不器用な恋の始め方


★時間軸めちゃくちゃ

東京都立呪術高等専門学校では、12月の中頃に忘年会が開かれる。12月末はクリスマスや初詣によって人の出歩く機会が増え、呪霊の数がぐんと増える為だった。だから11月末から12月中頃にかけては、多忙を極める呪術師たちの束の間の休息期間となる。

「これよ、これ! 絶対に間違いないわ!」

忘年会を明日に控え、わたしは野薔薇ちゃんとふたり、彼女の自室で作戦会議に勤しんでいた。練っているのはもちろん、想いを寄せている一級呪術師“七海建人”さんとの距離を如何にして縮めるか、ということであった。わたしたちはすっかり冷えたココアを片手に、ああでもない、こうでもないと2時間ほどウンウン唸り続けている。

わたしも野薔薇ちゃんも決して色恋沙汰に明るくない。呪術界隈に足を踏み入れていると、どうしても恋だの愛だのとは縁が遠くなってしまう。そもそも、命を賭けたやり取りをする職業だ。呪術師には独身の者がとても多い。補助監督になって早数年、わたしとて例外ではなかった。誰かに片想いをするという感情をすっかり忘れてしまったわたしは、情けないことに後輩呪術師の野薔薇ちゃんに頼りきりだった。

たぷたぷとスマートフォンで恋愛テクニックコラムを漁っていた野薔薇ちゃんが、どーんとわたしに見せつけた記事には、“アプローチする効果的な方法”と大きな見出しがついている。妙にお洒落な画像の下に、野薔薇ちゃんが『間違いないわ!』と豪語する一文が添えられていた。

『飲み会の席で自分だけに「〇〇(自分)くんと話したい」と言われた時は、とてもドキドキしました(社会人・25歳)』

これかあ。ちょっと難易度高いのでは?

「間違いないわ! 上目遣いでこれを言うのよ!」
「ほ、本当に?これを?自信ないな……」
「アンタそうやって逃げてばっかじゃないの。だめよ、絶対にこれよ」

押すと決めた野薔薇ちゃんは、絶対に引かない。恐らく教員の多い席側に座るだろう七海さんに、先の台詞を言う機会などあるのだろうか。高専の忘年会は、伝統的に多くの生徒も参加する。当たり前だが未成年がお酒を飲むことは出来ないけれど、呪術師や補助監督同士が親しくなれる貴重な機会として参加自体は推奨される。

野薔薇ちゃん、忘年会はこれが初めての参加だしな。当たり前のようにわたしと七海さんが近くに座る前提で話を進めているけれど、席の並びによっては勘弁してもらおう。

わたしは「そうだね、勇気を出さないと前には進まないしね」ともっともらしい事を言いながら、席順が絶望的であることを心の隅で願っていた。七海さんの隣でお酒を飲むだなんて、とても魅力的な事態ではあるけれど、心臓があと5つは欲しい案件だった。




そして、わたしは自信の考えがひどく甘かったことを思い知る。

「ほら早く、行きなさいよ!」と肘で小突く野薔薇ちゃんに「行く、行くからもう少しだけ心の準備をさせて」と何度目かわからない言い訳をして、味のしないビールを喉奥に流し込んだ。

居酒屋の2階を貸し切っての忘年会は、広い座敷に三列の長机が並んでいた。七海さんが座っているのはわたしたちからそう遠く離れていない席だったが、席の並びは願い通り絶望的だった。いや、地獄そのものかもしれない。夜蛾学長、家入さん、伊地知さん、七海さんと並んで五条さん。七海さんの正面には猪野くんが座っている。言うまでもなく、錚々たる顔ぶれだった。五条さんと七海さんの間に割り込むことなど、わたしには到底出来やしない。行くならば伊地知さんと七海さんの間だが、それだって難易度が高すぎる。「行くってどこに?」と尋ねながら無邪気に肉を頬張る虎杖くんに、「アンタは黙ってなさい」と野薔薇ちゃんが制止をかけた。

