落ち着き払って、冷静な人


見慣れた背中に思わず足を止めて、ツォンは彼女に声をかけた。季節は春。まだ肌寒い朝のことだった。ヒーリンのはずれにある小さな空き地で、彼女は小さくしゃがみながら、ひとり地面を食い入るように見つめている。遠目から見ても、彼女が何かに夢中になっているのは明白だった。


「何をしているんだ?」


ツォンが声をかけると、やっと彼の存在に気がついたらしい彼女が、弾かれたように顔を上げた。鉄のスコップを握りしめている手は、両手とも泥だらけだ。泥は彼女の手だけでなく、彼女の顔と服も茶色く汚している。


「植物を育ててみようと思いまして」
「ほう」


彼女の背には、緑色のプランターが3つ。およそ50cmのプランターの中には、深い焦げ茶色の柔らかそうな土が入っている。


「やっと苗が育ったので、今から植え付けをしようと思いまして。ミッドガルはペンペン草も生えませんでしたから、ちょっと楽しみなんです」


そう言って彼女は4つしかない苗をツォンに見せた。緑色の若葉は、青々とした両腕をいっぱいに広げている。大きなうちわのような葉の中には、つんと空に向かって伸びる小さな葉があった。


「どんな花なんだ?」


見たことのない植物だったから素直にそう彼女に告げたのに、彼女は大きな声で笑っている。ツォンはほんの少しだけ眉を潜めた。まったく失礼な部下だ。男が、それもミッドガルで長い年月を過ごしている自分が、花の種類に明るいわけがないというのに。


「花じゃないですよ、花も咲きますけど。キュウリの苗です」


ツォンは彼の中で植物といえば花というのが常だった、ということを思い出した。そうか、植物は花だけではなかったな。桃色のスカートを揺らす教会の少女の面影がツォンの脳裏に過ぎる。そして今度はツォンが声を上げて笑ったのだった。


「そうか、それは知らなかった。それにしても君は色気より食い気なんだな」
「失礼です!そんなことを言う主任には実が育っても1本もあげませんよ」
「いや悪かった。私も植えて良いだろうか?」


自分でも、どんな風の吹き回しかと驚いた。単なる好奇心では片付けられないような感情が、ツォンの中を満たしている。彼女はしばし驚いた後、4つのうち2つの苗をツォンに渡した。そして道具箱から鉄のスコップをもうひとつ取り出して、ツォンに握らせる。


「プランターの土を少し掘って、苗と同じくらいの大きさの穴を空けてください」


ツォンは彼女の指示に素直に従って土を掘り返した。ふかふかの土は養分を多く含んでいるのだろう。ミッドガルの渇いた白っぽい土とは大違いだな、とツォンは思った。太陽の光を十分に蓄えた温かいそこに、そっと苗を植え付ける。苗の周りは少し凹ませるようにする、と彼女は続ける。そうすれば、植え付けた苗にしっかり水が浸透すると言うのだ。


「最後に、支柱を立てて麻紐で固定したら完成です。しっかりお水をあげて下さいね」
「意外と簡単なものだ」
「でも、毎日お世話するんですよ。お水をあげたり、虫をとったり。そうして十分に手をかけてあげて、愛着が湧いた頃に実をつけるんです。と言っても、私も育てるのは初めてなんですけれど」
「何だ、プロかと思ったら素人仲間だったのか」
「お婆ちゃん達の入れ知恵です」


お婆ちゃん達とは、彼女が親しくしている星痕病の年配患者達のことを指している。ヒーリンは多くの星痕病患者を受け入れており、タークス含め神羅カンパニーは彼らへ幾らかの支援を行っていた。


「私も手伝う、文句は無いな?」
「そりゃ手伝ってくれるのは嬉しいですけど」


膝に着いた土埃を払って、ツォンが立ち上がった。彼女は苗葉に「早く大きく育つんだぞ」と声をかけている。その日からツォンと彼女の、上司と部下にしては些か奇妙な関係が始まった。


