フォエニケ・ラプソディー | ナノ




この依頼はわりに合わない。報酬はかなりいいし、何よりも今までさんざん贔屓にしてくれた得意先である粟楠会の四木からの依頼だ。それでも、この依頼はわりに合わない。
組織の情報を得ること自体は臨也にとってはそれほど難しくはない。だが、情報を流す相手があの平和島静雄だというのが、この依頼の難易度を空よりも高く押し上げているのだ。
「だから! 何度言ったら君は分かるのかなあ? 勝手に出歩くなって俺は繰り返し言ってるよねえ?」
『うっせーな。喉乾いたんだよ』
馬耳東風。臨也には闇医者稼業に勤しんでいるけったいな幼馴染がおり、この男がやけに四字熟語を好むが、この男に静雄の様子を見せたらきっとそう表現してくれるだろう。などとどうでもいいことを考えてしまうくらいには、臨也は静雄とのやり取りにうんざりしていた。
電話は渡して離れていても静雄に指示をできるようになったが、この静雄というのが臨也の言うことをまったく聞かない。この男が捕まらないようにうまく情報を流す、という今回の仕事は、どう考えてもわりに合わない。
しかも、ただこっそりと逃がすだけではだめなのだ。それでは囮の意味がない。捕まらない程度に敵の前に現れて、注意をひきつけなければならない。静雄をうまく動かして四木の要求に応じるのは、本当に困難なことに思われた。

臨也は今、そこそこ高いビルの上部からいらいらと街並みを見下ろしている。都会の街など雑然としていて、具体的に人など見られるはずもない。だが臨也は、静雄の姿を探していた。本来なら、静雄の様子をこんな風に監視することは、臨也の仕事の範囲ではないはずだ。だがあまりに静雄の様子が危なっかしいので、結局静雄が潜伏するホテルがある街に来てしまった。
例の組織はいよいよ本格的に静雄の追跡に乗り出している。そろそろ別の街に移った方がいい、と告げるために、臨也が静雄に渡したあの携帯電話に連絡をいれたところ、今頃ホテルにいるはずの静雄は、のんきに『今、外にいるからそのうちホテルに戻る』と答えたのだ。この男は本当に、自分がどれだけ危うい立場にあるのかわかっているのか。
「とにかくすぐに戻って」
『……わかったよ』
渋々と静雄が承諾する。だが次の瞬間、『あ』と小さく声を上げた。
「どうしたの」
『あいつらよお、もうこの街に来てたりするか?』
「可能性は否定できない。君の容姿は結構目立つから、目撃情報がどこかから漏れたのかもしれない。……怪しい連中がいるの?」
『あー……』
そうなんだな、と臨也は小さく舌打ちした。臨也がいるのは、某有名会社のビルだが、最高階に美術館があるため一般人もその階には立ち入ることができる。その階のホールは周囲がガラス張りで展望がいいが、しかしそこから得られる情報などわずかなものだ。
「ねえ、今どこにいるの? そいつらとはどのくらいの距離?」
『どこかはわかんねえ。さっき、大学の門みたいなとこを通り過ぎた。よくわかんねーけど、つけられてる気配がする』
野生的なこの静雄がそう感じるのなら、恐らくそれは当たっているのだろう。やっかいなことだ。
「大学の門ね…どういう門だった?」
『赤っぽい煉瓦づくりの門だな』
この街で大学といえば一つしかない。煉瓦の門ならその大学の東にある門だったと記憶している。このビルからもかなり近いはずだ。臨也は脳内に街の詳細な地理を思い浮かべる。
連中が表通りで騒ぎを起こすとも思えないので、静雄を大通りの方に逃がしてやればいい。
「今君が歩いている通りだと危ない。とにかくどこかの角で右に曲がって。大通りに出るはずだから」
『大通り……』
「そう」
静雄を大通りに逃がしたら、そのまま電車で移動させるか。駅までもそれほど遠くはないはずだ。そんなことを考えながら、臨也はホールを歩いて、その大学がある方角へど移動する。ガラス越しに街並みを見下ろし、金髪の姿を探した。
『だめだ』
駅までのルートを脳内で組み立てていた臨也に、静雄のはっきりとした声が届いた。
「は?」
『大通りには行けない』
「何言って、……!」
言うことを聞けと怒鳴ってやりたいところだが、一方的に電話が切られてしまう。臨也は身を乗り出してガラスから舌を見下ろした。こんな高い場所から発見できる可能性はほとんどないだろうと思っていたが、それらしき男を見つけ、目を凝らす。目立つベストは脱いだようだが、髪を染めている人間が多い現代でさえもいっそう鮮やかな金の髪が目印だとなった。その後ろ数メートルをあけたところにスーツの男がいる。それが静雄を追っているのかどうかは、今の臨也にはわからない。
再度静雄の様子をうかがう。静雄は背後を気にしているそぶりがあったが、何を思ったのか、ふと歩くスピードを速めて交差点で左の道に入った。それを確認した背後にいた男が、慌てたように走り出し静雄を追った。
「あいつ……!」
追う男ではなく、静雄に対して毒づく。臨也は先だっての電話で右に曲がれと言った。右は大通りへと続くが、左は人通りの乏しい裏道に行く。組織の人間が動くには格好の通りである。
案の定、静雄のあとを追っていた男が走りながら、携帯電話を取り出して何か連絡をしている姿が確認できた。仲間に、静雄が裏道に向かったことを伝えているのだろう。
臨也は鋭く舌打ちをして、階下へ向かうエレベーターへと走った。



