■ イレイザーヘッド



生徒が通学制から全寮制に代わるということになった。色々騒ぎが大きくなった結果なのだろうし、教師陣はとてつもなく忙しい中、私達看護教諭にもその余波は来ていた。昼ごはんもちゃんと食べれないまま終業。クラスを受け持つ先生たちは全寮制になるその説明を明日から各担任が生徒たちの自宅に向かってする予定なのだけれど、


「ね?お願い!今度埋め合わせするから」


その時に渡す書類の数枚がマイク先生の机に混ざっていたらしい。ということはこれは相澤先生のものだ。それを要請を受けて出て行ったマイク先生の代わりにミッドナイト先生が持って行く予定だったらしいのだが、彼女にも要請が入ってしまった、ということらしい。帰りがけに引き止められたと思ったら...。


「わかりました。でも相澤先生に連絡しておいてくださいね」

「もちろん!ありがとう、助かったわ名前ちゃん!」


時間は20時過ぎ。ここから相澤先生の家は遠くもないので、帰りがけに寄っても大して時間は取られないだろう。第一、明日必要なものがマイク先生が持っていたなんて明日、マイク先生は相澤先生にしこたま怒られてしまうだろう。この前はマイク先生についていっただけだったので少し道順に不安を感じつつ、ミッドナイト先生から書類を受け取り学校を出た。







「こっちかなぁ...。あ!あったぁ...!」


案の定というかなんというか...。おそらく合っているだろうが自信がない。学校からは歩いてもそんなに距離がないと思っていたが自分一人、道順を思い出しながらだと想像以上に時間がかかってしまった。

部屋番号もうろ覚えではあるが、外のポストには当然名前が出されているわけもなく。迷った末に間違えたら謝ればいいのだ!とインターホンを鳴らす。


「................」

『...はい』

「あ!夜分にすみません、苗字です!」

『苗字...?』


やばい、間違えたか?と思うほど鳴らしてからたっぷり数秒の間の後に低い声が返事を返す。名乗ると訝しむような反応なのが気になるが、自動ドアを開けてくれたということは入っていいのだろう。


「こんばんは」

「あぁ、」

「あの、これ、ミッドナイト先生から」

「...あぁ、そういうことね」


玄関ドアの前に着くと、前回と同じく良いタイミングで扉が開かれた。ファイルに入れた書類を鞄から取り出して渡せば、ようやく合点がいったと言わんばかりに納得の声を漏らした。頭をかきながら悪いね、なんて言われれば全然!と返すしかない。さてはミッドナイト先生、連絡入れてないですね。


「...じゃ、じゃあ私はこれで」

「いや、待て」

「え」


そそくさと体を反転させて帰ろうとすると呼び止められる。え、何か足りませんでしたか?


「歩きなんだろ?」

「はい、そうですね」

「俺もちょうど出るところだったから送る」

「え!そんな!」


お気遣いなく...!と言うよりも早くシューズボックスの上に置いてあった鍵を手に取る相澤先生。そのままドアに鍵をかけると、マンションの廊下を歩き出しエントランスに向かう。


「タイミングが良かっただけだ」

「...買い物ですか?」

「まぁな。スーツのボタンが取れかけてる」

「あ、それなら私あります!」


あります?と言わんばかりの表情で、ぴたりと歩みを止めて私を見下ろす。なんて良いタイミングなんだろう、と今朝の自分の行動を思い返す。


「今朝ちょうど、コンビニでソーイングセット買ったんですよー」


ごそごそと鞄の中を漁りながら言う私を特になんの感情のこもってない表情で見下ろす相澤先生。関心なかったですかね。


「スカートが破れちゃって...」

「は...?」

「あ!別に太ったとかじゃないですよ!元々糸がほつれててそこから解けていっちゃっただけで...!」


視線がすっと一瞬下に下がるのを感じて慌てて弁明をする。そう、太ったわけではないのだ。断じて。しかし元々糸がほつれていた服を着ているということを言ってしまって少し恥ずかしい。ようやく鞄の奥底から見つけたソーイングセットは朝に使ったきりだったので、買った時の袋に戻してぱっと見は新品のようである。


