フォエニケ・ラプソディー | ナノ


あのトラックが見つかった、という話を聞かされたのは、数時間後のことだった。
「やはり、荷台にはすでに静雄はいませんでした」
四木は特に感情をこめずにそんなことを淡々と臨也に告げた。職務をこなしていただけなのに、突如どう見ても堅気ではない人間に取り囲まれて荷台の確認をされたトラックの運転手には同情を禁じ得ないが、やはり臨也は落胆した。

一瞬のうちに脳裏に刻み込んだトラックのナンバープレートの番号を四木に告げたのは、臨也が静雄を見失ったすぐ後のことだ。
それを四木に告げると、彼はすぐにそのナンバーをもとにして行方を探すよう取りはからってくれた。しかも、疲れているだろうから捜索している間は少し休んでいろといういたわりの言葉つきだったので、四木というのは臨也が思っていた以上に甘い男だったのかもしれない。
臨也としても、さすがにこの数日動き通しで横になった時間がかなり短いので、その言葉はありがたかったのだが、しかししっかりと休めたかと言えばそうでもない。銃弾がかすめた腕を手当したついでに痛み止めも飲んだため、確かに眠いのだが、横になっても脳裏に金髪の姿が浮かんで、休まることはできなかった。仕方ないので例の組織の動向を探ったり、静雄の行方を探ったりしているうちに、四木自らが臨也のもとにやってきたのだ。
臨也が身を休めていた車の窓を軽くノックし、やけに様になる身のこなしで臨也の座る後部座席の隣に腰掛けた四木は、臨也の傷の具合を儀礼的に気にかけた。臨也が「問題ないです」と答えると、すぐにトラックは見つかったがその荷台に静雄の姿がなかったことを告げた。
「そうでしょうね」
静雄は自身がおかれている状況の割に危機感が足りていないようだったが、それにしても、あのまま荷台でのんびりと過ごしているほど愚かしくはないはずだ。
「報告したとおり、今の彼は俺が持たせた携帯電話を失っていますので、連絡の手段はないですね」
静雄が四木の連絡先や臨也の携帯電話の番号を知っている可能性は、どこまでも限りなくゼロに近い。静雄が自分の居場所をこちらに知らせる手段は絶たれている。そのことを四木に告げると、四木は小さくため息をついた。
「今回は、あなたにしてはずいぶんと苦戦しているようですね」
「……何せ平和島静雄が、俺の思惑通りには動いてくれないものでね」
臨也のそんな言い訳に、四木は苦笑している。臨也は自分の携帯電話を車に置き忘れている。携帯電話もノートパソコンも、重要なデータにはかなりしっかりしたロックをかけているので、そのせいで粟楠会が何らかの不利益を被るということはないだろうが、それにしてもミスはミスだ。それでも四木は、そのことについては言及しなかった。
「あれは不思議な男でしょう?」
一緒にいると調子を狂わされる、と四木は言う。それだけならよかったのに、と臨也はしみじみと思った。本当に、それだけならよかったのだ。


四木は、今の粟楠会と例の組織の状況についても簡潔に臨也に知らせた。すでに実際の証拠は、某国の貸し金庫に納めているのだという。
「今は警察と検察内部を探って、組織と通じている人間をあぶり出しているところです」
それが終わればそう間を置かず起訴に持ち込めるだろうと四木は語った。本当に、あと数日我慢すれば晴れて今回の依頼は終了となる。臨也の当初の計画はもう形も見えないほどに崩れてしまってはいるが。
「……たとえ静雄が捕まったとしても、彼には例の証拠をどこに送るのかは知らせていないので、情報がもれる心配はありません」
もっとも、静雄は拷問されても情報を流すような男ではないですが、と四木は低く抑揚のない声で言う。そもそもあの男が、たやすく拷問を受けるような状況に陥るとも思えないのだが。
「それで、どうしますか」
と四木は、真意の窺えない鋭い視線を臨也に向けながら尋ねてくる。現段階ですでに粟楠会の勝利は決まっている。それでも静雄の行方を追うのか、という問いだ。臨也は嘲笑するように軽く鼻を鳴らした。答えなど、決まっている。
「あいつを追いますよ。……俺の仕事は、あいつを逃がすことですから」
「……そうですか」
それだけではないだろう、とは四木は言わなかった。だがその瞳にはからかうような光がともっている。この四木という男も、やはり一筋縄ではいかない男だ。
「しかしまあ、なかなかやっかいな話ですね」
四木はすぐにいつもの厳しい人胃に戻る。連絡の取れない相手を探すとなると、なかなか骨が折れるものだ。
「あいつは携帯電話は持っていないですが、財布は持っていたはずなので、たぶん眠れるところを探すと思います。安いシティホテルとか…あるいは、ネットカフェでしょうね」
「静雄がホテルをとるとも思えないので、行くとしたらネットカフェでしょう。ですがそこに長く留まっているとも思えませんし」
問題は、と四木は言う。その先の言葉を、臨也も理解している。問題は、静雄がどこに向かったか、ということだ。
「あのトラックが通った道路の周辺のネットカフェを探し回ってもいいですが……」
それもやはり骨の折れる話だろう。今の粟楠会は、抗争の最中で静雄の捜索に割ける人員も限られている。
さてどうするか、と首を巡らせる。長時間車内にいたためか、あまり時間の流れを感じずに過ごしたが、日の傾くような時間になっていたらしい。車窓から見える景色はわずかに薄暗い。そう間を置かずに、星も見え始めるだろう。
「…ああ、…そうか」
「は? どうかしましたか」
「いえ」
星から、ふと昨夜の静雄とのやり取りを連想した。だがそれは人に告げるような類のものではないだろう。なんでもないです、と言い置いてから、臨也は自身の目を手のひらで覆う。あえかに瞬く星明かりが瞼に浮かんだ。あえかで、それでいて、一度それと分かると、二度と見失ったりはしないだろうと思えるほどに、明るい星。
「……四木さん。ちょっとだけ車、動かしてくれませんか?」
行先は、あの星が導く先。北だ。





