あまくてあおくて無垢なけもの


★高専

「永遠なんて、わかんないでしょ」

そう告げたわたしに、悟は大きな目をさらに大きく見開いた。雨上がりの青空をまるく切り取ったような綺麗な瞳から、パッと輝きが消えて薄暗い表情になった後、悟は今にも泣き出しそうな顔をした。怒るだろうなとは思っていたけれど、予想だにしていなかった表情に、わたしの罪悪感は大きく煽られた。

「何でそんなこと言うんだよ」

悟と付き合って、早いことにもう1年の歳月が過ぎ去ろうとしていた。つまり、わたしが“年下の男の子を上手に手玉に取って上手いことやっている”だなんて根も葉もない軽口を叩かれ続けて1年経ったことになる。1年経ったとはいえ、彼はまだ未成年。同意のもとだが、一歩間違えればわたしは逮捕を免れない。

いくら身長があったとしても、いくら呪術師としての強さがあったとしても、世間的に見て悟はまだほんの子供に過ぎなかった。

一生一緒にいよう。永遠に恋人同士でいよう。まるでラブソングの歌詞ような情熱的な台詞は、言葉にするとふんわりと甘くて、それでいてひどく軽い響きを伴う。当たり前だ。一生一緒にいるだなんて、非現実的すぎて誰も本当に言葉になんてしないのだ。
……特に、大人は。

「俺は一生オマエが好き」

わかんないよ、そんなの。今だからそういうふうに言えるんだよ。背格好だけはすっかり大人の悟が、わたしをすっぽりと腕の中に包み込んだ。身を焦すような愛や情熱は、時に人を盲目にする。強い感情に引っ張られて、客観的なことがわからなくなる。

悟の好きは、きっとわたしと同じではない。まだ多くを知らない彼の好意は、可愛らしくも幼いものだ。これからたくさんの人と出会い、たくさんのことを知って、ゆっくりと大人になってゆくだろう彼に、永遠を縛るような言葉など、どうして吐くことができようか。

好きだよ、好き。わたし、大人と子供とか、そんなこと関係ないと思うくらいには、悟が好き、だけど。

「好きだよ、好きだ。愛してる。オマエだってそうだろ。だから俺と付き合ってんだろ。何て言えば伝わるんだよ。どうすれば同じ気持ちになるんだよ」

同じ気持ちになんてなれないよ。ぐりぐりと首筋に押し当てられる、ふわふわの髪の毛に頬を埋めながら考える。悟の髪の毛からは、やさしい石鹸の匂いがする。

“そんなこと言っても、数年後には気持ちが冷めているんでしょう”だなんて、思わずそんな言葉が飛び出しそうになって、慌てて口を噤んだ。それは、言ってはいけないとわかっていた。

だけど、数年後はおろか数日後の気持ちだって、誰にも保証はできないものだ。突然恋に落ちるように、突然恋の熱が冷めることだって決して珍しいことではない。

縋るように首元に埋まっていた顔が上がって、柔い桃色の唇が近づいた。まるで作り物のように整ったかんばせは、悟の持つ多くの“恵まれたもの”のひとつだった。

身体を重ねたことはない。10代の悟は年相応にそれを欲したが、わたしが応えることはなかった。悟が嫌なわけではない。ただ、まだ。彼の初めてになる勇気が出ないだけだった。



「まあそういうもんだよな。そんくらいの年齢の子ってのはさ」

何かを悟ったようにというよりは、誰かに向かって説教を垂れるように、隣に座った男が口を開いた。彼がズズ、と大きく音を立ててコーヒーを啜ると、香ばしい豆の香りがあたりにふんわりと立ち込めた。男が飲んでいるのはブラックのコーヒー。砂糖の一粒も入れない飲み方は、悟とはとても対照的に思えた。

昔、わたしは彼がこのように音を立てて飲む仕草にひどく腹を立てていたことを、しんみりと懐かしく思った。悟と付き合うほんの1年前まで、わたしはこの男と2年半に及ぶ交際を続けていた。

「でもお前もそうだったじゃん。お前だって俺に“永遠”や“一生”を求めてたよ」

忘れちゃったかもしれないけど、と男はからから笑った。わたしは「忘れたよ」とため息をついて、まだ湯気がゆらゆら上るカフェラテを口に含んだ。男は3つ年上で、わたしなんかよりも遥かに余裕があるように思えた。

「今は、違うよ」

人は変わる。かつてわたしが永遠や無窮を求める茶番を演じ、今はそれらを口にしなくなったように。

カフェのカウンターテーブルには、小さな多肉植物が飾られている。水を含んでぷくぷくと膨らんだ葉は、陽の光を浴びて若々しく広がっていた。わたしが渋い声を出したことに気を良くした男は、目を細めて自論を語った。

「そういう愛情表現しか知らないんだよ。言葉の大きさで愛を測るような、さ」

言葉の大きさで愛を測る。それは言い得て妙な表現だと思った。経験の少ない子供だから、そういった物差しが足りていない。足りていないから、今知っている言葉だけで補おうとする。

「お前こそ、そうやって縛りたくないだのなんだの言い訳をつけて応えないのはさ、それは離れて行った時に自分を正当化するためだろ」

わたしは何も答えなかった。その言葉は、かつてわたしの言葉や態度に応えなかった男の、本音のようにも思えたからだ。

「まあでも、離れていくよな。まだ未成年だろ。それも学生。そいつにはなんの経験もないんだから」

それは、明らかにわたしに対する当てつけだった。お前がそうだったんだから、と付け加えずとも、そう聞こえるような言い様だった。そしてわたしは、こういった言い回しで過去のわたしを責める男にひどい嫌悪感を覚えた。同じ職場の男でなければ、交流も途絶えていたような男だ。友人としては良い男だったが、恋人としてはいまひとつ配慮に欠けるところがある。