静雄を正攻法で取り押さえるのは難しい。だが、薬物などを用いればまた別である。組織が、新宿で商売する、違法の薬を扱う商売人にコンタクトを取っていることを臨也は知っていた。
急ぎビルから出て、静雄を見かけた方角に向かう。大学の校舎を過ぎてしばらくしてから路地を左に曲がったところで、やはり数人の男が明らかに不穏な空気を醸し出しているのが見えた。中心にいるのは、静雄だ。スーツを着た一人の男が静雄の服を掴む。静雄が鬱陶しげにその手を払ったところで、別の男が背後から静雄の体を取り押さえにかかる。それを見て近づいていく男の手に、白い布があるのを見て、臨也はその男に向かってナイフを投げつけた。鈍い音がして男にナイフの柄が当たり、白い布が地面に落ちる。
「手前……」
静雄が振り返り、驚いたような表情を見せた。そんな静雄の背後に、男の影が迫る。その手には、何か銃器のようなものが見えた。
臨也は舌打ちをする間もなく走り、その男の腕を蹴りあげた。うめき声が上がる。
「こんの!」
我に返った静雄が、近くにいた男たちを一掃すべく拳を振り上げた。
どうやら他に銃器を持った人間はいなそうだ。それを確認して安堵した瞬間が、油断となった。近くにいた男が、ナイフを振りかざしていたことに気付くのが遅れたのだ。気配を感じて体を捩じったが間に合わず、左腕に痛みが走った
「……ッ!」
「お、おい!」
身をひるがえしたのが早かったため、浅手で済んだ。だが痛みの声を上げた臨也に、静雄が焦ったような声を出す。臨也は、大丈夫だということを示すために、自分を切りつけてきた相手の男の手を蹴りあげナイフを飛ばしてから、そのままの勢いで身を近づけ、その懐に思いきり拳を叩きつけた。男は、息を詰まらせて声もなく意識を手放す。
どうやら静雄の周りにいた男は静雄が片を付けたようで、あたりは再び静かになる。だが、それも一瞬のことだった。すぐに、通りの向こうに車が急停車して、何人かの男がばらばらと降りてきた。年恰好はばらばらだが、一様に醸す雰囲気は不穏だ。あきらかに堅気ではない。
「こっち!」
静雄の腕を引いて、その車に背を向けて走り出す。「手前、腕は……」と静雄が戸惑ったような声をあげたが、無視して走り続けた。静雄もさすがに事態が緊迫していることに気付いたのか、何も言わずについてきた。
追跡を避けるようにわざと車の通らない裏通りをまわり、追っ手が来ないことを確認して、ようやく足を止める。人よりはずっと体力もあるが、さすがに息も切れた。
「……おい」
同じように隣で息を整えていた静雄が、この男にしては控えめに声を掛けてくる。臨也は無言で自身の携帯電話を取り出し、四木の番号を呼び出した。電話は掛けず、モニターに四木の番号を表示した状態でそれを静雄に差し出す。
「なんだよ」
「俺の情報が信じられないなら、今すぐこの仕事を降りるって四木さんに連絡してくれない? 今回の仕事は、君が俺の情報を信じないなら成り立たない」
冷静に言っているつもりが、口を開くうちに段々と苛立ちが湧き上がってくる。臨也が連絡を入れたときに、静雄が臨也の言うことを聞いて大通りに向かっていれば襲われることはなかった。それ以前に、臨也は端から出歩くなと言っていたのだ。それを無視したのは静雄だ。静雄の行動はいちいち予想外で、臨也には制御できない。これからも臨也の存在を無視して彼が勝手に行動するのなら、とても一緒に仕事はできないだろう。
そんな思いが込められたせいで、語尾に苛立ちが滲む。静雄はまた怒り出すかと思ったが、意外なことに黙り込んだ。そしてそれなりに長い沈黙の後、ぽつりと「悪かった」とこぼした。その言葉が意外で、臨也は静雄の顔を見る。彼はどこか、ばつの悪そうな顔をしていた。
「正直、手前のことはあんまり信用できねえけどよ。俺からこの仕事を降りる気はねえよ」
四木さんからの依頼だしな、と静雄は言う。それから臨也と視線を合わせ、もう一度だけ「悪かった」と呟いた。
「あそこで右に曲がって大通りに出たら、幽と鉢合わせしちまうとこだったんだ」
大通りでは、その時、羽島幽平が出演するドラマの撮影が行われていた。弟に迷惑をかけることはできない。だから静雄は、臨也が右に曲がれと言ったときにそれを拒否して左に曲がったのだという。そこまで聞いて、臨也は静雄の今日の行動の理由を悟った。恐らく今日、この街で羽島幽平のロケが行われることを、静雄は以前から知っていたのだろう。だから静雄はホテルから抜け出して、その姿を見に行ったのだ。この仕事が長引けば、軽々しく弟と会うこともできなくなる。その前にその姿をじかに見ておきたいと思ったのだろう。喉が渇いたから外に出た、というのは下手な言い訳にすぎなかったのだ。
馬鹿馬鹿しい。臨也は苦く舌打ちをしながら、静雄に差し出していた携帯電話を引っ込めた。

