■ 心操人使
今日は学校は非番。ただ関西方面に出向く用事があり、目覚ましが鳴ったのは4時。いつもよりも断然早い時間なため、周りに配慮しつつ身支度を整える。軽く荷物も見直して、寒くなってきた気温に対応すべく、今季初めてのマフラーを巻いて、と準備を整える。時計を見れば予定より少し早いけれど、まぁ、早いに越したことはないか、とバッグを肩にかけて職員寮の外に出る。
当たり前と言うかなんというか、学校の敷地内とはいえ誰1人いない。冬の色が濃い早朝の、冷たい空気が、早起きでぼんやりした頭を冴えさせるには十分だった。ぼんやりと歩きながら、本当にこの学校広いなぁ、なんてどうでも良いことを思っていれば、人影が視界に入る。
「あ、心操くん」
声をかければ、人影は止まり、こちらに目線を向ける。白い息が揺らぐさまを見ながら歩み寄れば、向こうも待ってくれているのか弾んだ息を整えている。
「早いね」
「朝の方が人も少ないんで」
「そう」
特に用事があった訳ではないので、簡素なやりとりになる。心操くんもそんなによく喋る方ではないようなので、互いに白い息が出るのを無言で見る。
「...意味もなく呼び止めてごめんね」
「別に良いです」
「そう、良かった」
彼の言葉にほっと息を吐く。
じゃあ、と言おうとした瞬間、心操くんが私のバッグに視線を向けた。
「出かけるんですか」
「あ、そうなの。関西まで」
ふーん、とさほど興味なさそうではあるものの、歩き始める私の隣を歩いてくれている。こんな朝早くからトレーニングをしていたとは...。横目で彼を見上げれば、どことなく隈も濃い気がする。もちろん、相澤先生も彼の意思を尊重した上でトレーニング内容を決めてはいるのだろうが。
「無理しないくらいで頑張ってね」
なんて、遅れたスタートを取り戻すべく努力する彼にかけられる言葉は、こんな月並みなことだけだ。心操くんも、はい、と小さく返事をしてはくれたが。
「...なんていうか」
「うん?」
ぽつり、とこぼれ落ちるような小さな声で話した心操くんに返事を返す。考えながら話しているのか、はたまた言い淀んでいるようにも見えるその様子に視線を向ける。
「名前さんは甘いですよね」
「そうかなぁ...。あぁ、でも、そうかも...?」
それは自分に対してなのか、相手に対してなのか。多分、後者の意味合いが強いのだろうが、そう言われれば、そうである気がする。腕を組んでうむ、と首をひねる。
「俺が頑張らなきゃいけないのは必要なことだからだし、無理だってしなきゃならない時もある」
「そうだね。沢山頑張ってるのは聞いてるし、見てるよ」
「は?」
「ふっふー。知らなかったの?」
そりゃ気になるでしょう。生徒たちがどんな風に頑張って、目指すべきものを目指しているのか。それに生傷も絶えない子たちばかりなのだから。
心操くんが私がそういう場を見ていたのがよほど意外だったのだろうか、少しだけ目を見開いている。
「それでもよ」
ちょっとばかり驚かせられたのが嬉しくて、にやにやと頬が緩む。見えてきた校門が、視界の端に入った。
「私は甘やかすのが好きなの」
「...ずるい先生」
「なによー。厳しいばっかじゃ大変じゃない」
だからバランスが取れて良いでしょ?
そう言って笑えば、彼もまた薄っすらと笑い返してくれたのだった。
(じゃあ、行ってきまーす)
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