■ 轟さん
夕方、寮に戻る途中ベンチに寝転んでるやつがいた。屋外であまりにも綺麗に寝転んでいるので気になって近寄れば話したことはないが、緑谷が話しているのを見たことがある相手だった。寝ているのか何なのか、目を閉じている相手を見下ろしながら、このまま放置して良いものかも悩む。
まだ気温は暖かいが、じきに日が暮れる。そうすれば自ずと気温も下がるだろう。さすがにそれまでには起きるだろうが、と無言で立ち尽くしていると瞼が震えてゆっくりと目が開いた。
「お」
「とどろき、さん...」
想像以上にか細い声だった。高くも低くもない声は、やはり寝ていたのだろうか、少し掠れているように聞こえた。
「どうかしましたか」
ゆったりと体を起こし見上げる顔にかかる眼鏡が少しだけズレている。分厚いレンズの奥の目はまだ眠たそうにも見えるが、レンズ自体に色が入っているのかあまりよく見えない。
「気分でも悪いのかと思って見てた」
「それは、すみませんでした...」
うたた寝をしていて、と呟くように言葉を続けるのを見ながら、きっちりきれいにベンチに寝転んでいる先ほどまでの光景を思い返し、うたた寝...?と首を捻った。
「個性を使うと、つい、うとうとと...」
ふらりと立ち上がるその様子は見ていて危なっかしい。思わず手を伸ばせば、そっと腕を押しのけられた。
「大丈夫ですよ、」
「本当か...?」
はい、と立ち上がるその様は今まで見た雄英生の誰よりも頼りない。まだ少し頭がぼんやりとしているのだろうか、首も少しもたげている。
「あんた普通科だろ、遠くないか、寮」
「大丈夫ですよ...、たぶん」
見た目の頼りなさに反して意外と頑固なのだろうか、同じ返答だったことに、そうか、とだけ答える。けれどふらりと立った姿は、お母さんの病室にあった枯れかけた花を彷彿とさせる程度にはふらついている。
「あんた折れちまいそうだな、途中まで一緒に行く」
「すみません」
自分でもふらついてることは自覚しているのだろう、途中までという言い方にだろうか、今度は断ることもなくへらりと笑ってこちらを見た。
「ん...?」
「どうかしましたか?」
手を引いてきちんと立たせた時、笑みを向けられた時、一瞬だけではあるものの心臓が大きく跳ねた事に首をひねれば、相手も首を傾げてこちらを見上げていた。
「ん、何でもねぇ」
「轟さんの方が疲れているのでは...?」
「大丈夫だ。つうか名前も聞いてなかったな」
ゆっくり目の歩きながら話をしていて、名前を呼ばれたところで思い至り聞いてみれば、相手もはっ、と気づいたように頭を下げた。
「すみません、申し遅れました...。普通科の名字名前です」
申し訳なさからなのか、弱々しくも丁寧にお辞儀をするものだから、つられて会釈をしてしまった。名字、そう、確かそんな名前だったな、と緑谷との会話を思い起こす。
「名字か」
「はい」
「緑谷と話してるの見たことあったけど、聞いて思い出した」
「はぁ...」
そうですか、と話しながら歩いていれば、もう目の前に普通科の寮があり、名字はもう大丈夫です、とまた頭を下げた。
「ありがとうございました、轟さん」
では、と手を振る名字に背を向けて歩き出す。少し離れた所でちらりと振り返れば、名字はまだこちらに手を上げて微笑んでいた。
(あ、おかえりなさい、轟くん)
(お、緑谷。今さっき名字と会ったぞ)
(えっ!)
(何か一瞬だけ心臓がうるさかった)
(あぁ、轟くんでも効くんだね...)
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