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「大丈夫?」
「絶対折れてます」

彼女曰く絶対に折れてるとのことだったので、どれどれ、ヨイショと脚に触れる。ストッキングが大きく破れているが、血は滲んでいない。足首を軽く握るように触れると「痛っ」と小さく声が上がった。折れてはなさそうだが、熱を持っているので腫れてそうだ。ううん、見事な捻挫だね。明日には赤青い痣になっているだろう。

「うう、足が痛い…」
「立てる?」
「たてない…」

しょうがないなあ、と彼女を抱え上げようとすると「やだ!」と抗議の声が上がった。

「立てないんでしょ、大人しくしてよ」
「おんぶにして下さいせめて…」

酔っ払いのプリンセスは、お姫様抱っこはお気に召さないらしい。「はいはい」と素直に従って、再び彼女の前に背を向けてしゃがみ直す。動けない彼女は大人しく僕の背中に体を預けた。

「背中に吐いたら僕の家まで連れて帰るよ」
「ぜったい吐かない…」

ドクドクと煩い僕の心臓の音が、彼女に聞こえてしまわないか少し不安になってしまう。別に聞こえたところで構いやしないのだけれど。

駅までは歩いて15分程度。転んだせいで彼女の酔いはさらに回ってしまうことだろう。ただ、この非常に美味しい状況をもう少し堪能していたくて、一駅ほど余分に歩くことにした。どうせ捻挫は明日硝子に治してもらうのだし。……こんな事でいちいち来るな、と叱られてしまいそうだな。

背中に感じる温もりは、酒に酔って体温が上がっているからだろうか。耳に触れる吐息に、ぞくぞくとしたものを感じてしまう。知ってる?おんぶの方が体の引っ付く面積大きいんだよ。

「今日、快気祝いだったんです」

ぽつりと、彼女が呟いた。だから調子に乗って飲んだ、という言い訳だろうか。

「君の?」
「ちがいます。職場の人です」

黙って彼女の話に耳を傾ける。こうやって、彼女が自分のことを話してくれるのは珍しい。酔っているからかもしれない。

「ひと月ほど前、呪霊が職場に出たんです。五条せんぱいからすると、雑魚に違いないんですけど。わたしは結構、倒すのいっぱいいっぱいで。結果的に、ひとり大怪我してしまって。命に別状は、なかったんですけど」

僕は「うん」と相槌を打った。

「わたしが弱かったから、大怪我しちゃったのに。その人、わたしに向かって“ありがとう”って言うんです。わたしがいたから助かったって、そう言うんです」

背中にしがみついている彼女の力が強くなった。腕が伸びて、首に巻き付くように絡められる。思わず鼓動が早くなって、それを誤魔化そうと唾を呑んだ。ごくり、と人知れず喉が鳴る。

僕は彼女の方に少しだけ顔を向けて、話の続きを促した。アルコールをふんだんに含んだ彼女の吐息が、頬に当たってくすぐったい。

「そんなこと言われたら、わたし、呪術師やっててよかったって思っちゃうじゃないですか。もっと強くなりたいって、そう思っちゃうじゃないですか」

それは、呪術師としての強さがなくても構わない、と普段から豪語している彼女の紛れもない本音なのだろう。僕は「よく頑張ったね」と彼女の頭を空いた手で撫でてやる。想像通り柔らかい髪の毛が、するすると指の間を抜けていった。

「もう少し強くなりたいです。せめて大切な人たちくらいは、笑っていられるように」

呪術師でいると、悲しい出来事に遭遇するのはそう珍しくはない。それこそ、悲劇は無限に存在するものだ。彼女は実力こそ月並みだけど、卒業してからも折れずに呪術師を続けている。それは七海にも出来なかったことなのに。

僕は「君は強いよ」と彼女に告げた。彼女の強さは、力ではない。心の強さそのものだと、僕はそう思っている。

「気休めはやめてください」
「あれ、そこは喜びなよ」
「わたしは弱いですから」

ぶす、と頬を膨らました彼女が、僕の背中にもたれかかる。こんな風にして彼女の本音を聞くのは初めてかもしれない。僕は相当、警戒されているみたいだから。

「でも、またそんな事があれば僕を呼んでね」
「五条せんぱい忙しいでしょ。電話出ないって七海君が怒ってましたよ」
「君からの電話ならスリーコールで出るよ」

僕の本心だというのに、彼女は「きっしょ」と短く吐き捨てた。ひどくない?最強の僕がわざわざ助けに行ってあげるって言ってるのにさ。
「じゃあワンコールで出るね」と告げるも、返事は「やめてください」の一点張りだった。

