あの新入社員の女の子、傑を狙ってるんだって


★社会人パロ

とにかく、わたしはその飲み会に行って欲しくはなかったのだ。でもそんなことを恥ずかしげもなく面と向かって言えるだろうか? わたしはぐぬぬ、と歯噛みした。傑はソファに座っている。座ってテレビを眺めている。既にシャツは着込んでいて、出発の時間を待っていた。会場の居酒屋までは二十分ほど。まだもう少し時間がある。

「どうしたの? 隣においでよ」

ソファの背をぽんぽんと叩きながら、傑がわたしを呼んでいた。深く腰掛けないのは、おそらシャツに皺が寄ってしまうからだろう。外出を控えている傑と違って、わたしはすでに楽な格好に着替えている。わたしはなるべく平静を装って、「あと何分くらいで行くの?」と彼に尋ねた。

「もうあと三十分ほどかな。早めに帰ってくるけど、先に寝ちゃってて良いからね」

起きてるから一緒に寝よう、は重たいだろうか。早く帰って来なければというプレッシャーにならないだろうか。正直なことを言えば、こういった類の悩みが起こってしまうことも嫌だった。もちろん傑にではない。子供っぽい悩みを抱く自信にひどい嫌気がさしていた。

「体調悪い?」

中々隣に腰かけないわたしを不審に思ってか、ソファの背から傑がぐいと身を乗り出した。

「ううん、すごく元気。とっても元気! ご飯何にしようかなって考えてただけ!」
「そうか。ごめんね、明日は一緒に食べようね」

しまった、少し嫌味っぽかったかもしれない。おいでおいでと手招きする傑の横に腰掛けて、わたしはクッションを抱きしめた。傑の身体に体重をかけても良かったが、せっかくのシャツを皺にするのは忍びない。スラックスもまた然り。わたしはどう取り繕えば“面倒な彼女”でないか、ああでもないこうでもないとあれこれ思案しながら、無難な会話を探っていた。



傑が飲み会に行くことに対して、こんなにもひどくわだかまりを感じているのには、もちろんそれなりの訳があった。わたしも良い歳した大人なのだから、飲み会ごときでぎゃあぎゃあと騒ぐことなどほとんどない。この悩みの発端は、わたしと傑共通の友人である“五条悟”が持ち出したとある情報による。

あれは五条を含めた三人で飲んだ日のことだ。確か、今日からほんの二週間ほど前。五条と傑は高校からの古い友人で、わたしと五条は大学生のときに知り合った。奇しくも、五条とは同じ研究室に所属していたのだ。

五条悟がどのような人間かについて、ここで説明するには些か尺が足りそうにない。とりあえず、彼は女性にモテはするが、人間性が欠落しているとだけ言及しておくこととする。

ともあれ、そんな五条はわたしに大きな爆弾を落とした。傑が席を外した僅か数分の間にだ。彼はそれは愉快そうに唇を歪め、“とっておきの話題”をわたしに提供したのだった。

「そうそう、知ってる?」
「何? 知らないよ」
「傑の会社に、新しい社員が入ったんだってさ。それがまあ、可愛い顔した女の子なの」

五条が飲んでいるのはカルピスサワーではない。下戸の彼はストローのついたノンアルコールのジュースを、まるで酒のようにチビチビと飲むのが常だった。わたしは怪訝に顔を歪め、何でそんなことを五条が知ってるのかについて尋ねた。不愉快な話題も良いところだが、野放しにするのもはばかられる。

「まあね、たまたま帰りがけに傑の会社に寄ったんだ。そしたら見ちゃったんだよね、僕」
「ふーん。でも傑は浮気なんてしないもの」
「しないだろうね、傑は。でも女のほう。あれは傑のこと狙ってるよ〜。すげえ距離近いんだもん」
「……傑は気付いてるの?」
「さすがに気付いてんじゃないの? あからさまもいいとこだったし」

あっそ、気付いてるならいいよ別に。傑は浮気なんてしないし。だったらその女のことはそこまで気にしなくても良いはずだ。わたしは「ふーん」と気のない返事をして、手元のグラスをぐっと煽った。しかしそんなことをしたところで動揺を上手く隠すことはできず、思わず大きくむせてしまった。わたしは、年甲斐もなくやきもちを妬いている。一抹の不安すら覚えてしまっていた。しかし、「案外かわいいとこあるよな、オマエって」と笑う五条に思いっきりビールをぶっかけなかったところは是非とも評価していただきたい。



暗い部屋で目を覚ました。いつの間に眠ってしまったのだろうか。壁掛け時計の針はちょうど二十二時をまわったあたりだ。傑はまだ帰ってきていないらしい。ソファで寝てしまったせいでカチコチになった背中を、わたしは思いっきり伸ばしてほぐした。