平和島静雄と関わるようになってほんの数だが、この数日でわかったことがいくつかある。この男は、人間ではありえない力を持ち、短慮で、人の言うことを聞かず、怒りの沸点が恐ろしく低く、まごうかたなき化け物だ。だが一方で、化け物であるにも関わらず、ひどく、人間的である。





車を運転するのは久しぶりだが、残念ながら運転方法を学びなおす余裕はないので、臨也は急ぎパーキングブレーキを外してギアをドライブに入れ、いささか乱暴にアクセルを踏んだ。助手席でシートベルトを締めるのに苦戦していた静雄が、急発進に体勢を崩す。
「手前、今のぜってえわざとだろ」
いらだった声が聞こえるが、無視して強くアクセルを踏み込む。静雄の言うことをいちいち聞いてやるほどの心理的なゆとりはなかった。

そもそも臨也は、静雄と行動をともにする予定などまったくなかったのだ。当初の予定では、静雄から多少離れた安全な場所から、安全な方法で情報を流し、仕事を終わらせる予定だった。それなのに今現在、臨也は静雄を隣に乗せて、車の運転に勤しんでいる。こんな予定ではなかった、と臨也は苦く思う。
だが、どうやらそうも言っていられない状況になったのだ。静雄とともに逃げたあと、とりあえず二人で一緒にネットカフェに入った。そこで臨也が例の組織の動向について調べていて気付いたことだが、静雄の追跡に臨也が思った以上の人員が割かれている。
その上、臨也自身の安全も危うくなってきた。静雄の働いているバーで立ち回った時も、若干顔を見られてはいたが、今回裏道で静雄を助けたことで、完全に顔も覚えられて面子も割れ、めでたく静雄に加担する人間として攻撃対象に加えられてしまったようだ。これは四木からの情報だ。粟楠から例の組織に送り込んだスパイからの報告だと言うので、信憑性は高い。結果、静雄を無事に苦し、かつ臨也も無事に過ごすための交通手段を考えたところ、自動車がいいのではないかとの結論に達したのだ。そしてちょうどそのときに、ネットカフェに見るからに堅気ではない男が数人入ってきた。
臨也と静雄は顔を見合わせて、ほぼ同時にカフェの非常口に向かって走り出した。非常口の外にも組織の人間が配置されていたが、それは軽く殴りとばして外に出る。臨也はネットカフェで調べていた、近場のレンタカーショップを目指した。静雄は臨也と行動を共にすることを嫌がるかと思ったが、案外素直についてくる。
「一応聞いてみるけど、君、車の運転できる?」
ショップの前で追っ手がこないことを確認するついでに荒くなった呼吸を整えながら尋ねる。静雄はいっそ不思議そうな顔をして臨也を見た。
「俺が運転できると思うか?」
確かに、この男に運転をさせるなら、ハンドルその他運転に使うあらゆるツールは鋼鉄かダイヤモンドで作る必要があるだろう。当然ながら、そんな車は存在しない。
