13
その夜は長かった。
一応は病み上がりということで、深夜ではあるが先に抜けさせてもらったが、みんなはまだまだ朝まで飲むだろうという様子で相変わらずのペースで飲んで騒いでいた。
部屋はあてがわれていないがすぐに使えそうな部屋の用意も難しいので、選択肢は船医の診察室を兼ねた部屋の奥にある診察台に使っている簡易ベッドか、さきほど寝かされていたお頭の部屋のどちらかだという。もちろん、お頭、シャンクスさんの部屋は丁重にお断りをして船医の所の簡易ベッドを選んだ。そこの部屋自体は船医の診察室と書庫としての使用で船医にも自室があるため夜間は何事もなければほとんど使われないらしい。
1人船内に戻った私は、説明された通りに足を進めてようやく着いたそこに息を吐いた。(乗ったことはないけれど)豪華客船のような広さの船内を1人歩くのは少し心細くもあった。甲板から聞こえる声が遠のいていくのも尚更だ。それでもやはり疲れからと、勧められて飲んだお酒の影響からか、少しばかりもつれる足を見て早々に抜けさせてもらって正解だったと思い直す。
誰もいない室内には、診察室という名にふさわしく消毒液の匂いがした。病院に似たそれは潮の香りよりもよっぽど嗅ぎ慣れた匂いに思わず深く息を吸う。カーテンの奥に置かれた簡易ベッドのさらに奥、くり抜かれたような窓からは月は見えないけれどそれを反射した海面が静かに揺らいでいた。
一体、どれくらいそうしていたのだろうか。
疲れているはずの体に反して、気持ちはまだ落ち着いていないようで目だけが冴えていた。ゆらゆらと揺れる水面をただひたすらに眺めていた。じゃぶじゃぶと揺れるたびに耳に届く不規則な波の音に少しだけ瞼がおりそうになった時だった。がちゃりと扉の開く音に思わずカーテンの奥に意識を向けた。
「ここにいた」
波の音に代わり、私の耳に届いたのはシャンクスさんの声だった。かなり飲んでいるのだろうか、おぼつかない足取りでこちらに寄って来た。ここにいたって、探していたのだろうか。
「気づいたらいないから探しちまった」
「それは...すみません」
「ん、いや。おれの勝手だ。こっちこそすまん、休んでるとこ」
寝る直前のような格好だった私を見て、彼は少し酔いが覚めたのだろうか、視線を泳がせて頬をかいていた。
「どうかしましたか?」
「ん...、なんでもねェよ」
「どうもしてないのに探してたんですか?」
迷子のような歯切れの悪い返事に、ベッドの上に上げていた身体をおろす。カーテンのかかっている所からはこっちに来ようとしないシャンクスさんに私から近づく。なかなかにお酒くさいところを見ると本当に相当飲んでいるのだろう。
「いますよ、ここに」
「おォ...」
「すみません、声もかけずにいなくなって」
決まりが悪そうに明後日の方を向く彼がなんだか可愛らしくて思わず笑ってしまった。かなり年は離れてしまったものの、なんだか子供のような様子に笑いが収まらない。
「ふふ」
「なんだよ」
「シャンクスさん、子どもみたい」
「おれが?こんなおっさん相手に」
思わず笑いながら、爪先立ちになって彼の頭を撫でた。それを彼は、拒否こそしないものの全くもって不本意だと言わんばかりの態度と言葉にまた笑みが深まる。
「ありがとうございます。ちょうど眠れなかったんです」
撫でていた手を引っ込めてそう言えば、彼は急に表情を私を心配するものに変えた。それを見て今度は苦笑いが出た。彼は時々、私に対して過保護すぎる気がする。それが何故なのかまでは私には考えが及ばないけれど。
「本当に、ただ眠くなかっただけですよ。お酒も久しぶりに飲んだし」
「そんなに飲まねェのか?」
「そう、ですね...はい。前に飲んだのも随分と前です」
そりゃ勧めて悪いことしたな。
そう言って申し訳なさそうに笑った彼を見て、先ほどまでの幼さというか、危うさというか、そういったものが綺麗さっぱり無くなっていることに安心した。こうであって欲しいだなんて、私のわがままなのだけれど。
「どうだ?久しぶりに飲んだ酒は」
「苦いです」
顔をしかめて言うと、彼は面白そうに笑った。手近な椅子を寄せてベッドサイドに置くと、そこに腰掛け私にも座るように促すので、ベッドの縁に腰掛ける。
窓から入り込んだ月明かりが彼を照らしていて、とても綺麗だと思った。
私はしばしば彼を綺麗だと思う。夕暮れの時と今。あの時とは違う、少し官能的な色合いを含んでいるな、なんてぼんやりと思った。
「なまえ...?」
またぼんやりと眺めていたのだろう、彼が私の名を呼んだ。2人きりの室内で、それはひどく色っぽく響いたように感じたのはなぜだろうか。
「なァ」
のばされた腕は私のひょろひょろの腕と違い、がっしりと筋肉がつき、日に焼けて浅黒いのが月明かりでもわかる。指先もごつごつと骨ばっている。それくらいの距離に彼の腕があり、目の前には彼がいた。瞳の中にお互いが映って見えるほどの距離に、動けなかった。
「今度は、」
頬に添えられた手がとても温かいのはお酒のせいだろうか。徐々に距離がなくなっていくのに、彼の瞳を見ていると金縛りにあったかのように動けない。お互いの息遣いがわかる距離になった時だった。
「病み上がりに手ェ出そうとしてるんじゃねェよなァ!」
バタン!と大きな音を立てて船医が入ってきた。2人して見てわかるほどに肩を揺らし、瞬時に距離をとる。幸い、カーテンが開け放たれてなかったため、直線上ではあるものの、船医からは見えていないようだった。
「相手が弱ってるからって手ェ出そうとしてんじゃねぇよ」
「んなことしねェよ!」
「どうだかな」
慌ててカーテンの向こうに消えて行ったシャンクスさんとの会話が聞こえてくる。私は、と言えばばくばくと今更になって大きく鳴り響く心臓を押さえつけるように胸元の服を握りしめたのだった。
(例えばそれが始まりの鐘だったなら)
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