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日曜日は、冬がそろそろ終わろうとしているにも関わらず、夜に雪が降ったようだった。道路脇に残った白い雪の名残が、茶色くなって固まっている。わたしは雪のせいで遅延した電車のため、三十分ほど大遅刻をしてしまっていた。これではやはり、どう考えても第一印象は最悪だ。もともとこちらから断るつもりだったとはいえ、この様な有様ではみっともないという理由で、先に突き返されてしまうことだろう。

似合わない淡いワンピースは、母に勧められたけれど着るのはやめてしまった。断る、断らないに関わらず、わたしはわたしらしく居たいと思ったからだった。

五条先輩は、まるで煙のようにわたしの生活からすうっと消えてしまった。たった1ヶ月だというのにも関わらず、ぽっかりと胸の内に穴が空いてしまったようだった。

必要以上に騒がしい人だったから、余計にそう感じてしまうのかもしれない。

五条先輩は、いつの間にかわたしの生活にずかずかと土足で踏み込んで、何の面白みもない単調な毎日に無遠慮に混入して、ぐちゃぐちゃに引っ掻き回して、嘘みたいに色濃くその存在感を残していた。それはもうまるで、白いキャンバスの上を、世界中の青い絵の具を使ってぐちゃぐちゃに汚したみたいに。


五条家に産まれた男の子の話は、寂れたボロ家の娘であるわたしの耳にも、幼い頃からよく届いていた。

彼は生まれた時から恵まれていて、たくさんのものを持っていて、それでも全部全部持っている訳ではなかった。両手から溢れたものを泣く泣く少しずつ切り捨てて、選別して、それで今は先生をやっている。七海君がそうしたように、硝子先輩がそうしたように、そして夏油先輩がそうしてしまったように。わたしもわたし自身でたくさんの選択をしてこの地に立っている。もうひとつ、選択をする日はそう遠くないのかもしれない。

このお見合いをきちんと断ったら、電話のひとつでもかけてみようか。食べたいケーキがあるんです、と言えば甘いもの好きな彼のこと、釣られてひょっこり出て来るかもしれない。あの日噛んでしまった唇を、しぶしぶではあるが謝ってもいい。合コンに行って欲しくない理由だって、まだきちんと納得出来るものを聞いていないのだし。

答えは、五条先輩の気紛れかもしれない。「今は興味無いんだ、ごめんね」と断られる可能性も大いにある。

それでも良い。例えもうすでに終わってしまっていたとしても、この関係に名前をつけても良いような気がするのだ。

溶け始めた雪が滴ったせいで濡れた外套を拭いながら、わたしはウェイターのお兄さんに声をかけた。あの日とは違う、笑顔が硬い男の子だった。

「ご予約の方ですね、お連れ様がお待ちです」

新人なのだろうか。まだ少し表情ははぎこちないけれど、彼も印象は悪く無かった。やはり並びの良い白い歯を控えめに見せながら、わたしをラウンジの奥にある予約席まで案内してくれた。品の良いラウンジでは、埃ひとつない美しいシャンデリアがお行儀良く並んでいる。店内にはやはりひとりも客がいないので、本当のところ、このティーラウンジは流行っていないのかもしれない。綺麗に磨かれた大きな窓越しに、ほんの少しだけ雪化粧をした東京の街が見えていた。

「最初のお飲み物はアッサムです。お連れ様には既にお出ししておりますので、すぐにお客様の分を持ってきますね」

ウェイターのお兄さんは、ロボットのように身体を90度に折り曲げて一礼をした後、流れるような……とは少し言い難い不慣れな動作で奥に引っ込んでしまった。ほどなくして……いや少し時間が経った後、温かいティーポットが運ばれてくるだろう。



まあ、それよりも。なによりも。


「前より遅いなんて酷すぎない?僕の紅茶、冷たくなっちゃったよ」


湯気の立っていない紅色のお茶の底には、すっかり見慣れた白い砂糖の山が既に出来上がっている。底が山になっているのにも関わらず、未だ執念いくらいに砂糖が投下され続けているせいで、紅茶の色はもやもやと白く濁って変わろうとしていた。

特徴的なサングラスも、軽薄な「やあ」という挨拶も、1ヶ月前と何ひとつ変わっていない。長い足は、相変わらずとても邪魔そうに組まれていた。

「五条先輩」
「その様子だと、相手が僕だって知らずに来たんだ。やっぱウケる。でも久しぶりだね、元気にしてた?」

わたしが思わず少し笑うと、五条先輩もつられて笑った。

「ぼちぼちですね」
「びっくりした?」
「まあまあですかね」

にやにやと笑っている五条先輩を横目に、わたしはゆっくりと席に着いた。五条先輩は、ケーキスタンドのマカロン、エクレア、カヌレを摘んでひょいひょいと口の中に放り込んていた。

「僕が居なくて寂しかった?」

三日月のように歪められた五条先輩の唇には、噛み跡も瘡蓋も付いていない。


全部全部彼が仕組んだことなら納得もいく。『お見合い相手の筈だった男性はどこに行っちゃったんですか?』だとか『前も本当はこんな段取りだったんですか?』だとか、彼にはたくさんたくさん聞きたいことがあった。



寂しかったのは本当だけど、この後電話しようかとも思っていたのだけれども、素直に認めるのは大変に癪なことだったから、わたしは五条先輩のケーキスタンドからいちごのケーキをひとつ攫って「それなりに」とそっけなく答えたのだった。




おしまい。







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