赤い瞳の | ナノ



六条千景というのは、不思議な男だとつくづく思う。まず、静雄を不快にさせることがあまりない。静雄は主に怒ることでエネルギーを発散させているような人間なのに、その静雄が千景に対してはめったに怒りの感情を覚えることがない。軽薄そうでいて一本気で、何も考えていないようでいて思慮深い。だから、まっすぐな視線をこちらに向けて、「好きだよ」と言われたときも、思わず数秒言葉を失いはしたが、怒りの感情は沸いてこなかった。

誕生日に何か欲しいものがあるか、と聞かれたので、学生の分際で無駄な金を使うなと答えた。
『ええ? 誕生日くらい俺に盛大に祝わせてよ』
電話口で千景が不満そうな声を漏らす。静雄は溜息をついた。
「別に、祝われて嬉しいような年でもねえよ」
静雄自身は本気でそう思っているのだが、千景はそれには賛同しなかった。年齢などに関係なく、誕生日は特別な日だというのだ。
『だって静雄が生まれた日だぜ? 俺にとっても、特別な日だよ』
静かな千景の声音に、静雄は言葉を失う。この若者は、こういうことをまるでなんでもないことのようにさらっと口にするからすごい。普段の静雄なら、いっそ馬鹿にされているような気持ちになって怒り出すところなのだが、相手が千景だと、身に馴染んだその感情が沸いてこない。彼がどれほどに真摯な瞳でそれを口にしているのか、分かるからだ。
「……とにかく、別に欲しいもんはねえからな」
えー、と千景は不満そうな声を漏らす。それを無視して静雄は携帯電話を耳から遠ざけた。すると、切られる気配を察したのか、千景が『わー!』と大声を出す。
「……んだよ」
『待って待って、じゃあせめてデートしようよ、誕生日!』
「駄目だ。仕事だからな」
『じゃ、じゃあ夜!』
なお言い募る千景の声を今度こそ無視して、静雄は電話を切った。