「一式揃ってますし、たぶん...白と黒の糸も入ってるはずです」


手渡すと相澤先生は助かる、とだけ言った。そしてそのまま沈黙。あれ、なんだか緊張してきた。これはさっさと帰ったほうがいいかもしれない。ちらりと相澤先生を見上げると、渡したソーイングセットを見つめて動かない。どうしたんですか。


「大丈夫ですか...?」

「ん?あぁ、平気だ」

「お疲れ、ですかね」

「いや、そんなことは」

「目、充血してますけど」


あ、眉間に皺が寄った。さっきよりかは距離が近く、顔が見えるが、よくよく見ればわかる程度ではあるものの、目は充血しているし薄っすら隈もあるようだし顔色もそこまで良くない。騒ぎのあとで業務が多忙なのだろう。明日からもまた生徒の家を回らなければならないのだ。さっきの緊張も何処へやら、これは少し休んでいただきたいという思いがむくむくと湧き上がる。


「もしよろしければ、私がボタン付けしましょうか?」

「それはさすがに悪い」

「じゃあ少しで良いのでお休みしません?」


なんなら私、個性使いますよ。と言えばうんうんと少し悩んだように唸るとじゃあ、と家に戻って歩き出したので、私もそれに習って後をついていく。控え目にお邪魔します、と一言伝え中に入ると、やっぱり相澤先生本人の私物の少ないリビング。ってなにあの黒猫の置物、5、60cnくらい高さがありそうなんだけど。またマイク先生が置いていったのか、なんて考えていると、ウォールラックに掛けられたスーツが目に入った。ああ、ジャケットの前ボタンがたしかにゆるんでいる。

相澤先生はさっきまで思案していたとは思えないほどマイペースにソファに腰掛け、膝の上にノートパソコンを置いて何やら仕事を始めている模様。ワーカーホリックか。


「相澤先生、水道と電子レンジお借りしてもいいですか?」

「あぁ、好きに使ってくれ」

「ありがとうございます」


本当に関心ないな。と逆に私が感心してしまった。
以前、私が個性を使うことに気を使ってくれていたから、とりあえず個性は無しで、鞄からハンドタオルを取り出すと、シンクで水に濡らす。絞って秒数を設定した電子レンジにタオルを入れれば簡易蒸しタオルの完成である。


「相澤先生、一旦パソコンやめて下さい」

「は?」

「これ、気持ちいいですよ」


下げていた視線を上げ、私の手元を見てわからんと言う表情がありありと見えた。それに少し笑ってしまったが蒸しタオルであることを伝え、あんまり長持ちしないですけど、と付け加える。


「忙しいのもわかりますけど、10分かそこら休んでも良いと思いますよ。ほら、いい感じに温かいんで乗せてください!」

「おい、」


わずかに抵抗を見せた先生の顔を上に向かせ、前髪をどかしてタオルをそっと乗せる。あ、大人しくなった。くすくす笑っていると、何笑ってんだと言われてしまったので、そそくさとスーツのジャケットをハンガーから取りに行く。振り返っても大人しく動かない様子を見てふふ、と笑いがこみ上げた。そのまま私はソファに座る相澤先生と少し距離をとるようにソファを背もたれにカーペットに座ってジャケットのボタンを付け始めた。

ボタン付け自体は簡単なのですぐ終わってしまう。一緒に入っていたハサミで余分な糸を切り、またハンガーにジャケットをかける。戻ってみると相変わらず上向き加減で動かない相澤先生を見下ろす。まだ温かいのだろうか、と思いタオルに手を伸ばしたタイミングが一緒だった。


「ぅえ...!」


気配を感じたのか、自分でタオルをズラした相澤先生と目があった。いかがなものかと言う声がつい出てしまい、伸ばしていた手も固まってしまって動かない。さっきより充血が減っている。と思考を逃してみるが、どうやらあまり効果はないみたいだ。前々から思っていたけれど、相澤先生の目はとても強い。個性のせいもあるのかもしれないが、この瞳とかち合うと視線がそらせなくなってしまう。かぁっ、と顔に熱が集まるのを感じた。今まで遠くにいっていた緊張感だって一緒に戻ってきてしまう。