「五条せんぱい」
「なに」

酔っ払いは饒舌だ。本当に、いつもこのくらいお喋りしてくれれば嬉しいのだけれど。

「迎えに来てくれてありがとうございます。頼んでないけど」

今度は僕が唖然として、言葉を失う番だった。ずるいよなあ、そういうところがさ。街灯に照らされているふたりぶんの影が、ひとつになった。渋谷のうるさい喧騒も、今は耳に入ってこない。あーあ。この会話だって、どうせひとつも覚えてないんだろうな、この馬鹿。

「…頼んでよ、今度から。飲み会の時は僕に連絡すること。おんぶの貸しはそれでチャラ」
「ええ…やだ……」
「だめ。ほら、リピートアフターミー!“わたしは、飲み会の時は五条悟に連絡をすることを誓います”」
「ええ……やだ…」
「早く言え」

ドスドスと捻挫の患部を指で突くと、お酒のせいで判断力が半分以下になった彼女は渋々『わたしは、飲み会のときは五条せんぱいに連絡する…』と呟いた。ちょっと文面が違うけど構わない。ボイスレコーダーにしっかり記録したし、明日からはこれで強請ってやろう。

そういえば、と彼女が小さく呟いた。

「なんでお見合いしてたんですか?」
「何でだと思う?」

この間もそれ聞いてたよね。そんなに気になるのだろうか。教えてあげてもいいけど、まだ少し気が乗らない。

「婚活?」
「はずれ」

うーんと深く考え込む彼女に、ヒントを与えようと決める。さっきより酔いが回って酩酊している彼女は、僕の背中に向かってむにゃむにゃと小さなひとりごとを溢していた。

「君ってさ、僕のこと嫌いでしょ」

意地悪な質問だと思う。まあ、好かれていないことは十分に知っているが。……ああ、自分で聞いておいて何だけど、本当に嫌われていたらかなりショックだな。

「嫌いじゃないですけど、苦手です」
「苦手?」
「五条せんぱいは難しいです。何考えてるのか教えてくれないと、わたしはどうしたらいいか分からないです」

何だそんなこと、と僕は小さく笑いを溢した。そんなの、決まってるだろ。今日だって出張帰りでへとへとに疲れてたんだぞ。何でわざわざ終電を逃してまで君の所に迎えに来たのかなんて、考えなくても分かるだろ。

「教えてほしい?」
「今は怖いからいいです」

遠慮するなって。僕は立ち止まって、首を捻る。そしてふっくらと色付いている彼女の唇に、そっと自身のそれを重ねた。ひんやりとした秋風に冷やされた唇は、乾燥してほんのちょっとカサついている。

「簡単だよ。僕は君が好きってだけ」

どうせ覚えていないんだ。何を言ったって構いやしない。彼女はふうんと言って、それきり黙ってしまった。暫くして、ぐっと体重がかかった後、規則正しい寝息が聞こえるようになった。

「涎、垂らすなよ」

僕は誰に向けるでもなく、クツクツと声をあげて笑った。


彼女の部屋の前に着いた時、彼女はもうぐっすりと眠りに落ちていた。肩にかけた鞄から鍵を取り出して、勝手に部屋に上がらせてもらう。この間入ったし、まあ構わないでしょ。

ベッドに優しく横たえて、離れようとしたその時。ぎゅうと服にしがみつく小さな手。あらま、と引き離そうとしても離れそうにない。いつの間に握ってたんだか。酔っ払いの力って、変な所が強いんだよな、とため息を吐いた。術式を使えばいいのかもしれないけれど、何となく使う気は起きなかった。

「脱いで上着なしで帰るのは寒いし……もー、自業自得だからね」

すやすやと眠っている彼女の横に並んで寝転び、寝顔をじっくり堪能する。寝顔ですら眉間に皺が寄ってるのだからおもしろい。うう、と小さく唸る彼女の頭を撫でて、布団に潜り込んだ。狭いシングルベッドから脚が飛び出てしまっていて寒い。暖を取るべく、僕は柔らかくてあたたかい体に腕をまわした

返事、いつか貰えるといいなあ。まあ肯定以外は聞き入れる気、無いんだけどね。







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