おおかみ | ナノ
 女の人が夜に一人っていうのは危ないとよく聞く。それが、中学生の先輩なら尚更だと思う。家に帰ると言う先輩を送らせてもらうことにした。先輩は「そんなのいいよ」と言ったけれど、用心に越したことはないし、先輩と少しでも長くいたいと思ったのだ。

「送ってもらうなら私、まだ帰らない」
「なんでそうなるんですか」
「松風くん、練習に来たんでしょ?まだ練習してないよ」

 先輩は俺が抱えていたサッカーボールを見つめる。…確かに、練習はまだ出来てない。

「でも、先輩を一人で帰したくないです」
「うん」
「うんじゃないです」
「ごめんごめん」

 くすくす、と笑った。先輩はよく分からない、本当に。切り替えが早過ぎて、なんだか調子が狂うなあ。

「私も練習のお手伝いしたいな。ボール拾いくらいは出来るよ!」

 俺の腕からボールを奪い取り、サスケに「ね!」と笑いかけた。わん!とサスケも返事をする。相当先輩に懐いてるみたいだ。
 昼間にサッカーって面白そう、と言っていた先輩の顔を思い出す。楽しそうで、ちょっと大袈裟かもしれないけど幸せそうだった。俺が「先輩もサッカー、やりませんか」と誘うと、照れたように笑っていた。

「先輩、パスの練習付き合ってください」
「パスって私、上手く蹴らないよ?」
「俺もあんまり上手くないんで、大丈夫です!」

 三国先輩に「パスの練習をしておけ」と言われたし、自分でもパスは苦手だと思う。一人でずっと練習していたドリブルなら、自信はあるんだけどな。
 先輩は戸惑いながらも、嬉しいみたいで「どこから蹴ればいい?」と目を輝かせた。




 先輩の息が上がり、俺に向かうボールも弱々しくなった頃、秋姉が河川敷の脇の道に立っているのが見えた。そっか、ご飯の前なんだった…。

「そろそろ終わりにしましょうか」
「そ、そうだね…」

 暗い中ではあったけれど、先輩の髪が汗で額に張り付いているのが見えた。顔も紅潮しているし、無理に付き合わせてしまったかもしれない。

「二人とも、もう遅いし帰ろっか」

 練習が終わったのを見計らってか、秋姉が言った。

「わ!秋さんいたんですか」
「楽しそうだから声かけられなくてね」
「…楽しそう、だったかな?」

 急に俺に話を振られても。

「楽しそうでしたよ」

 そう素直に言うと、先輩は既に赤かった頬をさらに赤くして「ちょっと、恥ずかしい」と呟いた。かわいい。…いや、いやいや。そうじゃない。かわいいとか、なに、それ。違うよ。
 脳内で葛藤していると「松風くん、どうしたの?」と先輩に怪訝そうな顔をされた。




 先輩を家まで送ることにした。

「私を送ったら、帰りに松風くんと秋さんが危ないよ」
「俺をなんだと思ってるんですか」
「…ちっちゃい子?」
「身長なら先輩より大きいですよ」

 とは言っても、その差も数センチくらいなんだけど。
 年齢は一つ上だけれど、先輩が年上らしいかと言えばそうでもない。大人びたところもあるけれど、やっぱり小さく見える。

「なまえちゃんも木枯らし荘に住めば一緒に帰れるのにね」

 突然、秋姉がそう言った。唐突にもほどがある。俺が言うのもなんだけど、秋姉らしくない子供みたいな言葉だ。

「そうですね、そうだったらいいのに」

 先輩が頷く。

「そうだったら楽しいのにな」




 マンションの前で、先輩は少し名残惜しそうに「またね」と手を振った。やっぱり朝のように、家に帰るのに躊躇しているようで、サスケを撫で回していた。それを見兼ねてか、秋姉は普段通り優しい声色で一言だけ、

「困った時は頼ってね」

 先輩の目が大きく見開いて、そのあと恥ずかしそうに小さく小さく返事が聞こえた。

「………はい」




 「先輩の家の人は忙しいのかな」帰り道、秋姉にそう聞くと「それなりに忙しいんじゃないかな」と返ってきた。

「それなりに?」
「お父さんはね。お母さんはずっと家にいると思うよ」

 よくわからない。

「家にいるのが辛いんじゃないかな」
「なんで?」
「んん…複雑なのよ」

 説明することが複雑なのか、先輩の心の中が複雑なのかと言えばたぶん、後者だとは思う。秋姉は話したがらないみたいだ。秋姉にとっても、複雑なのかもしれない。
 明日の朝、また一緒に学校に行きましょうって誘えばよかった。先輩に部活の話をすると「すごいねえ」と少し他人事のように相槌を打ってくれる。先輩の話は大体、彼女が好きだという映画の話だった。共通点がなかったけれど、一緒に歩くのがすごく楽しいと思ってた。先輩もそうだったら、いいのに。

「なまえちゃんと仲良くなれるといいね」

 秋姉が言った。…うん、そう思う。




 目覚まし時計を止めて、唸ってちょっと寝返りを打って、それからようやく起き上がる。寝ぼけ眼で部屋の中を確認しても、先輩らしき人はいなかった。当たり前ではあるんだけど、昨日の衝撃は忘れられない。
 とりあえずジャージに着替えて、まだあくびをしているサスケに「行こうか」と声をかける。

 先輩の家の方を回ってみようかな。鬱陶しいだろうか。


110724
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