「相澤せんせ、」


声が震えたのが自分でもわかった。それが余計に恥ずかしい。どうしよう。どうする。働かない頭をフル回転させた結果、


「まっ、まだ温かいですね!もう少し乗せときましょう!」


はははは!と不自然な笑い声と一緒にタオルで目元をもう一度隠した。はー!あっつい!何あれ、目で人殺す系の人なの?とあながち間違いではないことを考えた。どきどきと騒がしいする胸元に手を当てながら間を空けてソファに座り、深呼吸の後に相澤先生に声をかける。


「ボタン、つけられました」

「ん、そうか。助かった」

「いえ...」


まだたしかに温かかったこともあり、相澤先生は素直にタオルを目の上に乗せている。しかし、私はもうその下にとんでもないものが潜んでいることを知ってしまったので手は出さない。さて、長居は無用、さっさと帰ろう、私のために。そう思って立ち上がろうとした瞬間に、いや待て、彼が今使ってるの私のじゃん、と思い至る。どうしよう、置いて帰る?待つ?と俯いてぐるぐるぐるぐる悩んでいるその頭上から声がかかった。


「こんなのでも楽になるもんなんだな」

「うわ!はい!」

「どうした」

「いえ、なにも?」


身体全体が揺れるほど驚いたあとに、誤魔化しきれないはずなのに震える声で平静を装う私。相澤先生はじっとそれを見ていて、耐えられない私はつつつ、と少しずつソファの上で高が知れているが距離を取る。それに気づいたのか、相澤先生がゆったりと立ち上がり前に立つ。なぜ?と思う間も無く顔の横に腕が伸びてきて、ただでさえ縮こまっていた身体をさらに縮こませる。


「危機感が薄い」

「へ?」

「って、言われないか?」

「う、わ...!」


思わず顔を上げると目の前に相澤先生。腰を折り、鼻先が触れそうなほどの距離に少し冷めかけていた熱が先ほどよりもずっと集まる。すぐ目の前にある端正な顔立ちに、吐息すらもわかる距離でのあの囁くような低音の声が耳を撫で上げるようで、背筋がぞくりとした。これは無理...!


「気をつけるんだな」


そう言うと、すっと距離ができた。相澤先生が姿勢を戻したらしい。私のぽかんとする様子が面白いのか、くつくつと笑いを噛み殺して見下ろす相澤先生を一度だけ見上げ、ただでさえ真っ赤であろう顔がとてつもなく恥ずかしくて顔を隠しているのか頭を抱えているのかわからない勢いで俯き、顔を背ける。叶うなら今すぐ叫びたい...!


「も、ほんと、に勘弁してください...!」

「あんまりにも構えないもんでね」

「何ですかそれ...!それが理由になるんですか...!?」


死ぬかと思った!と続けると、相澤先生からは死にはしないだろ、と冷静な突っ込みが入る。心の問題ですよ!心の!しかし冷静ではない私の頭は、恥ずかしいのにどうしても相澤先生に視線が行ってしまう。だってまだ口元に手を当てて隠してるけど小さく笑ってる。震えてる肩が堪えきれてない。珍しい。


「そんなに笑わなくても...」


恥ずかしいし情けないしで、顔は赤いままなのに情けない顔になってしまう。恋愛偏差値の低さが憎いしそれをモロに露呈してしまった。


「ま、それはともかく助かったよ」

「それなら、まぁ、はい。いいです」


なんとなく言いくるめられた気がしないでもないがそう言われてしまえば他に言うこともない。ぶすくれた不細工顔であろうとも。そもそもミッドナイト先生が届けてくれていたら、と事の原因を恨めしく思った。同時に以前絡まれた時の会話を思い出し、


「はっ...!図られた...!?」


今になってミッドナイト先生を恨みつつ、もしかしたら彼女の期待した通りになってしまっているんじゃないか。そう思うとようやく落ち着いた心も空虚になってしまうのだった。















(ちなみに相澤先生ちゃんと駅まで送ってくれました)
(いやもうしばらく顔合わせたくない...!)


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