「心の準備に、一体何十年かけるつもりなの?」
「そりゃそうなんだけど、あの並びで行くのはちょっと」
「お酌でもなんでもしてくれば良いじゃないの!」
「お酌て」

日本酒好きの家入さんが、早々に「冷酒のおすすめは?」と聞いていたので、七海さんたちは既にビールから撤退し、小さなお猪口を片手に持っている。「冷酒、こっちも!あっちと違う種類のやつ!」と注文を済ませた野薔薇ちゃんがわたしを睨んだ。

「今日のアンタは可愛いわよ。すっごく。今日の服だって、あれだけ悩んで決めたじゃない。メイクだってキマってるし、もっと自信持ちなさいよ」

2合の徳利とお猪口を手渡しながら、野薔薇ちゃんが不敵に笑った。ああ、未成年の女の子にここまで背中を押してもらったのに何もせずに帰ることなど、わたしにどうして出来ようか。これはお付き合いで、やましい気持ちはない。ごくごく自然に、慕っている後輩が挨拶に来たような振る舞いで「お酌しても良いですか?」と聞くのだ。

わたしは景気付けに、残ってたビールをごくんと飲み干して、すっくとその場で立ち上がった。席移動している人もちらほら現れている頃合いだった。大丈夫、大丈夫。野薔薇ちゃんも「ファイトよ!」とわたしに檄を飛ばしている。

少し擦り切れて傷んだ畳を踏みしめて歩き、目的の長机まで近寄った。歩数にしておよそ4歩程度。ドッドッと煩く騒ぎ立てる心臓を、撫でつけて押さえつけてなんとか七海さんの近くにまで来た。五条さんの方からは絶対に近寄りたくなかったけれど、伊地知さんと家入さんの方は荷物が多く足場がない。もう帰りたいが、今更引き返すのは尚怪しい。

「お、珍しいじゃん」と五条さんが声をかけた直後、七海さんがこちらを向いた。自然に会話をするにはこのタイミングしかないとして、わたしは重い口を開いた。


「七海さん、あの、話したいことがあります!」


わたしの上擦った声が、がやがやと喧しい室内に大きく響いて、あたりはシンと静まり返った。多くの視線がこちらに向けられている。なんだなんだとひそひそ声が聞こえてきて、顔にぼっと熱が集った。失敗した。野薔薇ちゃんが「あちゃー」と頭を抱えている。「おっ告白?」と囃し立てているのはもちろん五条さんだ。死にたい、死にたい。この場においてわたしに残された選択肢は、『逃げる』『逃げる』『とにかく逃げる』の3択だった。徳利とお猪口を持った手がわなわなと震えて、今にも羞恥で泣いてしまいそうだった。誰から見てもわたしの顔が赤いことは明らかで。とりあえず気を落ち着けようとして、生唾を3回ほど呑んだ。落ち着けるわけがなかった。

七海さんが「なんでしょう」と低い声で返事をした。わたしは震える声で「こ、こ、殺してください」と答え、脱兎の如く逃げ出した。向かう先は女子トイレ。冷酒が並々と入った徳利と、お猪口を持ったまま。



七海さんに、絶対変な人だと思われた。捨て台詞は「殺してくれ」だなんて。いや、本当にどうしたらいいんだ。便座に腰を下ろして、味のしない日本酒を飲む。トイレで飲むなよ、と自分でツッコミをいれつつも、とにかく喉が渇いて仕方がない。終わってしまう恋の味は、ほろ苦い冷酒の味でした。ズッと鼻を啜って、お猪口と徳利を荷物棚に置いた。いつまでもここに居るわけにはいかないけれど、もう少しここに居させて欲しい。もろもろと崩れやすいトイレットペーパーで拭った涙は、小さな紙屑になってしまった。

「出てきなさいよ! もう皆なんとも思ってないわよ!」

ゴンゴンと扉を叩く音がする。野薔薇ちゃんが来たのだ。わたしは「うん……どうやったら今の記憶をみんなの脳から追い出せるかな」と呟いて蹲った。フライパンで脳天をフルスイングすればいい? それとも、悪魔に魂でも売ればいい? わたしの冴えない魂ひとつで今の失敗が帳消しになるのなら、とても安い買い物のように思えた。

