■ トガヒミコ
もう、日もとうに落ちた夜。強くなるばかりの雨足に、知らずため息を漏らしながら街中を歩いていた。
雨のせいで人もまばらだ。気温もそこまで高くない。は、と息を吐けば少しだけ白く巻き上がり、すぐに消えた。ぶる、とポケットの中で震えるスマホを見るために目線を動かした時、ビルの隙間にあった暗闇に、白い影を見た気がした。眉を寄せ、そちらを見つめると、人だった。こんな雨の中、人から見えにくいビルの間に?
震え続けるスマホは電話なのだろう。そして相手も相澤先生のはずだ。けれど一度視界に入った人影に気を取られ、そのままぷつりと震えが収まった。電話が切れたのだ。なるべく視線を外さないように、位置情報を相澤先生に送った。ここは雄英の近くだ。万が一敵だったとしても、相澤先生以外でも誰かが来るはず。
雨が叩きつける中、一歩一歩歩みを進めれば、ビルの間、だいぶ奥の方に座り込む小さな影が鮮明な人影へと変わった。
「え、ちょっと...!」
それは、制服姿の女の子だった。異質なのは、雨ざらしにも関わらず血の匂いが立ち込めるほどに、彼女が血まみれだということ。ビルの壁を背に血の流れ続ける足を伸ばして座り込んでいる。
思わず傘を傾けるようにして隣にしゃがみ込めば、彼女は犬歯を見せながら人懐っこい笑みを浮かべた。
「お姉さん、見たことあります」
「え、どうして...、ってそれより!傷治さないと!」
彼女の言葉に私を?疑問が出た。私の記憶の中に彼女はいない。それでもそれよりも先に、怪我を何とか、と手のひらに傷を作る。溢れ出す血を彼女の足に撫でるように沿わせれば、とりあえず未だ流血を続けていた足から血が止まり、雨がそれを洗い流す。
「うわぁ、すごいっ!本物だ!」
きゃっきゃ、とまるで見世物を見た子供のような無邪気な反応だった。あれだけの、しかも自分の足の傷なのに、他人事のような反応をする彼女に一瞬だけ眉が寄った。
「痛く、なかったの...?」
「痛いですよ?」
彼女を見上げるように聞けば、彼女は答えてくれる。素直に、笑顔で。でも、他人事のように。どうしてなのだろうか。痛いと、言えるのに。
様子のおかしな少女に眉を寄せ、とりあえず警察にも連絡をした方が良いかもしれない、と考えていると彼女の手が傷のある方の私の手をとる。
「いいなぁ、お姉さん。いいなぁ」
「いっ、」
傷のある手に指先を這わせて、傷口を抉るような強さに思わず声が出ると、彼女は益々笑みを深めた。
「もっともっと、血が出てれば、」
「ちょっ...!」
「キレイなんじゃじゃないかなぁ!」
三日月型に歪められた射抜くような視線に、ぞくりと背筋が震えた。それは純粋な恐怖からだったのかもしれないし、ただの寒気だったのかもしれない。手を引こうと力を込めたがびくともしないそれにどうすべきか考えるよりも早く、雨音に混ざって私の名前を呼ぶ声が響いた。
「名前!」
その声に反応したのは、彼女だった。はっとした表情を見せたかと思えば、少し残念そうに私の手を離すと、指先に残った血を舐めるような動作をする。
見る見るうちに変化する外見に、目を見開いて見るがその後ろ姿は、簡単に闇の中に紛れた。
あれは“私”だった。
傘もささずに来てくれた相澤先生が、暗闇を見つめて座り込む私の腕を引き上げた。
「何があった」
「今、ここに、」
驚きで途切れ途切れになる私の様子と、彼女に抉られた手から滴り落ちる血を見て眉間に深い皺を刻む。
「...とりあえず学校に戻るぞ」
肩を寄せるように腕を回され、ビルの合間から出ても、私は彼女のいた方向を見続けていた。
(あの子は誰?)
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