みっともないとわかっている。傑がわたしの手を振り解いて、その“可愛い顔の新入社員”のもとへ行ってしまうだなんて考えは、まったくもって馬鹿げている。しかし芽生えてしまった恐ろしい不安は、むくむくと大きく育ってゆく。そういった考えはまるで蛇のようにわたしの側に忍び寄り、「傑だって男じゃないか。可愛い女の子の誘惑に負けないとも言えないさ」と吹聴した。くだらない。そんな話、五条が盛りに盛った噂話に過ぎないじゃないか。わたしはソファから立ち上がり、少し薄手の外套を羽織った。駅前のコンビニに何か買いに行こう。夕食をすっかり忘れていた。傑の居ない部屋はしんと静かで暗かった。だだっ広いだけの寒々しい空間に耐えられず、わたしは逃げるように部屋を出た。情けないことに、帰宅途中の傑に会えるかも、などという下心も勿論あった。

──

会えるかもしれない、という期待は当たったが、見たくないものまで見てしまった。

駅の前、ちょうどタクシー降り場のあたりだ。降り場のむこう、大きなコンビニに入ろうとしたときだった。「ええ〜、わたしのお家、あっちなんですよ〜」という間延びした高い声が耳に入った。

白い春物のセーターを着て、大柄な男性に巻きついている女性がひとり。巻き付かれている男性は、とても見覚えのある男だった。

ああ、来なきゃよかった。タクシー降り場のベンチの側、可愛らしい女の子が傑の腕をしっかりと掴んで離さない。これは確実に狙っているな。女の……それもどちらかと言えば鈍いわたしにもずいぶん分かりやすい光景だった。

別に浮気の現場でも何でもない。傑が異性にモテるのは周知の事実だ。それは時に誇らしく、時に煩わしいものであったが。逃げるように入ったコンビニだったが、出入り口はひとつしかない。今ここから出ようとすると、確実にふたりに見つかるだろう。別に、見つかったところで何ら問題は無いのだが、特に気持ちの良いものでもない。傑からすれば、頼んでも居ないのに(しかも寝てて構わないとまで告げたのに)わざわざ迎えに来た重たい彼女にも映るだろう。それは違う、違うんだ。わたしは心の中で何度も何度も弁解をした。そりゃ、気にならないと言えば真っ赤な嘘になるけれど。

しかしこれ以上見ていられないとして、走って店を出たまさにその時、「あ!」と大きな声があがった。見つかった、まずい! と思い、走る速度を上げたけれど、わたしの身体はあっという間に大きな腕に捕まった。「逃げるだなんてひどいな」と、ほんの少し息を切らせている傑が、わたしを胸に抱き込んだ。続いて、カツカツとヒールがアスファルトを弾く音がする。駆け寄ってきた女の子を一瞥して、傑がわたしの頭を撫ぜた。

「君にはさっきも言ったんだけどね、私には大切にしている彼女がいるから。君の気持ちには応えられないんだよ、ごめんね」

「もう!」だとか「最低!」だとか、そんな罵り声は聞こえなかった。音も無く立ち去った女性の甘い残り香が、わたしの鼻腔をくすぐった。そんなことは気にも止めず、「ああ、助かった手前きつく言うことは出来ないけれど、何でこんな時間に外に出歩いていたんだい? 危ないからひとりでうろつくのは控えてくれると嬉しいんだけど」と傑は少しむくれている。

「ご飯、食べるの忘れてて。でも傑ってモテモテだよね。改めてびっくりしちゃった」
「やだな。気が付いていたのなら、止めに来てくれれば良かったのに。彼女、悪い子じゃないんだけどね、少々押しの強い子なんだよな」
「“わたしの彼氏、取らないでください!”って?」
「いいね。“傑はわたしのものなんです!”も足しておいてよ」

至って真剣そのものの傑に、わたしはふ、と吹き出した。大袈裟に心配などして、大変馬鹿馬鹿しいことだ。傑の大きな手が、コンビニ袋をさっと攫った。

「妬いてくれても良かったのに。君が“行かないで”って言ってくれさえすれば、私は飲み会になんか参加しないんだけどな」
「まさか。そんなこと言わないよ」
「どうして?」

どうして? どうしてだろうか。わたしも傑も互いに社会人なのだし、付き合いもある。付き合いがあれば、飲み会だってあるものだ。それをいちいち目くじら立てて怒って怒鳴って、やきもちを妬くのはナンセンスだろう。もちろんそれは、常識的な話として。

駅前から家はまでは十分もない。ひとりだと長く感じていたこの道のりも、傑とふたりなら短いものだ。隣を歩いていた傑がぴたりと立ち止まって、わたしの方をじっと見た。

「私は、君が“行かないで”って言ってくれたらすぐに飲み会になんて行かなくなるよ。君が言ってくれさえすれば。そうすれば、私だって胸を張って言えるのだし。“飲み会になんて行かないで”ってね」

真っ直ぐにこちらを見続けている傑の瞳は、本気なのか嘘なのか。住宅街の薄暗い街灯の中では、なんとも判別しづらいものだった。







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