おおかみ | ナノ
 翌朝の目覚めは悪かった。なんだか昨日の夜はよく眠れなかった。先輩の泣き顔と、一瞬だけと思って見た寝顔が何度も頭をぐるぐる回って、罪悪感なのか心臓がまたばくばくして、部活に自主練で疲れているはずなのに目が冴えてしまった。
 目覚まし時計を止めて、起き上がると部屋に誰かいた。誰か、サスケじゃない。どこからどう見ても、先輩だった。

「ごめんねてんまくん!」
「え、あ、はい!」
「昨日、私寝ちゃったみたいで」
「…そのことですか」

 「え?」と先輩が首を傾げる。まさか俺が先輩のことを考えてしまうことについて謝られたのかと思ったなんて、言えるはずがない。なんとかごまかして、布団から出た。四月とは言え、ちょっと肌寒い。

「あと腕、ずっと掴んでたみたいだし…」

 そういえば布団を敷き、秋姉が先輩を移動させようとしても中々俺の腕を掴んで離さなかった。これも昨日眠れなかった要因の一つかもしれない。
 別に、そんなこと構わないんだけどな。先輩にそう伝えると、にこにこ笑って「それならよかった」と言った。俺に笑顔が向けられたのは初めてかもしれない。そもそも、先輩と会ったのは昨日が最初だったわけで。

「俺、先輩の名前を知らないんですけど」

 いや、正しく言えば名前は知ってる。下の名前は。秋姉が昨日「なまえちゃん」と呼んでいたし。ただ、俺は先輩とそこまで仲良くもないし、名字は知っておきたかった。

「そ、そっか!知らないんだね」
「先輩は俺の名前知ってます?」
「てんまくん…だよね?」

 やっぱり先輩も、秋姉が俺を呼ぶのを聞いていただけみたいだ。

「松風天馬って言います。サッカー部の」
「すてきな名前だね!松風くん」

 松風くん。先輩の口が俺の名前を発した。疑問符も付いていないし、戸惑いもなかった。でも、なんだか複雑だ。

「私はね、みょうじなまえといいます」
「みょうじ先輩ですか」
「みょうじ先輩です!」

 なんだそりゃ。先輩の自信ありそうな顔がおもしろくて、つい吹き出してしまった。先輩は「なんで笑うの!」と怒りながらもくすくす笑っていた。

「松風くん、学校に行く前にランニングするって聞いたから。その前に謝りたくて」
「…そうですか」
「私は一旦家に帰らないといけないし」

 制服を着ていたけれど、それは昨日着ていたものなのだろう。洗ったかどうかはともかく、先輩は抱えていた鞄を叩いたあたり、教科書がないってことかな。
 なんて言えばいいんだろう。先輩はこれから家に帰って支度をして、学校に行く。俺はサスケと走って、学校に行く。学校は同じだけど、きっと先輩とは会わないだろう。今までに先輩を校舎内で見かけたことはない、気がする。大して気にもかけてなかったから、微妙なところはあるけど。

「あの、先輩の家ってどのあたりなんですか?」




 木枯らし荘から歩いて十分くらいのところに先輩の家があるマンションはあった。サスケが急かす分、実際には十分もかからなかったと思う。
 背の高いマンションを先輩は眺めていた、というか、睨んでいたように見えた。

「私の家はね、六階なの」
「あそこ、ですか」
「うん。ベランダに出ると、ちょっと怖いんだ」

 朝に先輩が俺の部屋に来てからやけに懐いているサスケの頭を、先輩が撫でる。にこにこしているけれど、あまり楽しそうには思えない。なんでだろう。
 先輩はなかなか家に戻ろうとしない。気持ち良さそうに目を細めるサスケと、楽しくなさそうに笑う先輩。先輩は話さないし、なんだか気まずい。

「せ、先輩は部活とか…」
「やってないよ」
「サッカーは好きですか?」
「ワールドカップの時だけ、試合見るかな」

 …うーん。

「ごめんね。サスケくんのお散歩に来たのに」

 家に戻るの、気まずいのかな。昨日は秋姉が電話したって言ってたけど、そもそも先輩が夕ごはんの時間までずっと木枯らし荘にいた理由はなんだろう。女子の家の事情はよく知らないけど、暗くなるまで外にいるのって普通はよくないんじゃないかな。

「ありがとう、もう行くから。またね」

 先輩が笑う。やっぱり楽しそうには見えない。よく分からないけど。胸がずきずきするような、嫌な笑顔だった。

「今から俺、学校の準備してきます」
「うん?」
「急いでまた来ますから、一緒に学校まで行きましょう」

 サスケには申し訳ない、今日はあんまり走れなかった。その分は夕方って、だめかな。サスケを見ると、頷いてくれた。ごめんな。

「でも松風くんの家から、私の家って学校とは正反対だよ」
「大丈夫です。走るのは得意ですから」
「う、ほんとにいいの?」
「先輩さえ良ければ!」

 先輩が嬉しそうな顔をして、「じゃあ、私も急いで準備するね!」と返事をした。
 少し、ほっとした。嬉しそうな顔をしてくれて、俺の誘いを受けてくて。ずきずきするのも自然となくなった。




 先輩が小走りにマンションへ入って行ったのを確認してから、サスケと普段の朝のように家まで走る。
 秋姉曰く、もう朝ごはんは出来てるらしい。部屋で着替えて、さっさとごはんを食べる。マンションまでの道なら、今来た道より近いのを知ってる。
 自分でもわかる。顔がにやけてることと、意識しなくても足が大きく前へ前へ動くこと。


110718
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