長く濁って滞留する


★高専

私にはひとり、幼馴染がいる。といっても、三つの頃から仲良しで、などというほど深い仲では毛頭ない。彼女は小学校の四年生と六年生、そして中学校の三年生のときに同じクラスだった。会話はあまり多くはなかった。だから実際のところ、私は彼女と親しかったというわけではない。

それでも彼女のことを幼馴染と呼んでいるのは、数少ない同郷のよしみ以外の何者でもない。彼女も彼女で、私のことを幼馴染と呼んでいる。だから私たちは、互いに異論なく“幼馴染”といえるだろう。

東京都立呪術高等専門学校は、表向きは私立の宗教系学校になる。奇遇にも、彼女と私は同じ呪術師として、この学校に入学することとなった。ただ、入学式のその日まで、互いが互いに同級生だとは露ほども知らず。それもそのはず、私たちは互いの連絡先はおろか、卒業式ですら碌に会話を交わしていなかった。

シンと静まり返った教室に、カリカリと鉛筆を走らせる音が響いていた。紙を引っ掻く音の中に、時々消しゴムが擦れる音が混じった。私は彼女の横に座って、黙ってそれを見つめていた。

普段は真面目な彼女が「うっかり寝てしまったところを、写させて欲しい」と頼むので、私はノートを差し出していた。先日の任務は夜中まで続いていたらしい。彼女の目の下は、少しだけ青い。

心地よい沈黙を破ったのは、自分自身の低い声だった。

「君、悟のことが好きなんだろ」

夢中で鉛筆を走らせていた彼女の手が、ぴたりと止まった。びくんと大きく肩が震えて、しばらく何かを考え込んだあと、彼女の手は何事もなかったかのように鉛筆を握り直した。丸くて小さな文字が少しだけ歪んで、筆跡が乱れた。

「き、昨日の呪霊さ、」

視線がウロウロと覚束ない。髪の毛で隠れた小さな耳が、ぱっと鮮やかな桃色になった。彼女は、分かりやすく動揺して、分かりやすく話題を変えた。

「中三の担任に、ちょっと似てたんだよね」

私はふうんと呟いて、彼女の髪を指で掬った。真っ赤になった耳たぶの後ろに、柔らかい髪をそっとかけてやってから、私は彼女の唇を奪った。



“好き避け”という言葉がある。これは好きな人をあえて避けてしまう、という行動につけられた名称だ。好き避けは、どうも女性に多い傾向があるらしい。

らしいというのは、これが私にはちっとも理解できない行動であったからだ。

彼女は、私と硝子と楽しくおしゃべりしていても、悟が割り込むと途端に口を噤んだ。笑顔はぎこちのないものになるし、絶対に隣には座らない。悟が声をかけると、大きく身体を震わせて、慌ただしく物を落としたりする。彼女は悟のいる空間に、一定時間以上居ることが出来ない。

何よりも、最も分かりやすかったのは呼び分けだ。私のことは、傑。硝子のことは、硝子。けれど悟のことは“五条君”。呼び方ひとつですら、彼女は悟を避けている。羞恥心なのか何なのか、彼女の真意は分からない。

“好き避け”が、恋愛テクニックにおいて有効な手段かどうかは全くもって知らないが、幸か不幸か、“五条悟”には効果覿面であったらしい。異性にはおろか同性にすら、悟はそのような態度を取られたことがなかったから。だからこそ、彼女は強く悟の興味を引いたとも言える。

これは木漏れ日を纏った砂利道を、彼女と私が歩いていたときの話だ。高専に続くこの道は、つらつらと長い一本道で、昼間だというのに人気が少ない。ちょうど銀杏が色付き始め、青々とした緑色から目の覚めるような黄色に変わろうという時期だった。

私と彼女は、比較的会話の多い仲だった。幼馴染だったからかもしれない。任務後にご飯に行ったり、ちょっとそこまでコンビニへなんてことも多々あった。その日も確か、そういったたわいも無いような用事で、ふたり並んで歩いていた。

不意に雑木林から出てきた悟が、私たちふたりの間に割り込んだ。これもいつものことだった。どこからでもズカズカと現れる悟は、誰に対しても大きく態度を変えることはない。悟は私の方にずっしりと重い身体をもたれさせて、夜蛾先生の愚痴をぼろぼろと溢した。私はそれを「はあ」とため息混じりに聞いていた。

