍しいね……って、あれ? 静雄?」
 新羅は、臨也の肩に身をもたれかけて寝ている静雄の姿を見て、目を丸くした。臨也は苦笑して、人差し指を唇に持っていく。静かに、と言外に示唆するジェスチャーに、新羅は言葉を切った。
「具合が悪かったみたいだね」
「そう」
 小さな声で臨也が言うと、新羅も声を潜めて応じる。それから忍び足で静雄によってきて、その顔をのぞき込んだ。新羅が静雄の額に手を伸ばそうとするのを感じ取り、その前に臨也は口を開く。「さっき、解熱剤を飲ませたよ」
「……僕があげたやつかい?」
「そう。だから、たぶんそのうち熱は下がるだろ」
「ふうん」
 なぜか新羅は苦笑し、少しだけ考え込むような顔をしたが、静雄が寝ているためか、それ以上はその場では何も言わず、再び重いドアに向かった。
「まもなく、帰りのホームルームが始まるけど?」
 新羅の振り返り際のその言葉に、ようやく臨也は、昼休みからずいぶんと時間が経っていたことを知る。だが、静雄はまだ目覚めそうになかった。
「もう少し、ここにいる。……担任には、うまく言っておいて」
「わかったよ」
 新羅は再び苦笑しながらも了承し、ひらひらと手を振ってから屋上をあとにした。
 残された臨也は、ちらりと横目で静雄の様子をうかがう。距離が近すぎて、その表情は見えない。見えるのは、投げ出された体と、金髪ばかりだ。だが、相変わらず呼吸の音だけは聞こえてくる。昼に比べれば、ずいぶんと穏やかなものになった。
 臨也は投げ出されたその腕の先を見る。力なくコンクリートの上に置かれた静雄の左手に、自分の手を伸ばした。触れた手は、熱のためか臨也のそれよりも少し、熱い。
 臨也はその手に触れたまま、空を見上げた。昼よりも少し日差しが穏やかになって、空は薄い青に色を変えている。やけに美しく、同時に、やけに悲しい色に映った。


 薬は効いたらしく、静雄の熱は間もなく下がったようだった。目を覚ました静雄は、少しの間ぼんやりとしていたが、やがて意識をはっきりと覚醒させ、顔を真っ赤にして、その場を去って行った。それを何も言わずに見送ってから臨也が教室に戻ると、黄昏時の教室で新羅がひとり、雑誌を広げてそれを読んでいた。
「おや、君も戻ってきたのかい。さっき静雄が真っ赤な顔をして戻ってきて、帰ったよ」
 臨也の気配に気づき、新羅が顔を上げる。臨也は小さく、「そう」と答えた。新羅は大して興味もなさそうに、あの様子なら体も大丈夫そうだね、と言いながらゆっくりと雑誌を閉じ、小さく伸びをして見せた。
「何を企んでいるんだい?」
 帰宅準備を進めている臨也に、新羅の声がそう呼びかける。それがあまりに静かな声だったので、臨也は動きを止めた。
「何が?」
「やけに静雄に優しくしているじゃないか。……君のことだから、何か企んでいるんだろう?」
「信用がないな」
 今までの所業を考えればそれも当然のことなのかもしれないが。臨也は、天井を仰いで息を吐く。思いのほか、深く長いため息になった。
「企んでいる、つもりだったんだけどねえ」


(ヘヴンリーブルーヘヴン サンプル1)






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