〇〇


初夏。苗は枯れる事なくスクスクと育っている。彼女が“運び屋さんから貰った”と苗をいくつも増やしたので、空き地はすっかり小さな畑になっていた。

水やりは朝、夕の2回に分けること。苗の種類によっては水を好むもの、そうでないものに分かれるからきちんと区別をすること。たまに、害虫の駆除をすること。ツォンと彼女はいくつか決まりごとをして、畑仕事に従事した。勿論タークスとしての仕事があるので毎日顔を合わせることは無かったが、以前よりも親しくなったことは明白だった。

ある日、ツォンはとある仕事でコスタ・デル・ソルを訪れていた。彼はポーションを調達するために道具屋に入ったのだが、狭い店内にいくつも重ねられている麦わら帽子が目に入った。淡い小麦色の帽子は、つばが大きめに作られていて日を避けるのにちょうど良さそうに見える。そういえば最近は日差しが強く感じることが多い。麦わら帽子を被れば少しはマシになるだろう。ツォンはそう思って、麦わら帽子を購入した。ここまで畑仕事に熱を入れるつもりは無かったはずなのにな、とツォンは思った。彼女に感化されて、今ではすっかりタークスで2番目に畑仕事に詳しい人間になった。エアリスが知ったら笑うだろうか。笑うかもしれないな。「あなたにしては、かわいい趣味、だね」だなんて。


「いや…きっと、ただ畑仕事がしたい訳じゃないんだ」


自然に“ふたつ”手にとった麦わら帽子を見つめる。きっと彼女は麦わら帽子が良く似合うだろう。ツォンの心には温かい泉のようなものが湧いて、少しずつ彼を満たしている。麦わら帽子を被った彼女の横に並ぶ自身を夢想して、自嘲した。自分はあまり、麦わら帽子は似合わないだろうな。


夕暮れ時にヒーリンへ戻ると、彼女は畑に水をやっていた。
ツォンを見つけて、彼女が小走りで駆け寄ってくる。


「主任!花が咲きましたよ!」
「そうか」


短い返事だったが、彼女は気にした様子もない。彼女は、ツォンと一緒に畑仕事をするうちに、彼の短い返事でも機嫌の良し悪しが分かるようになっていた。浮き足立っている彼女の手に引かれて、キュウリの苗の前に立つ。あの日、彼女と立てた支柱に絡みついている蔦から伸びる葉の間に、小さくて黄色い花がぽつぽつと咲いている。5つの花びらを大きく開かせて、花は生き生きとした輝きを放っていた。その形は、少しだけ教会に咲く黄色い花に似ている。


「キュウリの花も綺麗なものだ」
「この、花の付け根の膨らみがキュウリになるんですよ」
「そうか」


「大きくなれよ」と花を優しく摘んで声をかけるツォンを見て、彼女がからからと笑っている。ツォンは羞恥から出るため息をゆっくり吐いてから、彼女のでこに一発、デコピンをお見舞いした。ぱちん、という小気味良い音が畑に響く。


「痛い!」
「上司を笑う部下がどこに居るんだ」
「だってちょっと可愛いと思っちゃって」


未だ笑っている彼女から目線を逸らして、ツォンは手に持ったビニール袋を差し出した。中には昼間、コスタ・デル・ソルの道具屋で買い求めた麦わら帽子が入っている。


「明日からは帽子を被れ。熱中症になられても困るからな」
「主任が買ってきてくれたんですか?」
「他に誰が居ると言うんだ」


彼女は嬉々として帽子を受け取り、小さい方を自身の頭に被せた。小麦色の爽やかな帽子は、やはり彼女によく似合っている。すっかりオレンジ色になった夕日が、彼女の頬に鮮やかな色をつけていた。