どうにも静雄は運が悪いらしい。誕生日のその日は、昼下がりから雪がちらちらと降り始め、日が落ちきる頃には、降りも激しくなっていた。今夜は積もるかもしれません、とお天気キャスターも言い始め、交通機関が乱れる前にという社長の気遣いで、仕事も早めに切り上げることになった。誕生日だからお特別に何かする予定もなかったし、トムとヴァローナが昼にケーキでささやかなお祝いをしてくれたので、それで十分だ。
雪の降る夜は妙に静かだ。冷えた自室でベッドに腰を掛け、なんということのない自分の誕生日を振り返り、そろそろ眠ろうかと思っていたその時に、携帯電話が着信を知らせた。発信元は、六条千景である。ため息を吐いてから通話ボタンを押すと、途端に、にわかに聞き慣れた千景のハイテンションな声が聞こえてくる。
『静雄! なあなあ、外見て外』
「はあ?」
何だなんだ、と思いながらカーテンを開ける。静雄の部屋はアパートの二階部分にあり、まず目に飛び込んでくるのは隣の家の明かりだった。それからその奥に、空が見える。夜だというのにどこか不自然に明るい。ああ、雪が積もっているんだな、と思った。雪明りで普段の夜よりも少しだけ明るいのだ。
視線を、ひらひらと雪の舞う夜空から下に落とす。そして小さく息を飲んだ。千景が、すぐ下の道路から静雄のいる窓を見上げ、手を振っているのだ。
「……おまえ、何やってんだ……」
『いいから、ちょっとだけおりてきてよ静雄』
静かに語りかけてくるような声に、静雄はひとつ舌打ちしてから電話を切り、外套を掴んで自室から外に通じるドアを開けた。
千景の願いを退ける、あるいは無視を決め込むという選択肢はなかった。千景は、静雄が出てくるまでずっと待っているだろう。たとえ行かないと言ったところで、静雄が出てくるのを朝まで待っているだろう。六条千景というのは、そういう男である。
静雄の部屋も決して暖かくはないが、それにしても外はしみじみと寒い。この都会で雪が積もるほどなので、それも当然だ。冷たい空気に触れた頬のあたりがかすかに引き攣る。それほどの寒さの中だというのに、千景は静雄の姿を見ると嬉しそうに頬を綻ばせた。
「静雄! 8日ぶり!」
飼い主にじゃれつく犬のように、千景が駆け寄ってくる。当然のように静雄の腰に伸ばされた手を邪険に払いのけながら「で、何してんだ」と低く問うと、千景は「じゃーん!」と声をあげて、アパートのほんのささやかな庭の隅を指さした。つられてその先を見ると、雪明りの中で、何か小さい雪の塊がふたつほどある。
「……あ? なんだアレ」
「なんだ、ってひどいな。よく見てよ」
「……大福?」
「……俺、静雄のそういうとこも好きだけどね」
はは、と力なく笑ったあとで千景は、「雪うさぎだよ」と言った。
「大福にしか見えねえ」
「ほら、耳があるだろ。この椿の葉っぱ」
千景が屈んで、静雄のこぶしほどの大きさのそれの先端部分につけられた葉を指さす。つられるように静雄もしゃがみこんだ。
「……ああ」
確かに、ふたつの塊にそれぞれ二枚ずつつけられたそれは、兎の耳を模している。そう言われればそう見える、という程度だが。
「静雄が、金使うなっていうからさあ」
だから頑張って作ったのだ、と千景が誇らしげに言う。そう言われて静雄は、それが千景からの誕生日の贈り物だと初めて気付いた。
「ほんとは雪だるま作りたかったんだけどね。さすがにこのくらいの積雪じゃまだ無理だったから」
「……つうか、お前は夜勝手に他人の敷地に入り込んで何してんだ」
「まあまあ。ほら、うさぎだと思って見ると可愛いでしょ?」
雪明りの中で千景が屈託なく笑っている。そんな千景にも、雪がひらひらと舞い落ちてきていて、実年齢以上に千景を幼く見せた。妙に胸の奥があたたかな気持ちになるが、それを隠して雪うさぎだと彼の主張するそれに目を向ける。
「これ、目がねえ」
何か違和感があると思ったら、恐らくそれだろう。丸い体に耳らしき小さな葉がつけられていても、目がないから、それを兎とは認識できなかったのだろう。
「ああ……。ほんとは万作の実があればよかったんだけど」
このあたりではなかなか見られなくて、と千景が言う。小さな石などに代役を務めさせる気はなかったようだ。「だって兎つったら赤い目だろ?」ということらしい。静雄は、その万作という植物は分からないが、確かにこの緑の乏しい池袋にそうそう目当ての植物が見つかるとも思えない。それなら仕方ない、と納得している一方で、千景は顎を押さえて何か考え込んでいるようだった。
「おい、六条?」
「千景。そう呼んでってば。……それより、静雄」
「あ?」
「これから一緒に、探しに行こうか。兎の眼」
「はああ? 何言ってんだ」
「だって俺も、どうせ静雄に上げるなら完璧な雪うさぎにしたいしさ」
にこにこと千景はどこまでも楽しげだ。そのまま、流れるような仕草で彼は静雄の手を取る。ひやりと冷たい指先の感触に、静雄は軽く目を見開いた。
「お前、手ぇ冷えてるぞ」
「ああ、雪触ってたからね」
手袋をしたままだと、うまく兎の柔らかなラインが出せないのだと千景は言った。今年は厳冬の傾向があるが、それにしてもこの都会のことだ。どうせ明日の昼には、あの雪うさぎも溶けてしまうだろう。だというのに、ずいぶんと真剣に作っていたらしい。それを悟ると、邪険にその手を振り払うこともできなくなってしまう。静雄にそんな感情を抱かせるとは、この六条千景という男は、本当に不思議な男だ。
「……もういいから、上がれよ。あったかい茶くらい淹れてやる」
静雄の部屋にはろくな飲み物などないが、インスタントコーヒーくらいならば探せばあるだろう。それを告げると、千景は少し照れたような顔をした。
「えっ何なに、静雄がからだで温めてくれるの……、って待って待って静雄、さすがに拳を振り上げるのは熱烈なハグ過ぎるかな!」
「永遠に何も喋れなくしてやろうか」
低く言うと、千景は乾いた笑みを漏らしながら、冗談だと言った。それからふと幾分真面目な顔をして、静雄を見る。
「静雄の部屋でお茶ってのも悪くないけどさ、せっかくだから今夜は、散歩しようぜ」
「……あ?」
千景は促すように静雄の手を再び取り、触れるか触れないか程度に唇を寄せる。静雄が慌ててそれを振りほどくより先に、ほんの軽く、千景はその手を引いた。
「静雄の誕生日で、雪が降ってる。こんなきれいな夜なんだからさ」
一緒に赤い実を探しに行こう、と千景は言う。静雄は言葉を詰まらせて、千景の顔を見た。千景は柔らかく、それでいて楽しげに笑っている。二十数年前に静雄が生まれた、ただそれだけのこの雪の降る静かな夜を、千景はきれいだと言った。それが妙に胸に残り、だがそれをどう表現していいのかわからずに、静雄は夜空を見る。深い色をした空からは、ひらひらと雪が降ってきている。
「行こう、静雄」
千景が静雄の手を引いて歩き出す。静雄もそれを振り払わずに、足を踏み出した。雪の降る夜はしみじみと寒い。見慣れた池袋の街が白く染まっていて、吐く息もそれと同じだけ白い。雪はまだ、しばらくやみそうにない。
ふと千景が立ち止まり、静雄の顔を見る。何だ、と思って見返すと、千景は一度、繋いでいた手をといて、静雄の髪にその手を軽く触れさせた。そこに積もっていた雪を振り払ったのだ、と気付いたのは、一拍遅れてからだった。
千景はそのまま、自分のかぶっていた帽子を取って、それを静雄にかぶせる。雪が頭に降りかからないようにとの気遣いだったのだろう。そんな扱いに慣れていない静雄は戸惑うばかりで何も言えないが、千景は気にした様子もなく、それが当然のことのように、再び静雄の手を取った。
「……お前、鼻の頭が赤くなってるぞ」
何を言っていいのか分からず、静雄がそれだけ言うと、千景はこどもっぽく笑いながら、「俺はいいんだよ」と答えた。未成年が自分のせいで風邪などひいたら、とは思うが、千景のそんな笑みを見ていると、何故か言葉に詰まる。
行こう、と千景が再び言って歩き出す。静雄は結局何も言わないままに、歩き出した。雪うさぎの目となる赤い実が、こんな都会のどこかにあるのかどうかも疑わしい。なのに、少しずつ千景の手のひらが温もりを取り戻しているのが伝わってきて、それが妙にあたたかな感情を静雄に残す。雪は降り止む気配もない。それでも静雄は、もう少しの間、ふたりの進むこの白い道が続けばいいと、そんなことを、ほんの短い間、思っていた。


(赤い瞳の)
(2012/02/04)





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