サングラスで覆われた青い瞳が、彼女の鞄で揺れているキーホルダーに興味を持った。指先で摘んで、突いたりしては、ゆらゆらそれを追いかけている。

「あ、えっと…ごめん!先に帰るね」
「は?」
「じゃあ、あの…傑と、五条君。また」

およそ5分ほど経った頃。ちょうど、そろそろ限界だろうな、と思った頃合いだった。彼女はまた、と告げた後に勢いよく駆け出して、すぐに背中も見えなくなった。好き避け、大変だな。まともな会話にすらならないんだから。

私が「またね」と言った後、むっとした悟が口を開いた。

「アイツさ、俺のこと何だと思ってんだ」
「さあ。嫌われてるんじゃない?」
「嫌われるようなことはしてねえよ」

悟が分かりやすく不機嫌になるのは、当然彼女に気があるからだ。素直になれないお年頃の悟は、あからさまに避けられて、キーホルダーにしかちょっかいをかけられない。彼はいつものペースを乱されて、どうすることも出来ないようだった。

「傑、アイツと幼馴染なんだろ」
「そうだね」

そこで悟は口を噤んだ。じゃりじゃりと、乱暴に砂利を蹴り上げる高い音が鳴り渡った。木々を強く揺らす風が、私と悟をしばし冷やした。

蹴り上げた小さな砂利を目で追った後、悟は「幼馴染か」と小さく呟いて、それきり彼女のことを話題に出すことはなかった。

敵に塩を送ってやることはない。

私も以降、その場で彼女の話はしなかった。

彼女の気持ちが手に取るように分かるのは、当然のこと、私が誰よりも彼女のことを見ていたからに違いない。うろうろと彷徨う視線の先にはいつも悟が居たし、悟に声をかけられて落ち着きがなくなるときは絶対に耳も赤い。意味深に、悟の靴箱をじっと眺めていたこともある。

彼女を観察し続けた結果、悟が彼女に好意を寄せているということまでも知ってしまった。これについては、そこまで知りたいことではなかった。

まあ、なんだ。つまるところ、彼女と悟は両思いというわけだ。但し、ここでめでたしめでたしとならないのは、他でもない私が間にいるからだろう。



柔らかい唇が触れ、互いの歯がカチンと音を立ててぶつかった。硬いエナメル質が擦れ合って、私は少しの痛みを知覚した。彼女が大きく身を捩ったけれど、私はそれを許さなかった。片腕を彼女の背にまわして、仰反るような動きに制限をかける。頑なに開かない唇をこじ開けて、何とか舌を捻じ込んだ。

ガラガラという大きな音がして扉が開いたのは、私の舌が彼女の舌を探り当てて絡んだのと、ほとんど同じ瞬間だった。

バン、という破裂音にも似た音が、木造の教室に響き渡った。音を鳴らしたのは他でもない、彼女が想いを寄せる人。破裂音は、勢いよく扉が閉まった音だろう。乱暴に閉じられた扉は反動で少し開いて、廊下の音がよく通るようになった。悟の遠ざかる足音が、静かになった教室にダンダンと乱暴に響いた。

廊下の音に気を取られていると、舌先をガリ、と齧られた。赤い血液がぽたぽたと滴って、彼女が書き留めていたノートに赤い染みをつくる。思わず「はは、」と乾いた笑みが溢れた。ひどく愉快な心地だった。悟から見た私たちは、仲睦まじく口付けを交わしあっていたに違いない。

「君、悟のことが好きなんだろ」

彼女の瞳が大きく見開いて、まるで信じられないものでも見るかのような様相に変わった。私には見えなかった悟の苛ついた表情が、彼女の瞳にはまざまざと映ってしまっただろう。

意識してよ、私のことも。思わず避けてしまうくらいにさ。喉元から出かかった声を、いけないと制して飲み込んだ。ごみかすのような理性の糸が、ぶちんと千切れる予感がした。あるいは手を出した時点で、既に。

君、小学校の頃のことなんて、ほとんど覚えてないんだろ。だって私には、中学校の話しかしないからね。でもね。

私はずっと見ていたよ。
ずっと君のこと、好きだったよ。

もっと早く仲良くなれたら良かったのに。
そうすれば、君が避けたのは私だった?

カランと鉛筆の落ちる音がした。芯が折れてしまったかもしれない。でもどうでもいい。もう、どうでもいいや。私はもう一度、呆ける彼女にキスをした。二度目のキスは、濃ゆい鉄の味がした。

もしも私が、この時間に悟が教室に来ることを予期していたとしたら。もしも私が、それを十分に考慮していて、その上で君にキスをしたとしたら、どうする?

そうだよ、悟。私の方が先だった。ずっと先に、彼女のことを好きになった。それが何の意味も持たないということは、痛いほどに分かっている。だけどさ。

「好き。私の方を見て」という悲鳴にも似た小さな叫びは、くぐもった吐息の中に消えた。







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