車から降りると、日が落ちきっているためか、さすがに多少肌寒い。その冷気が腕の傷に響かないことを確認してから、臨也はさっさと歩きだした。
四木は抗争のただ中で忙しいので、いつまでも時間を割かせるのも忍びない。その上、あまり人の行き来の盛んではない場所に、粟楠会の車のような目立つ車を入れるのも憚られる。臨也が入手した情報によれば、まだ例の組織も静雄の姿を血眼になって探しているようなので、余計に目立つ行動はとりたくない。
結果として臨也は、車を粟楠会の車を降りて一人で歩くことにした。目ぼしい北の外れの街にまでには連れてきてもらったので、ここからならばひとりでも大丈夫だろうという判断だ。臨也にしては随分と大雑把な計画だが、どうせ平和島静雄に関わることで緻密な計画を立てたとしても無駄になるということを、ここ数日で臨也は学んでいる。
今は自身の計画などよりも、この星空の方がよほど頼りになる。多少自嘲気味に、臨也は道路の端で星空を見上げる。臨也をここまで連れてきた粟楠会の車はとうに走り去ってしまったが、国道沿いなので、多少の車の行き来はある。更に言えば、人家の明かりもあるので、昨夜あの森の中で見たときほど、星はよくは見えない。だがそれでも、少し首を巡らせれば、Wの形に並んだ特徴的な星座を見つけることができた。カシオペア座だ。
「Wの字の下がった部分の二つの星を伸ばしてぶつかった点と、カシオペア座の真ん中の星を結ぶ」
星空を指さしながら声に出す。それを告げたときの静雄の声が、鮮やかに蘇った。その線をずっと延長させると、その先にある。ほら。静雄の声が、そう導く。それに従ってすっと指を動かすと、その先に、あえかだが、しかし確かな光を放つ明るい星に行き当った。
あれが、北極星だ。
「一度分かれば、簡単なものだね。あの単細胞のシズちゃんでも分かるはずだ」
嫌味を零しながら、それでも、彼が示したその星に向かって歩き出す。
やはり多少は銃創が痛むし、結局睡眠をあまり取れなかったために、多少は眠い。それでも、今朝に静雄と離れたときほどの悲壮感や焦りは、なくなっていた。天を仰げばあの星がある。
あの星を頼って、北の果てまで行こうと言ったのは臨也だったが、静雄は確かに、それに応じた。静雄のような男が、一度自分が口にした言葉を簡単に反故にするとも思えない。それならば、静雄は今もあの星を頼りに北に向かっているのだろう。いっそ確信を持って、臨也は足を踏み出す。
自分でも意外なほどに足が軽い。

