ドラマチック・デッドエンド



壁という壁から手が生えている。白く、しっとりとした柔い肌は美しく、まるで白魚のような手だ。ハンドクリームを欠かさず塗っても、これほどまでには中々なるまい。まあ女性……いや、人間についていたのなら、という話だけれど。

無数の手はわたしの方に伸びている。それらは思いのほか強い力で、わたしの四肢を絡めとった。ぐっと掴まれた両手首には、赤い痕が残るだろう。

してやられたなあ、とため息を吐いた。呪術師としてはフリーランスの自由業。金を積まれた頼まれごとはやるけれど、高専と組織的な繋がりはない。一般人に手をかけていないので、呪詛師としては扱われていない。わたしはいわゆる、野良の術師というわけだ。

この薄汚い廃ビルの壁から、むくむくと湧いて出てくる手たちは、ターゲットの呪霊である。壁から手が生えるだなんて、ありきたりな演出も良いところだ。

まさか領域展開など出来る級でもあるまいし、このまま壁の中に引き摺り込まれることはないだろう。ないだろうが、手足を引っ張られ続けると、いずれ見たくもない自身の臓物たちとこんにちはすることになるだろう。考えるだけでおぞましい。万事休すも良いところだ。

「お、やってるやってる」

足を高く持ち上げられ、逆さ吊りの状態にされてしまったわたしの前に、五条袈裟の男が現れた。胡散臭い笑みを顔に貼り付けて、今日もご機嫌な教祖様だ。

「見せ物じゃないんだけど、」
「見せ物? だとするともう少し露出がないとなあ」
「あっち、行きなさいっての」
「あっちってどっち? うーん、アングルが良くないね。そこそこ、そこの手。もう少しグッと脚を開いてもらえる?」

夏油傑。特級呪詛師。この男にてんで話が通じないのはいつものことだから、今更気にしても仕方がない、のだけれど。

「まあ、呪霊に言っても仕方がないか」
「助ける気が無いなら消えてもらえます?」
「助けてあげても良いんだけど、タダってわけにもいかないなあ」

夏油は緩慢な動作で両腕を組んで、そのまま大きく首を傾げた。そして身体を壁に預けて、ひらひらと片手を振ってみせた。いかにも“余裕です”といった佇まいだ。

夏油が高専に通っていた頃から、彼のことは知っていた。呪霊退治で何度か鉢合わせたことがある。夏油傑は模範的な優等生。絵に描いたような“イイコチャン”。どう見てもガラの悪い不良なのに「非術師を守るための術師」だの、言っていることは綺麗事ばかり。行く先々で出会っては「高専に通わないの?」「組織に属した方が安全だよ」などと、当時から過干渉で節介焼きな男だった。

それが今やどうだ。わたしは真っ当に(と言うと少し語弊があるかもしれない)呪術師で食い扶持を繋いでいるにも関わらず、彼はすっかり特級の呪詛師と成り果てた。

「私のモノになってくれるなら、良いよ」
「は?」
聞こえなかった? と夏油は問うた。

「だから、私のモノになってくれるなら、助けてあげる」
「結構です」

“私のモノ”とやらが、何を差しているのか分からなくてゾッとする。術式であれば、私は夏油が欲しがるような優秀なものは持っていない。そもそも術式は大したことが無い上に、呪具に頼りっきりの戦いである。身体そのものが目当てなどと言うのなら、冗談はそこまでにしておけという話だ。

「じゃあ君はずっとそこにいるしかないね。かわいそうに……ご飯も食べられず、ずうっとそこで逆さ吊りだ。私は優しいからね、君が寂しいのは見るに耐えないから、ここで一緒にご飯を食べてあげよう」
「結構です!」

握りしめていた石ころを投げるも、ひょいと軽々躱されてしまった。なんの嫌がらせかは分からないが、このままここで宙吊りになっていれば、わたしはいずれ飢えて死ぬだろう。そもそも餓死するよりも先に、呪霊に留めを刺されるに決まっている。

「君が欲しいんだ、私は」
「わたしを欲しがる意味がわからない」
「理屈じゃないんだよ、こういうのは」

ザリザリと、草鞋が床を擦る音が響いた。にこにこと楽しげに嗤う男が、冷たいコンクリートの上を、ゆっくりと歩いて近づいてくる。

「たった一言でいいんだよ。それですっかり解決する」

夏油の本心が透けて見えない。昔から、腹の黒い男だとは思っていた。夏油は自身をも偽る厚い仮面を被っていて、話すと寒気がするほどだ。離反してからは尚一層、仮面が分厚いものになった。いや、撤回する。仮面はずるりと剥げたのかもしれない。これが本来の夏油に近しい姿なのかも。高専にいた頃よりも、幾分すっきりとした面立ちだし。どこか憑き物でもとれて、晴れやかな印象すら与えている。

「渋るなあ」

わたしが黙ったままでいると、夏油は眉間に皺を寄せた。お忙しい教祖様を呼びつけていて何だが、夏油の“モノ”とやらにはなりたくない。そもそも彼を呼んだ覚えもない。

「私のところにおいでよ。決して悪いようにはしないから」

そういうところが嫌なのだ。でもそろそろ腕は痺れてきたし、頭に血が上ってクラクラする。絶体絶命な状況に変わりなはい。諦めてこの男の下で生きるか、それか今ミンチ肉になって死ぬか。おそらく本当に二つに一つだ。

「……三食昼寝付き、過干渉は無し」
「素敵な旦那様もつけてあげる」
「すごくいらない」

夏油の貼り付けたような笑顔が解けて、くしゃっと眉毛が垂れ下がった。







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