10分ほど泣き崩れていたわたしを、野薔薇ちゃんは根気強く慰めてくれた。どうも、嗾しかけた責任を感じているらしかった。年下の女の子相手にいつまでもウジウジとしているわけにもいかず、わたしはとうとうトイレから出た。野薔薇ちゃんに「今度パンケーキ屋付き合ってね」と言うと、「当たり前でしょ」と背を叩かれた。徳利とお猪口を忘れないようしっかり持って、わたしは元の席に戻ってきた。

チクチクと刺さる視線は、五条さんと伊地知さんと、七海さんのものだ。あのような退場を果たしたのだから、当然こちらを伺っている。わたしの顔は一旦はメイクが落ちてぐちゃぐちゃになったものの、野薔薇ちゃんが持ってきてくれたポーチのおかげで事なきを得ている。「その色似合うわよ」と励ましてくれる野薔薇ちゃんにぎゅうと抱きついて、わたしは残った日本酒を煽った。伊地知さんから『大丈夫ですか』というラインが入っていたものの、すぐに『大丈夫です』とは言い切れず、目があった時に笑ってなんとか誤魔化した。



転機は、帰りの間際に訪れた。生徒は皆、送迎のバスが用意されている。高専の寮に帰って行く彼らを見送って、大人もばらばらと解散を始めた。二次会に行く人はすでに小さく集まっている。わたしは今日は家に帰りたい気分だった。駅に向かう道すがら、わたしの肩を誰かが叩いた。

「方向が同じです、送っていきましょう」

紺色のロングコートを羽織った七海さんが、わたしの鞄を取り上げた。「へ」とか「は」とか、そんな可愛くもない、意味もない単語がぽろぽろと口からこぼれ落ちる。

カツカツと革靴を踏み鳴らして歩く七海さんを、追いかけるようにして隣に並んだ。隣に並ぶと、七海さんはそっと歩幅を緩めた。ネオンに彩られる細い道を、わたしと七海さんが歩いている。任務では何度もふたりで歩いたけれど、今は互いにオフの状況で。私服に身を包んで歩いていると、まるでデートしてるみたいじゃないか、などと浮かれてしまう自分がいて。先の失敗のことはあれど、なんとも現金な自分が恨めしい。でも嬉しい。

10分ほど歩いた頃だったろうか。少しだけ人通りが少なくなった場所で、七海さんが口を開いた。

「私に言いたいことって、何だったんですか?」
「あ、ええと……」
「まさか本当に“殺してくれ”じゃないでしょうね」
「ち、違います!」
「それは良かった」

羞恥心でいっぱいいっぱいになったわたしが口走った『殺してくれ』は、もちろん本心などではない。けれどまさか『わたし、七海さんのことが好きです』などと言える筈もなく。そりゃ、言えたら良いのだろうけど。何と答えれば良いものか、と言い淀んでいると、七海さんが再び口を開いた。

「告白だの何だの五条さんは囃し立てていましたが、私は少しドキッとしましたよ」
「え、」
「あの場で貴女がそんなことを言うことはないと分かってはいましたが、期待はしてしまいました」
「それって」

ぱくぱくと、酸素の足りない金魚のように口を開閉して、わたしは七海さんの方を見た。ゴーグルで隠された瞳から、表情は上手く読み取れない。お酒で熱っていた頬を、冷たい夜風が優しく冷やす。

「貴女が言えないのなら、私から言いましょうか。いつまでも待つのは、ちょっと疲れてしまったんで」

いつも真一文字に結ばれていた七海さんの口が、ゆるりと弧を描いた。困ったように眉が下がり、頬がほんのり赤く染まった。七海さんは歩くのを止めて、わたしの方へと身を屈めた。ゴーグルを外してポケットに仕舞うと、うろうろと彷徨っていたわたしの視線をぐっと捕らえた。肩にかけたハンドバッグはそのままに、両手で頬を包まれる。黒い革の手袋に覆われた手は、ゴツゴツと骨張って男らしい。

「好きですよ」

たった5文字。それも、丁寧に着飾った言葉ではない。だけどそれは、せっかく冷えたわたしの身体が、ジュッと勢い良く溶けてしまいそうなほど、甘くてあつい台詞だと思った。







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