19
やばい、息が苦しい。脇腹も痛いし、足も痛い。
言い捨てるように食堂を出た後、船内で若干迷いながらも走り続けた。ようやく甲板に出たあとは、見張りの子に出かけてくる!と言い残して足早にタラップ駆け下りて街に行った。
体力が底辺の私は早々にシャンクスさんに追いつかれるかとも思ったが、船内で迷っている間に上手いこと距離が開いたか、見失ったかのどちらかで、追いつかれることもなく街中の雑踏に紛れ込んでいた。
走ったのは10分にも満たなかったくらいだろうか。時計もなければなにも無い私にはわからなかったが、唯一わかっていることは中途半端に言い逃げしたことと、ここ数年で一番走ったと言う事実だけだった。それに少しへこんだ。
頭を整理するとはいったものの、全くと言って良いほど整理なんて出来てないし、出来る気もしない。街の中心を少し外れた高台の公園は海がよく見えた。疲れた体をベンチに沈みこませる。まだまだ陽は高い。シャンクスさんも追ってこないだろうし、少し落ち着こうと、遠くに聞こえる波の音に、目を閉じて耳をすませた。
ここに居たいか。という問い。
答えは、はい、だ。
向こうに帰りたいか。という問い。
こちらも答えは同じだ。
慣れたものもなければ、人もいないここは、やはり寂しさを伴う。それでも向こうにシャンクスさんが居ない事実に、胸を痛め、恋しがっていたのもまた事実なのだ。
それを言うところだった。いや、正しくは言ってしまった、と言う方がしっくりくる。
場の空気に流された、と言っても過言ではないが、感情が高ぶって考えるよりも先に口が開いてしまった。なんたる失態。穴があったら入りたい。入れないから逃げたのだけど。
だけど、ずっとこうしてはいられない。
事実、船に戻らないわけにもいかないし、あそこまで言った言葉を繕うのも難しいし、何よりシャンクスさんは避けては通れない。
私がもっとふんぎりの良い考えを持っていたら。もっと向こうで何も持っていなければ。
シャンクスさんを好きにならなければ。
たらればの話をしていても仕方がないのは分かっている。それでも、考えずにはいられない。それくらいに、どちらも失い難い。
目を開いて空を仰ぎ見る。青空に、白い雲がゆっくりと流れていく様子と波の音に、次第に心が落ち着く。
考えても答えが出ないなら、それでも良い。それを伝えれば良い。
それは開き直りだったのかもしれない。それでも、そう思うことで、ようやく深く息を吸えた気がした。
「なまえ!」
「ぅわっ...!!」
と、大声で後ろから声をかけられ、だらりとベンチにもたれ掛かっていた力を使い切った体が驚きに飛び跳ねた。
紛れもなくシャンクスさんの声だった。
「え!どうして...」
「残念だったな」
軽く息を弾ませた彼が、一歩一歩こちらに近づいてくる。思わず私も立ち上がり、距離を置く。よくよく見れば、彼の手には紙が握られていた。
「それ...」
思わず立ち尽くし、シャンクスさんの手を指差す。小さく揺れ動くそれは、風のせいではないだろう。と言うことは、だ。
それは、私のビブルカードだ。
そう思い至り眉が下がる。後ろに下がる気も無くなった。
ずっと、持っていたの?
10年以上も?
私なんかより、ずっと長い時間、たった1枚のそれを持ち続けていたの?
「バカじゃないですか...」
は、とシャンクスさんが息を整えて目の前に立った。見上げた彼の表情は、どこか晴れ晴れとしているのに、その瞳に映る私は、眉を下げていてどこか情けない顔をしている。
「ずっと、持ってたんですか?」
「あァ」
「10年以上も?」
「そうなるな」
「ただの紙だったんですよ」
「ピクリとも動かなかった」
知ってる。私も、ただの紙のそれを見続けてきたから。動かない紙。本当に、相手を指し示すのかさえも疑わしく思えてきてしまう。それでも手放せないのは、もしかしたら、という思いを捨てきれないから。それがどれほどまでに滑稽なことだっただろうか。
それなのに。
「どうして、」
「同じだよ」
会いたいと、思い続けていたからだ。
そう呟かれると同時に、片腕で抱き寄せられた。同じだったのか、彼も。シャンクスさんもまた、会いたいと、思っていてくれていたのか。泣き笑いのような、どちらともとれる嗚咽が出た。
(初めまして、愛しい君)
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