本州の北限は下北半島だが、静雄と臨也が昨夜から今朝方まで歩いた位置から北を望むと、下北半島には辿り着かない。その後トラックでどの程度移動したかは分からないが、それでも恐らく半島の方には向かわないだろう。そう見切りをつけて選んだ町だが、随分と静かなところだ。海に近い街特有の、少し湿った空気がある。
臨也は途中で見つけたスーパーマーケットに寄った。自身の食事と十分な水、それから酒の瓶をいくつか見つくろう。色鮮やかな酒瓶を色気も何もないビニール袋に入れて、それを提げながらまた歩きはじめる。
そのビニール袋が、歩みを進めるたびにガチャガチャと音を立てて、なんだかリズムを取っているようだった。そのリズムに合わせて耳に蘇るのは、レンタカーの中で聞いた、ノイズ交じりの洋曲だ。掠れたような中低音が、幾度も幾度もスタンドバイミー、と繰り返すあの名曲である。
ダーリン、ダーリン、スタンドバイミー。臨也にはまったく似つかわしくない歌を脳内で演奏させていると、その曲の持つ特有のリズムの良さゆえか、妙に足取りも軽くなる。その曲しか知らないかのように、何度もリピートさせているうちに、最後の方はもういっそベン・E・キングと一緒に歌っているくらいの気持ちになっていた。
たとえ山が崩れ落ちて海になっても、あなたが傍にいる限り泣かない。ガチャガチャと酒瓶が揺られるのに合わせてそんな意味の歌詞を呟いているうちに、どうやら海に近くなったらしい。海岸と言ってもここは高台の上のはずなので、手を伸ばせばすぐそこに海がある、と言うほどの距離ではないだろうが、夜の空気が湿り気を帯びて、潮の匂いが強くなる。ひたすら歩いていたので、すでにあたりは真っ暗だ。人の気配もなく、人家の明かりも遠くなってきた。
そのためか、空を見上げると先ほどよりもずっと星がよく見える。数日前までは星などほとんど見えない都心にいたはずなのに、どうしてこんなところにいるのか、と考えるとおかしくなった。
もう一度、スタンドバイミーを最初から歌っていると、ビニール袋と酒瓶だけではなく、波音も一緒にリズムを取るようになる。海に出たのだ。北の海がもつ深い群青の海は、残念ながら今は深夜に近くなっている時間帯のせいか、限りなく闇に近い。だが、暗い海の上に一面の星空が浮かんでいる風景は、なかなか悪くない。そしてその風景に溶け込むように立っている夜目にも白い灯台も、なかなか風情があった。
この海岸に灯台があることを、地理にもそれなりに見識の深い臨也はもちろん知っていた。臨也と静雄が昨夜から今日にかけていた場所から北を目指すとこの場所にたどり着くのだ。無人化されて久しい灯台のはずだが、その上部にはしっかりと燈火が灯っている。
北極星を目印に自分の家の灯りを見つけると、ずっとずっと探し続けて、ようやく目的地にたどり着けた旅人のような気分になった。そう言ったのは静雄だが、なるほど臨也も、もうずっと長い間、この場所をひたすらに探し続けていたように思えた。ようやく、たどり着けた。この場所に静雄がいるという確証はなにひとつなかったが、妙な確信と安堵がある。
入り口の鉄の扉には古臭い錠が掛かっていたようだが、壊されたあとがある。力任せに捩じ切ったようなそれを見ると、確信が深まり、妙に胸が熱くなる。ぐっと扉を押し開けると、少しだけ埃っぽい空気が流れてくる。無人と雖も人の出入りは途絶えていない場所なので、この灯台には電気も水も通っているはずだ。それなのに塔の中が暗いのは、彼が警戒しているためだろう。
「シズちゃん。いるんでしょ」
声を掛けると、けして低くない塔高の建物に響き渡る。すぐに、慌ただしく何者かが入り口に向かって近づいてくる気配がした。薄暗い灯台の入り口にあらわれたのは、まさに探し求めていたその姿だ。
無意識のうちに、臨也は両手を広げていた。静雄も、今まで見たことがないほどはっきりと、顔に喜色を浮かべて歩み寄ってくる。だが、そこは臨也と静雄なので、抱き合ったりはせずに、ほんの数秒で我に返った。途端に、今しがた二人が経験した不思議な数秒が気恥ずかしくなる。
「手前、遅いだろ。迷ってたのか」
静雄がそれまでの喜色を隠して唇の端を持ち上げながら皮肉に言う。臨也もやはり、同じように唇の端を持ち上げた。
「君が教えてくれたとおり、北極星を見つけられたから、迷ったりはしなかったよ。ただちょっと、寄り道をしていてね」
臨也は手にしていたビニール袋を持ち上げて静雄に見せる。ガチャ、と音を立てたその中には、いくつもの色とりどりな酒瓶が入っている。静雄はそれを見て、軽く目を見開いた。
「カクテル、作ってくれるんでしょ」
言うと、静雄は頬をゆるめて、無言のままドアから一歩身を引き、臨也に入るように促す。それに従って塔の中に足を踏み入れると、静雄が重いドアを閉める。それを見てから臨也は、ビニール袋を多少乱雑に床に落とし、薄暗い中手探りで静雄の肩を掴み、鉄の扉に押し付ける。そのまま、静雄が驚きで声も発せないのをいいことに、その唇に己のそれを重ねる。近く、遠く、波の音が聞こえてくる。
触れるだけのキスをしてから、彼の唇をぺろりと舐める。静雄はまだ目を見開いたまま声も出さない。ずっと探し続けて、ようやく辿り着いた果ての地で交わしたキスは、少しだけ潮の味がした。


(フォエニケ・ラプソディー)
(2012/02/25)






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