おおかみ | ナノ
 夕飯を食べる時、先輩はまた一口食べる毎に「美味しいです」と嬉しそうに言っていた。俺も、そんな風な先輩を見るのは嬉しいっていうか、なんていうか。…うーん。
 葵のせいだ。なんだよ好きって。先輩の方を見てみる。め、目が合った!

「松風くん、美味しいね」
「そっそそそうですね!」

 やっぱり先輩のことは好きだけど、そういう好きかって言われると違うと思う。たぶん。
 れんあいとかあんまり詳しくないけど、恋とかって楽しいものだと思う。あと、幸せなのかな。こんなもやもやしてるのは、おかしいと思うんだ。




 「また明日ね」と言って、ついこの前まで空いていた部屋に先輩は入って、いかなかった。立ち止まって俺の方に振り返る。

「松風くんまだ時間ある?」
「時間、ですか」
「ちょっとお話したいな」

 先輩の部屋は一階にあって、俺の部屋と形や大きさは変わりないみたいだった。俺が初めてここに来た時のことを思い出す。確か、すごく広く感じたんだ。
 部屋には三分の一の大きさに畳まれた布団と、先輩が持っていた大きなかばんだけがあった。

「家具はまた明日送ってくれるんだって」
「そうなんですか」
「あ、せっかく私が先輩なんだから、いつでも勉強のこと聞いてね!」
「えっと、はい」

 何を話せばいいんだろう。部のことかな。それとも、先輩の好きな映画の話とか。家のことを聞いて、答えてくれるかな。

「松風くん」
「はい!」
「また明日、一緒に学校行っていいかな」
「…もちろんです。ていうか、そのつもりでした」

 にこ。先輩が笑う。俺もつられて笑う。
 また一緒に学校に行けるんだ、よかった。少し、ほっとした。
 先輩のことはよく分からない、クラスすらも知らないし、なにを考えてるかもちょっと分からない。突然木枯らし荘に来た理由もだ。仲良くなれたら、と俺は思うけど、先輩もそう思ってるかは分からない。俺のことはきっと嫌いじゃないと思う。…けど、どうなんだろう?
 先輩が早くもうとうとまどろんできた。今、何時だろ。この部屋には時計もないし、今携帯も持ってない。一昨日のことから、おそらくそんなに遅い時間でもないけど眠たげにしてるんだと思う。

「そろそろ寝ましょうか」
「うー、ごめんね」
「いえ俺も、そろそろ眠いので」

 なんて、そんなこともないんだけど言っておく。すると先輩は「だよね。もう遅いもんね」と目をこすりこすり言った。小さい子供みたいだ。

「ていうか先輩、お風呂とかは」
「朝に入るからだいじょぶ…」

 ばたんとまだ畳んである布団の上に頭から倒れ込んだ。そんな俯せの体勢で、窒息しないんだろうか。

「先輩、布団敷いてないです」
「やだ」
「なにがですか」
「寝る」
「分かってます!」

 あれ、返事が無い。布団を敷くため動くのを待っても、特に動きがない。しばらくして聞こえたのは案の定、寝息だった。
 この状態で一晩眠ってしまったら、おそらく明日先輩は体中が痛いと思う。床で寝てるようなものだし。…先輩は起きる気配がない。息こそ聞こえても、微動だにせず死んだように眠ってる。
 俺が布団を敷くしかないみたいだ。

「先輩、ちょっと失礼しますね」

 きっと聞こえてないんだろうけど、念のため。先輩がいたら布団を敷けないのでゆっくり抱き起こす。
 顔見てもいいよな。仕方ないんだから。…やっぱり無防備で、いけないものを見てしまったような気になる。

 布団を敷くのなんて慣れてないし少し手間取ったけど、なんとか完了。適当なところに寝かせておいた先輩を、布団に移さないといけないわけだ。
 流石にごろごろ転がせる訳にはいかない。先輩だし。先輩だし。それに、先輩だし。これはその、抱っこしか無いはず。転がされるよりは、ましだと先輩も思うはず。

 思えば一昨日の晩はワキだけ掴んでズルズル引きずったわけで、またそうすればよかったのだと思う。抱っこなんて考えが出たのは、俺がそういうことをしたいとか考えてたってことなのかもしれない。実際、先輩を抱き上げるときにはどきどきと、にやにやとが止まらなかった。自己嫌悪。
 それもこれも、先輩の部屋を出てから思い付いたことだった。まさに後から悔いるから後悔と書くのだと思う。

 先輩は思ったほど重くもなかった。線が細い人だし、俺と背は大して変わらなくても体重は俺より軽いのだと思う。また持てる自信がある。それから感じたことといえば、先輩の妙に柔らかい体の感触とか。肌がさらさらしてたこととか。駄目だ、考えれば考えるほど色々思い出す。
 そういえば、制服のまま眠らせちゃったけどよかったのかな。一昨日は秋姉がなにか着替えさせてたみたいで「天馬は出てって!」と言われて追い出されたんだった。しわになるだろうなあ…。かと言って俺が着替えさせるなんて、いやいやそうじゃない。
 明日、先輩は家具を送ってもらうって言ってたな。手伝うことがあれば手伝わせてもらうし、無いならまた河川敷に行こう。練習ならいくらしたって無駄にはならないし。




 …またよく眠れなかった、目が冴えてしまって。暗闇の中で考えるのは先輩のことだった。微笑むんだときの笑顔と、一昨日の俺の右腕の感覚と、他人事みたいな相槌。さっきの、先輩を持ち上げたときの感触もだ。
 葵の言葉も何度か考えた。やっぱり好きっていっても友達の好きだと思う。うん、結論が出た。

 先輩は家が「複雑」らしい。こういう人に会ったのは多分初めてだけど、「複雑」の理由は本人が話すまで無理に聞かないもの、なんだよな。俺だって、話したくないことを人に聞かれたら嫌だし。先輩から話すようになるかはともかく、こうして先輩が身近になったんだから、嫌な思いはしないよう、頑張りたい。嫌なことがあったりしても、それが忘れられるくらい他に楽しいことがあればいいはずだ。
 …先輩がなにを「楽しい」と思うのかはまだ知らないんだけど。それはこれから知れるはず。

 朝、先輩に手伝いが必要か聞くと「たぶん大丈夫」と返ってきた。よし、河川敷で練習しよう。


110806
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