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ピンポンピンポン。
日曜日、午前10時半過ぎ。ドアチャイムがけたたましく鳴り響いている。実家を出て、一人暮らしを始めて早数年。六畳一間のわたしの城に、わざわざ訪ねてくる人間は限られている。
わたしはテレビボードの奥に仕舞ってあった印鑑を片手に、細長い廊下の奥にある玄関へと向かった。
宅配便だ。頼んでいた荷物は、午前着指定をしていたから間違いない。今日は五条先輩と映画に行くという約束だが、待ち合わせは新宿に午後12時。まだ少し余裕があった。どうせ五条先輩のことだし、多少遅刻はするだろう。わたしはせっかくの日曜日なのだからと、遅いブランチを取ろうと思っていた。頼んだ荷物は、わたしにしては少し背伸びしたをブレンドコーヒー。既にホットケーキを焼いてある。バニラアイスでも乗せようかな。冷凍のベリーミックスもまだあったはず。
わたしは鼻歌まじりでチェーンを外し、少しだけドアを開けた。そして光もびっくりするような速さで閉めた。バタン。
ガンッという硬い音がして、ドアの間に何かが挟まっている。何かではない、足だ。先のとんがった黒っぽい革靴が、わたしの玄関のドアを閉じまいと、ドアストッパーよろしく滑り込んでいた。
「酷いなあ、お届け物なんだけど」
「宅配ボックスにお願いします」
「僕宅配ボックスの場所分かんない」
ミシミシと嫌な音を立てているドアを閉じるべく、必死で力を込めるものの、顔が見えるくらいには開いてしまっていた。こんなことをする奴は一人しかいない。
「不法侵入で警察呼びますよ、五条先輩」
「警察に僕が止められればの話だけどね」
段ボールを片手に持った五条先輩が、わたしの部屋に押し入るため、ドアをこじ開けようとしている。どう考えても犯罪者の行為でしかないそれを、正々堂々とやってのけようとするのだからこの人はすごい。今すぐやめてほしい。
「宅配業者の人に何をしたんですか?」
「人聞き悪くない?この家に届けるって言ってたから好意で代わってもらっただけだよ」
絶対に脅したに違いない。宅配業者の人、ごめんなさい。この先輩常識ってものがカケラも無いみたいなんです。
「ドア壊れちゃうよ?」
「誰のせいですかね?」
「僕?」
五条先輩の足を蹴りながら、どうにか帰っていただく方法を考える。ほぼ人類最強な五条先輩のこと、本当にドアを壊しかねない。
「待ち合わせは12時の筈ですよ?」
「朝イチで任務が入っちゃって、丁度近くが君の家だったから来ちゃった」
「任務ならさっさと行ってくださいよ!」
「もう終わったに決まってるでしょ」
僕を誰だと思ってるの?と鼻高々に笑っているこの男を、早く誰か引っ叩いてほしい。五条先輩は長い体躯を屈むように折り曲げている。もしかすると、屈まなければドアの上部に頭をぶつけるのかもしれない。ぜひともぶつけてしまってほしい。ガツンと。タンコブができるくらいには強く。
「はは、寝癖付いてる」
ひょいと伸びた長い腕が、わたしのうなじをするすると撫でて、跳ねた髪の先っぽを摘んだ。ぴょっこり跳ねているその髪の毛は知っている。顔を洗ったときには既に気がついていたけれど、面倒くさがって直すことはしなかった。わたしは今、そのことを物凄く後悔している。
「セクハラで訴えますよ」
「世界最強のスーパーグッドルッキングガイにえっちなことされましたって?」
五条先輩はクツクツと笑いながら、調子に乗ってTシャツの背中に手を突っ込もうとした。僅かに触れた指先に身震いして力が抜けたのを、この男が見逃すはずもなかった。
なす術もなくガチャンと締まったドアに、わたしは深く息を吐いた。力いっぱい抗っていたので呼吸が荒い。五条先輩はご丁寧に、後ろ手で鍵とチェーンを閉めた。
「そんなに嫌?酷いなあ、傷付いちゃう。僕たちお見合いした仲でしょ?」
「もっとゆっくり距離を詰めてくださいよ」
「ゆっくりなら逃げない?」
暗いサングラス越しに、青い瞳が爛々と輝いている。逃げるに決まってるでしょう。相手は五条先輩。逃げなきゃ骨までしゃぶられてしまうに決まってる。
わたしの顔に逃げます、と書いているのが読めたのかもしれない。五条先輩は苦笑いをして身体を離した。わたしはほっと胸を撫で下ろし、ほんの少しだけ警戒を解いた。
「いい匂いがするね、ホットケーキ?」
「そうですけど」
小さなワンルームマンションの玄関に、大の大人ふたりはかなり狭い。しかもわたしのマンションの玄関は壁がとても薄い。こんな状況下において190cm越えの男が「僕も食べたい」と大暴れするなど誰が想像しただろうか。
お願いだから帰ってください、というわたしの懇願は、ホットケーキを差し出しても聞き入れられることはなかった。