1


チュンチュンと小鳥の鳴く声がする。いつの間にベッドで眠っていたのだろう。薄ぼんやりとした意識が、次第にはっきりと鮮明になった。

見覚えのあるまだら模様の天井は、病院や学校によく使われているものだった。白くて清潔なシーツからは、薄い消毒液の香りがする。不自由な両手にはぐるぐると丁寧に包帯が巻かれており、右肘の真ん中からは長いチューブが伸びている。勢いよく起き上がると、視界がチカチカと眩んだ。ひどい立ちくらみだった。白い閃光のようなものがもやもやと視界を阻んで、わたしは倒れるようにベッドに戻った。

ここ数日は、珍しく任務のない穏やかな日々が続いていた。愛憎の念が入り混じるクリスマスや、人を恨みたくもなる忙しさの年末年始をやっと越え、皆の負の感情も少しずつだが落ち込んでいた。バレンタインを控えてはいるが、これはクリスマスほど盛り上がる行事ではない。夏の繁忙期に向けて、鬱々とした感情の蓄積は行われているだろうが、今はそこまで忙しくない。

そんな折、わざわざ入院するような出来事があっただろうか。両腕の包帯を見る限り、どうも病気などが原因ではないように思える。夢の続きを見ているのだろうか。頭の奥の方がガンガンと激しく痛んだ。強い痛みは、深く考えることを妨げている。小鳥が鳴いているということは朝なのだろうか。朝だとしたら、昨夜何かがあったのだろうか。ひどく喉が渇いていた。まるで、何日も何も飲んでいないかのように。

その時だ。ガラガラと擦れた音を立ててドアが開いた。ぺたぺたと柔らかい音を鳴らしながら、誰かが部屋に入ってきた。わたしはゆっくりと起き上がり、入ってきた者が何者かを確認しようと試みた。病院だから医者か看護師か。いやでも、サンダルを履いている医者などいるだろうか。一人暮らしをしている身なので、親族が見舞いに来ているとも考え難い。

「ようやくお目覚めだね。まだもう少し寝ていなよ。私は医者を呼んでくるから」

声の主は長い腕を伸ばして、わたしの身体を横たえるようベッドに戻し、ぽんぽんと優しく頭を撫でた。そして、手に持っていた白い花をひとつひとつ花瓶に挿し入れて「大人しくしていなよ」と声をかけた。

どうも状況が読み込めず、混乱して目をぱちぱちと大きく見開いているわたしの頬に、男はちゅ、と弾むようなリップ音を残した。真っ直ぐに伸びた長い黒髪がふわりと揺れて、頬を僅かにくすぐった。指通りの良さそうな髪の毛から、ほのかに白檀の香りがする。仏壇の香りの代表だと言うのに、男が纏っていると香水のように官能的なのだから不思議だった。

スマートフォンを耳に当て、どこかに電話をしながら病室を去るこの男のことを、わたしは確かに知っている。そりゃ、知ってはいるのだけれども。

夏油傑。彼は呪術師の先輩だ。高専の頃から付き合いがあるため、特別関わりが薄い人ではない。ただ、こんなに親しい間柄だった記憶もない。お見舞いに来るだけなら兎も角、頬にキスを落とすなど。

何かあった。何かあったに違いない。そうでなければ、納得のしようがなかった。ただ、何があったかの検討はつかない。

わたしが気を失って、目が覚めるまでの間に何かあって。それで夏油さんと親しくなって、あまつさえ記憶も失くしてしまって?

思い出すことができない。考えても考えても、わたしは昨日きちんと自室のベッドに入った筈であったし、夏油さんは恋人でも何でもなかったはずだ。もしかせずとも記憶喪失では無かろうか、という不安は募り膨らんでゆくのだが、昨日から今朝にかけての記憶は確かに地続きだ。昨夜わたしはベッドに入って、そして先ほど目が覚めたのだ。

夢を見ているのかもしれない。それも飛び切り悪い夢。恋人でもなんでもないはずの夏油さんを、恋人のように振る舞わせてしまう夢。

わたし自身は、夏油さんのことを碌に知りもしないのに。夢なら自覚したところで目が覚めるはずだった。もう一度眠れば、きっと自宅のベッドの上だ。「変な夢を見たんだよね」と友人に暴露して、大いに笑い飛ばしてもらおうと目を瞑った。

つるつるとよく滑る病室のシーツを握るようにぐっと掴んで、わたしは再び眠りについた。








人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -