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「オマエさ、男だったら誰でもいいの?」

固く閉ざされていた五条先輩の口から出たのは、そんな失礼極まりない言葉だった。明るい店内とは違う薄暗いアパートの廊下では、サングラスの黒いレンズ越しでも、彼の瞳の明るさがよく分かった。心底軽蔑するかのように、五条先輩は何の感情も温度も乗せず、わたしへの文句を吐き捨てた。

「送っていただきありがとうございました」
「……そりゃどーも」
「頼んでませんけど」
「あっそ」

五条先輩は握ったままの手を離そうとしない。ぶんぶんと大きく振ってもピクリともしない手は、普段なら難なく振り解けていた筈なのに。

「五条先輩」
「なに、泊まって良いなら泊まるけど。タクシーのおじさん下に置いてきちゃったよ」
「そんなこと言ってませんけど」

決壊したダムのように軽口を叩き始めた彼に、「五条先輩」ともう一度名前を呼んだ。名前を呼べば、返事は返ってくるようだった。「なに」と不機嫌そうに聞き返す彼の声は、やっぱり低くてとても冷たい。とげとげで剥き出しになっている五条先輩の感情が、ひりひりとわたしの胸を焼いていた。

でも、おかしい。やっぱりちょっと、おかしいと思う。

「わたしが誰と合コンしようが、やっぱり五条先輩には関係ないです」
「オマエ、まだそんな事言ってんの?もう一度聞くけど、男だったら誰でもいいの?」
「誰でも良いわけないでしょう」

誰でも良い、なんて人が本当に居ると思っているのだろうかこの人は。わたしは眉間にぎゅうと皺を寄せて、全力で五条先輩を睨みつけた。五条先輩も負けじとこちらを睨んでいる。握り合った手は、どちらからともなく汗をかいていた。いつの間にか絡んだ指先は、こんなに寒々しい空気を纏っていなければ、まるで恋人同士のようだった。

「誰でも良いなら俺にしろよ」

そう五条先輩がぽろりと溢したのと、長い体躯がぐっと折れ曲がってこちらに傾いたのは、ほとんど同時の出来事だった。繋いでいない方の手が、乱暴にサングラスを押し上げてから、わたしの顔をそっと捕らえた。無理矢理と言っても差し支えないほどの強い力で、五条先輩の唇が振ってくる。「ちょっとまって」という制止の声は、やはり聞き入れられることは無かった。薄いとばかり思っていた唇は柔らかく、見た目通りしっとりとしている。驚いて見開いたわたしの両眼には、伏せられた瞼を新雪のように縁取る、ふさふさの白い睫毛が映っていた。

押し上げられた前髪の下、惜しげもなく晒されている整った顔立ちに、ああやっぱりこの人はとんでもなく美形なのだと改めて実感する。

唇をこじ開けようとする湿った感触が、五条先輩の舌だと気付いたのと、わたしが彼の唇に歯を立てたのは、やはりほとんど同時の出来事だった。

絡んだ手はあっさりと解かれた。五条先輩の唇を滴る赤い血が、わたしの頭をすうっと冷やしていた。五条先輩が血を流している。

今でこそ最強がそのまま服を着て歩いているような五条先輩だけれど、学生時代にはそれなりに怪我をすることがあった。だから彼の血液を見ることなんて、初めてではない筈なのに。

背筋がぞっと震えるのを感じた。

たくさんの光を弾く真っ白い髪が風に揺れて、真っ青な瞳は月明かりを反射しながら、水面のようにきらきらと光っている。わたしは赤い唇から落ちる雫に、罪悪感と若干の恐怖を覚えて身を縮こめた。五条先輩は、嗤っている。

「…っ、」

身体が離れたことを良いことに、わたしは自身の部屋に入って、ばたんと扉を閉めた。五条先輩は、いつかのように無理矢理ドアをこじ開けるようなことはしなかった。へなへなと力なくしゃがみこんで、膝に顔を埋めていると、遠くでカンカンと階段を降りる音が響いているのが聞こえた。


その日の未明、わたしは未読で無視していたトーク画面を開いてみたけれど、五条先輩からの連絡は入っていなかった。わたし自身何か言えるようなことも無く、その日は結局、合コンをセッティングしてくれた友人に謝罪のメッセージをひとつ送って、そっとベッドの中に潜り込んだのだった。







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