じりりりりりりり。
買ってもらった目覚ましが、元気いっぱいにこれでもかと持ち主を起こそうと鳴る。あれかな、買ってくれた人に似たのかな。私が持ってた時計はもう少し控えめだったと思う。
「本当に帰って来てないんだ...」
ベッドから起き上がり、時間を見ればいつもより寝坊しているようだ。それでも扉の向こうは静まり返っていて、人がいない事を伺わせる。
ハンドタオルを片手に、顔を洗いに行く為に部屋を出る。元々、倉庫代わりに使用していた部屋な事もあり、ベッド以外の設備は窓くらいなのだ。
ぎし、ぎし、ぎし。
静かな船内に響く音は、朝な事もあり差し込む光で明るく、昨夜のような怖さは微塵も感じない。洗面台は混む事も無くスムーズに使えて、少し冷えた水でぼんやりしていた頭がしっかりと覚醒した。
タオルで顔を拭き、そのまま食堂に向かいながら、確かザックさんが気を使って朝ごはん用にってサンドイッチのセットを作っておいてくれたのを思い返した。
*
時間は大体、9時前後。いつもより寝坊できて、美味しいサンドイッチもあって、なんだか得した気分だ。ザックさんお手製の玉子や野菜の具材を挟み込み、プレートに乗せて飲み物と一緒に甲板に向かう。今日は特別、そんな雰囲気に思わず顔がにやけた。
「おー、名前か」
「あ、シャンクスさん、おはようございます」
あくびを噛み殺しながら声をかけて来た主は、まだまだ眠そうだ。しかも少し顔色が悪い。飲み過ぎだと思われるそれに、トレイに乗せていたオレンジジュースと水に視線を落とした。
彼もまた甲板に出る途中だったのだろうか、先回りしてドアを開けてくれたのでお礼を言って外に出ると、窓から見えた快晴が目の前に広がり、もう嗅ぎ慣れた潮風に頬がゆるんだ。
「お水飲みますか?」
「あァ...悪いな」
甲板に出て手近な場所に腰を下ろし、水を渡せば素直に受け取るあたりやはり二日酔いなのだろうなぁとぼんやりシャンクスさんを見つめた。
そよそよと風が頬を撫でる。陽の光が暖かく、ぽかぽかと気持が良い。起きたばかりなのにまた少し眠気が顔を出してくる。ぼーっとシャンクスさんに視線を投げたまま私は固まっていた。目の前でそよぐ赤い髪も、今はもう見慣れたもので、本当に何も考えないで見ているだけだと、見られている彼が少しばかり居心地悪そうにしていたのも全く気づかなかった。
「...そんなに見るほど良い男か?」
そんな私の視線に冗談交じりにシャンクスさんが言えば、私も呟くようにはい、と言ってしまう。それに逆に驚いたのかシャンクスさんは数回瞬きをして笑う。そこで私もようやく今のやりとりが理解できて慌てる。
「だっはっはっは!そんなに見惚れてたのか!」
「いや!今のは違、うわけでもないんですけど、そうじゃなくて...!」
身振り手振りで弁明しながら頬が熱くなるのを感じた。尻すぼみになっていく言葉はシャンクスさんの笑い声に負けてしまう。そんな様子が面白かったのか、彼はまだ喉でくっと笑いながら手をひらつかせた。
「そんな慌てんなって」
「そ、それは...、はい...」
「あ!そうだ!」
すると所在無く揺れていた私の手を急に掴むシャンクスさんに、少し収まったはずの心臓がまた大きくなった気がした。
その手は、いとも簡単に私の手を覆った。自分で言うのも何だが、苦労知らずの私の手に比べれば、色も浅黒く骨張った手の甲に浮かぶ血管も、存外長い指も、短く切り揃えられた爪も、海賊と言うに相応しいそれはなんと頼り甲斐のあるものだろうか。
同時に感じたシャンクスさんが男性であるという当たり前の事実を突きつけられたような気がして、掴まれた手に神経が集中しているんじゃないかと錯覚するほどに熱を帯び、汗が滲んでくるのがわかった。
「なァ、爪切れるか?」
「....へ?つめ...?」
「あァ」
手を掴んで数秒見つめた後、いきなり言われたその言葉に、素っ頓狂な声を出してしまったのは仕方ないだろう。だって爪を切れるか?なんて思い返しても今までの人生で聞かれた事は一度だって無いはずだ。繰り返すように呟いて、彼と同じように自分の手を見ると、たしかに爪は短いとは言えないが長くもない。つまり切れる。頷けばシャンクスさんはにこっとあの笑みを浮かべ、じゃあ取ってくると言い残して船内に入って行った。
「どういう事...?」
さわり。なびいた髪と一緒に私の呟きは風に連れて行かれたのだった。
(あのドキドキも何処へやら)