臨也だってそれに気づいていなかったわけではない。だからあくまで、一応、尋ねてみただけなのだ。もし静雄に運転が可能ならまだ楽だった。臨也は狙われてはいるが、それは臨也自身でどうとでもなる。粟楠会の人間に迎えに来てもらい、本拠地で守ってもらうことも可能なのだ。だが静雄が運転できないなら、そうも言っていられない。
臨也は、できればそこにたどり着きたくはないと思っていた最悪の結論に行き着いた。すなわち、静雄を無事にこの街から逃すためには、臨也が運転する車に静雄を乗せて移動するしかない、という結論だ。それはできれば避けたい。臨也の身も危うくなるし、それ以上に、この腹立たしい男とともに車内という狭い空間で過ごすという事態が耐えがたい。だが、今粟楠会に連絡をして、静雄の移動のために自動車と運転手を用意してもらうような余裕はない。仕方なく臨也は、嫌々ながらもショップに入ったのだ。


借りたのは、よくあるレギュラータイプの黒の車だった。車の性能はけして悪くはないが、いささか乱暴に運転しているためか、隣の静雄から文句があがる。
「手前、ほんとに免許持ってんのかよ!」
危ない組織から逃げている最中なのだから多少運転が乱雑になるくらい当然のことだ。ちょうど、信号が赤になったのでブレーキを踏んでから、臨也は財布を取り出して運転免許証を取り出し、静雄に見せた。
「ほら」
「……おいこれ、奈倉って書いてあるぞ……誰だよ」
「写真の眉目秀麗な顔が見えないの?」
みし、とプラスチックのカードが軋む音がした。静雄がいらだちに任せて持っている免許証に力を込めたのだろう。
「ちょっと。折らないでよね」
臨也は世間的にはブラック寄りな組織に情報を流す人間だ。そうやすやすと個人情報をどこかに預けるわけにはいかない。その都合上、偽りの身分証などいくらも持っている。
「運転に問題はないよ」
一応、教習は一通り受けている。静雄は納得したのかどうなのか、スラックスから煙草を取り出して火をつけた。この男が喫煙をするということは知ってはいたが、一応こんな狭い車内に一緒にいるのだから、同乗者の臨也に吸っていいかどうかといった伺いをたてるのが筋ではないのか。そうは思ったが、そんなことでつまらない言い争いをするのも面倒で、臨也は無言で車の運転席側の窓を全開にした。
都会の排気ガスのにおいの中に、かすかに雨のにおいが混じっている。間もなく降り出すのかもしれない。そんなことを思いながら、臨也はまたアクセルを踏んだ。


(フォエニケ・ラプソディー)
(2011/11/23)





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