「似合いますか?」
「似合う似合う」
「本当にそう思っています?」
「思っているとも」


わざとらしく演技がかった言い方をしていても、ツォンの頬が緩んでいるのは一目瞭然だった。ただし、逆光で彼の顔がよく見えていない彼女はそれを認知していないようだったけれど。ツォンはビニール袋を雑に丸めて、ロッジに帰るように彼女を促した。並んだふたつの影は、西日に照らされて長く伸びている。ツォンはこっそり、ふたつの影の手が重なるように半歩後ろを歩いていた。

それから暫く、ツォンは似合わない麦わら帽子姿をタークスのメンバーに揶揄われることになった。けれど彼らにどれだけ揶揄われようとも、畑仕事をするときにはツォンは彼女と揃いの帽子を被るのだった。


〇〇


盛夏。とうとうキュウリの実が膨らんだ、と彼女はツォンの腕を子供のように引っ張ってぐいぐいと畑へ向かっていた。彼女の頭の上で揺れる大きな麦わら帽子が、まるで大きな花のようだとツォンは思った。

キュウリは小ぶりであったものの、しっかりと実を膨らませていた。ツォンを引っ張って来る前に彼女が撒いた水が、きらきらと陽の光を反射させている。陽光をふんだんに浴びた柔らかい土の香りに混ざって、青臭いウリの匂いがする。黄色い花はすっかり無くなってしまい、実が出来たと言うのに、ツォンは少し寂しく思った。


「出来立ては、ふたりで食べたいと思ったんです」


そう言って彼女がはさみを使って、キュウリをふたつもぎ取った。ひとつはそれなりにまっすぐ育っているものの、もうひとつはアルファベットの“C”のように大きく曲がっている。「随分と捻くれて育ったようだ」と曲がったキュウリを受け取ったツォンは笑った。


「きっと誰かに似てしまったんですね」
「誰に似たんだろうな」


互いに見合って、くすくすと笑い合う。彼女が汲んできた清潔な水でさっと洗って、ツォンはキュウリに齧り付いた。ぽきんと音を立てて口に含み、硬い実を噛んで咀嚼する。チクチクと頬に刺さる鋭いトゲは、彼女曰く“新鮮さの証”らしい。瑞々しい実が口内に沢山の水分を運んでくる。青臭いと思っていた香りも、ほんのり感じる甘味も、素直に全て美味しいと感じた。味付けも何もしていない。冷やしてすら、いない。けれどそれなりに苦労して育てた過程と、彼女が横で楽しそうだという事実は、ツォンの味覚を鈍くしているのかもしれない。


「来年は何を育てるか」


ツォンが声をかけると、キュウリを頬張っていた彼女が驚いて顔を上げた。


「主任は何の野菜が好きなんですか?」
「食べることばかりだな、お前は」


むくれる彼女が可愛らしくて、思わず手を伸ばした。
麦わら帽子越しに、小さな頭をそっと撫ぜる。


「花がいい。だが、勿論野菜も育てよう」
「花?」
「そうだ」


教会に咲く黄色い花は、ヒーリンの地でも咲いてくれるだろうか。エアリスは、ツォンの背中を押してくれるだろうか。苗と共に育ててしまった淡い気持ちは、すっかり実をつけてしまっている。そろそろ収穫をしないと、腐って手が付けられなくなりそうだった。いつの間にか、ツォンは自身で育てた淡い気持ちをすっかり認めてしまっていた。


「主任にしては、可愛い趣味ですね」


思い出の少女と、目の前の彼女が重なった。心の中に、優しい声が響いている。「でも、あなたは、私と彼女を重ねているわけじゃ、ないんでしょう?」勿論だ、とツォンは答えた。何の苗を植えようか、いつの時期までに種を撒こうか。ツォンは、今後の提案を行っている彼女の腰にゆっくりと手をまわし、そっとその身を寄せた。汗で滲んだ背中は、きっと暑さのせいだけではない。彼女の楽しそうな声が、小さな畑に響いていた。





Cool as an cucumber
意味:落ち着き払って、冷静で







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