ラブホの一階がラーメン屋はどうかと思う



きっとそれは、どちらかといえば設計ミスだったに違いない。デリカシーのなさで言えば五条悟は確かに特級のくくりにあるが、だとしてもこれはあんまりだ。

「とんこつ二つ、ひとつは大盛りで!」

カウンター席に横並びで座って、わたしは怪訝に眉を顰めた。店内は細長く、テーブル席はひとつもない。わたしの隣に座っている悟は、「僕、ちょうどラーメン食べたいと思ってたんだよね」と実にご機嫌な様子だった。

任務、任務また任務。明くる日も明くる日も、飽きることなく呪霊はもりもり湧いて出る。それらをちぎっては投げ、ちぎっては投げ、わたしと悟はようやく休みをもぎ取った。──休みと言っても、任務終わりの今夜から明日の昼にかけてのごくごく短いものであったが。

「行こうか」と手を引く悟の指が、わたしのそれにゆっくりと絡んだ。呪霊は悟がちぎって投げた。つまるところ、文字通りに。やっと終わった、今日も疲れた。わたしは明日から三日の休みだが、悟はまだまだ働くのだろう。だとすれば、家に帰って各々ゆっくり休むのが賢明に決まっている。それでも「オマエと一緒にいたいんだよ。言わせるなっての」と頬を赤くする悟に珍しく心を動かされてしまったのは、致し方のないことのように思えた。

そこまでは良かった。ただしそこまでは、だ。

そのとき、わたしは緊張していた。生娘ではない。もちろん、悟とも何度かは“そういった行為”に及んでいる。レスではない。わたしたちはそれなりに順調な恋人同士だった。

ホテルに向かうのだって、特に珍しいことではない。生活リズムの差もあり、わたしたちは互いに同じ部屋に住んでいなかったので、ホテルにて及ぶこともままあった。言ってしまえば今日もその、“珍しくない”夜だった。

「どこにする? 適当でいいよね」

セックスをしたいだけでは決してない。それはわたしも悟も同じだった。もう既に日はとっぷりと沈んでいて、今から帰宅は時間がかかる。わたしは部屋の片付けが済んでいなかったので、悟を部屋に入れたくない。悟の部屋はここからとても遠いから嫌だ。だったらもう、ホテルに泊まってしまおう。そう判断するのは合理的だ。それについては、わたしも二つ返事で賛成した。非日常は嫌いじゃない。むしろ大好きだ。もちろん悟となら尚更。

──だけどもやっぱり今からだと思えば、鼓動は速くなるもので。

でも、それがどうしてこうなった。

「あいよ!」と威勢よく暖簾の向こうに消えていった店主に唖然とするも、彼がなんらおかしいわけではない。店主は業務として接客に応じただけだ。

たまたま悟のお腹が特別に空いていただとか、たまたま悟がラーメンを食べたい気分だったとか、色々な要因が重なりに重なってわたしは今カウンター席に座っている。きっとそれは、どちらかといえば設計ミスだったに違いない。ラブホテルの一階にラーメン屋を設けようなど、そんなムードのかけらもないような造りにしてしまっただなんて。

カウンター席の向こうには暖簾があった。その奥はおそらく厨房だろう。先ほどからジャッジャッと小気味良く麺を切る音が聞こえている。暖簾の右側、小さなテーブルの上にはテレビがあった。見た感じだと二十四センチくらいの、ちょうど一人暮らしに最適な大きさだ。液晶に映っているのは野球の中継だった。こんな時間に試合をしているわけもなく、多分ではあるが再放送の類だろう。今はちょうど三回裏で、赤いユニフォームのチームが先制点を取ったところだった。

「あの選手、悠仁が好きなんだよねえ」と呑気に話題を振っている悟は、この状況にさして疑問を抱いている様子はない。悟的に、別段気にするような事柄ではないのだろう。わたしは「たしかにかっこいいね」と相槌を打って、暖簾の奥を覗き見た。ラーメンはまだ出てこない。

明け透けに言えばだが、まさに今からセックスをするためのホテルへ行くのに、わたしは恋人とラーメンを食べようとしている。なんともムードに欠ける光景だった。

「ヘイお待ち!」
「あ、おろしニンニクもお願いします!」
「あいよ!」

既にニンニクがしっかり入ってそうなラーメンだが、悟はおろしニンニクを投入させるようだ。入れるな入れるな、増すな増すなと思いつつ、わたしはラーメンをひとくち食べた。あたたかいとんこつのスープが、疲れた身体によく沁みる。

「さっきから黙っちゃって、どうしたの?」
「食べるときは喋らないでしょ」
「それもそうだね」

悟はパキンと箸を割った。そして白い湯気の立つ麺をズルズルと景気良く啜っている。深く考えるだけ無駄だということは分かっていたが、わたしはそれなりに萎えていた。ニンニクの香りは食欲をそそるが、性欲に対しては逆の効果があるらしい。そんな発見に辟易しつつ、残すわけにもいかないのでラーメンはしっかり食べ続けた。『ノーと言えるようになれよ。じゃなきゃ五条のペースに呑まれるぞ』というありがたいお言葉は、十年も前に硝子から頂いたものだ。

きっとこの後わたしたち、何事もなかったかのようにしてホテルへ行くんだろうな。そしてそのまま、いつものようにベッドの上になだれ込む。わたしがキスをためらっても、悟は「ふたりともニンニク食ってりゃ別に、気にすることもないでしょ」と笑うんだ。隠しごとはすぐにばれる。六眼に心読のような効果はない。当たり前だが、悟は感情の動きに機敏なタイプではなかった。それでも悟は、わたしの感情の動きにはいつもそれなりに鋭いのだ。

「あ、こっち向いて」と呼びかけられて顔を向けると、青い瞳と目があった。新雪のようなまつ毛が閉じて、柔らかな感触が唇に触れる。ちゅ、と可愛いリップ音が小さく鳴った。ラーメン屋には、およそ似つかわしくないものだ。

「前払いもーらい」

ペースは既に呑まれている。しかし、ここでわたしが「ノー」を選択出来るような人間ならば、悟と恋人にはならなかっただろう。悟は白い歯を見せて笑っていた。まるで悪戯に成功した子供のようだ。顔が良い。悔しいほどに、顔が良い。惚れた方が負けだとはよく言ったものだ。わたしは悟に負けている。それもかなり圧倒的に。かつ、たとえニンニクの香りを漂わせていても、悟自身が“ムード”になってしまうのだから世話がない。

野球はコマーシャルを挟んでいた。ちょうど流れた『ノーといえる人になろう』という書籍は、わたしに必要なものだろう。ズルズルとラーメンを啜る音が、カウンター席に響いている。件の本はベストセラーらしいので、明日書店にて手に入れようとこっそり誓った。

惚れた方が負けなんだ。分かっている。でも、やはりホテル前のラーメンは『ノー』だ。

わたしは、鞄の中に忍ばせてあったブレスケアータブレットの残り錠数をそっと数えた。

夜は長い。たぶん長い。きっと、長い。







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