■ イレイザーヘッド
「あー、職住近接ってステキ...」
休み前日の23時。普段ならそろそろ寝る準備でも、という所ではあるが今私がいるのは職員寮。生徒寮とほど近い場所に設けられた、造りもほぼ同じそれの談話スペースで、人がいないのを良いことにソファにだらりと寝そべっている。足は出てしまっているが。
「前だったらあの時間に帰ってたらようやく家で一息ついてた所だもんなぁ」
大きな独り言ではあるが誰もいないのでもちろん返事はない。なぜ私が今、この談話スペースで寝転びぶつぶつ独り言を言っているのか。理由は至極真っ当で、長湯をしてのぼせたからである。元々今日はそこまで体調が良くなかった。個性の使いすぎによる貧血。日常的なものだが、職員寮には浴場があり、ここ数日シャワーで済ませてしまっていた事から明日休みだし、少しくらい、というなんとも甘い考えにより今に至る。つまり貧血と逆上せのダブルパンチで動けないから部屋に戻りもせずにだらしなく寝転がっているだけなのだ。
そう、全部自業自得である。
「ふふ、逆上せって意外と長引くのね...」
自分の間抜けさに乾いた笑いがこみ上げてくる。誰もいない談話スペースには私の小さな呟きだけが反響する。すると近付く足音。え、この時間に?と自分を棚に上げて思い少しだけ頭をあげるものの、やはりまだ少し世界が回っているようだ。すぐに頭の下にひいていたクッションに突っ伏す。
「...ここは共有スペースだぞ」
「相澤先生...」
ソファの背もたれ越しに何してんだ、と言わんばかりの、というか目で訴えてくる相澤先生に顔だけを向けてへらりと笑う。それに眉を寄せられてしまった。
「体調でも悪いのか?」
「はは、お恥ずかしい...」
あーでこーでとことの経緯を説明すれば、向かいのソファに腰掛けた相澤先生がなんとも呆れを含んだ目で見てくる。やめてください、私が一番わかってるから。見れば相澤先生ももう寮に戻って一息ついた所なのか、相変わらず黒ずくめではあるものの、私服で髪も上げている。手には飲みかけのペットボトルがあり、食堂にそれを取りに来たのか?と考える。
「何か飲んだのか?」
「1階に私物を置いてなくてですね...」
私の返答に今度はしっかりと呆れた反応を返されて私はへらへらするしかなかった。すると相澤先生が自分の手元に目をやる。
「飲みかけで良いなら飲むか?」
「え!」
思わず仰向けだった状態から背もたれに腕を置いて起き上がるがぐらぐらする頭に身体が崩れる。それを見て相澤先生が慌てたように手を伸ばしてくれたおかげでバランスを崩してソファの下に落ちることはなかった。
「す、すみません...!」
「あのな...」
片腕で支えられたまま謝ればため息混じりの声が聞こえる。すぐ横、ぴたりとくっついた部分から熱が広がる。やばい、悪化しそう。
「ゼリーばっかりの相澤先生から他の食料をいただくわけには...!」
「おい」
「い゛っ!」
恥ずかしさから冗談混じりに軽口を言うと、反対の手で小突かれた。痛みに涙目になりつつ、ふと見ればペットボトルは横のテーブルに転がっていた。
「あの、」
「ん?あぁ、悪い」
段々と気恥ずかしさの増していく、回された相澤先生の腕に少しだけ反発するように力を入れるとそれに気付いた相澤先生が腕を外してくれた。少しだけ名残惜しいと思ってしまうのは弱っているからなのだろうか。不思議そうに自分の手のひらを眺める相澤先生に、あれ、なんか汚かったか?と一抹の不安がよぎった。
「だいぶ熱い。素直に飲んどいた方が良いんじゃないかね」
そしてそのまま、ちゃぷちゃぷとペットボトルの中で揺れる水を見せつけるように目の前にそれを持って来られれば、確かに喉も渇いている私は素直に頂くことにした。今度はちゃんと座り、横から差し出された水を飲めば、逆上せた身体に染み渡っていく気がした。水分大事、本当に。
まだ少しふらつく頭ががくんと相澤先生の方へ傾く。肩に頭を乗せてしまい、はっ!とすぐに離れようとするが、それを制するように相澤先生がいい、とだけ言うものだからついその言葉に甘えてしまった。
「相澤先生は甘やかすのが上手ですねぇ」
「何のことだ」
両手で持ったペットボトルはまだ冷たさを感じる。ふと普段の生徒と接する時や今の状況を思い出た言葉。そう、甘やかし上手だ。厳しいことも言うことが多いけれど、やっぱりその人の事を思ってなのだから甘やかし上手。
ふふふ、と1人笑っていると、すぐ傍から酒でも飲んでんのかと言われてしまった。残念ながら素面です。
「なんだかんだ優しいですものね」
「本当に飲んでないのか」
「えぇ、褒めたのに」
にやける顔を隠しもせず、肩に頭を預けているから彼の顔は見えないけれど、それでも訝しむさまがありありと思い浮かんでまたにやける。
相澤先生からふわりと鼻孔をくすぐる香りに、規則的な息遣いに、不思議と逆上せも貧血もドキドキも、全てが落ち着いて行くようだった。
(それを見ていたらしいミッドナイト先生にそれはそれは問い詰められた翌朝まであと9時間)
(ワーカーホリック相澤先生は既に休日出勤済みだった)
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