わたしは「そうかもね」と答えようとしたが、先に喉から出たのは「悟、なんでこんなところに」という言葉だった。予想だにしない人物の登場に、わたしは極めて動揺していた。

高専の制服を纏ったままの悟が、わたしの肩に手を置いたまま口を開いた。

「コイツ、誰」
「俺?元彼。君が年下の恋人くん?」
「オマエに聞いてねえよ。俺が聞いてんのは、」

店内を彩っていた穏やかなピアノ・ジャズが遠く聞こえてしまうほどに、息の詰まるような空気を纏った悟が、わたしの方を鋭く睨んでいる。思わずわたしが「今日は任務のはずだよね」と声をかけると、悟は「終わった」とだけ端的に答えた。

「元彼と何でふたりでコーヒー飲んでんの?」
「大人は色々複雑なんだよ」
「オマエに聞いてねえって言ってんだろ」

まるで鼻に皺を寄せ、鋭い牙を剥き出さんとする獣のように、悟は強い感情を露わにしていた。激昂していることは明白で、ぼこぼこと沸騰せんばかりに煮えたぎっている呪力が、悟の周りをゆらゆらと湯気のように漂っている。悟の怒りの矛先が、彼を煽っている男に向けられたのを感じて、わたしは慌てて口を挟んだ。

「仕事終わりに時間があったから一緒に飲んでただけ。悟、早く終わったなら帰ろっか。見たいって言ってた映画、借りてあるからさ」

腑に落ちない様子の悟だったが、わたしの言葉には素直に従った。わたしは財布から取り出した千円札をテーブルに置いて、悟の手を掴み店を出た。いつも饒舌な悟は、その日ばかりは口を開かず、家に着くまでむっつりと黙ったままだった。

「悟、あの人が言ったことは気にしないで。昔の、終わったことだから」

そうやって言い訳みたいなことを言って、彼の機嫌を取り持とうとしている自分に嫌気がさした。悟は黒いレンズ越しにこちらをちらりと伺って、やはりすこし悲しげな表情を作って見せた。

「アイツ、俺が付き合う前にオマエが付き合ってた奴?」

サングラスを外した悟が、わたしの隣に腰掛けた。安いベッドのスプリングが、ギシリと軋んだ音を立てた。白い清潔なマットレスが、ふたり分の体重を支えて大きく沈む。わたしは今更否定する気も起きず、「そうだよ」と彼の質問に答えた。

「未成年だから、オマエにとって俺がまだ子供だから、アイツと仲良くしてるわけ?」

そんなことはない。仮に悟がわたしと同じ年齢だったとしても、わたしは彼との交流を続けていただろう。彼氏彼女の関係以前に、わたしとあの男は友人関係にあるのだから。

「違うよ。友達だから、話してただけ」
「アイツ、今でもオマエのこと好きだよ」
「それは悟の勘違いだよ」

ずるり、と蛇が地を這うような、禍々しい歪な感情が、ゆらりとわたしに向けられた。悟は真っ青な瞳に、ひとつも光を灯さずわたしのことをじっと見ている。いつもは浅瀬の透き通った海のような瞳だが、今は奈落に続く深海のように感じた。底冷えする鋭い怒気は、わたしの身体を硬く凍りつかせている。

「オマエの“初めて”って、アイツだった?」

否定はしなかった。ただ、表立ってそれに答える度量もわたしにはなかった。悟がぐいとわたしの身体を押し倒した。呆気に取られるわたしに覆い被さるようにして、悟はわたしの上に跨った。海月のようにゆらりと揺蕩う白い髪の下で、深海の青がわたしを鋭く射抜いている。重なったままにわかに震えている指先は、わたしか、それとも悟だろうか。

「人が初めてに拘るのは、それが二度と塗り替えられないからだろ。そうだな、そうだよな。“誰”が最後になるかなんて、生きてるうちは分かんねえもんな。初めてだけは、誰に挿げ替えられることも無いからな」

大人だの子供だの理由をつけて、彼との行為から逃げていたのは、かつての自身を強く重ねていたからだ。人は変わる。永遠なんて存在しない。悟の“一生オマエが好きだよ”を素直に受け止められない程度には、わたしは大人になってしまったのだ。

わたしの初めてがあの男であることは、変えようのない事実だった。それを疎んだことはない。ただ、この先忘れられそうにもない。あの男のことを今はどうとも思っていないけれど、あの日あの時、わたしは確かに彼に恋をしていたのだから。

そんなわたしの気持ちを見透かしてか、悟はきつく眉間に皺を寄せた。わたしは皺をほぐすように、悟の眉間に指を這わせた。食いしばった唇が、ゆっくりと綻んで解けた。悟の薄い唇は皮膚が裂け、うっすらと血が滲んでいた。わたしたちは、どちらともなく重なって、次第に深く堕ちてゆく。ぬるりと生き物のように這う舌は、わたしが教えた動きだった。

「オマエが俺と同い年なら良かったのに。オマエの初めてが俺なら良かったのに。消えない傷を与えるのが、他でない俺であればよかったのに」

泣き言のような叫びは、吐息に混ざって消えてゆく。朝日で溶ける綿雪のように、まるで初めからそこになかったかのように。

「クリスマス再来週だろ。プレゼント、前借りしてもいい?俺の初めて、貰ってよ」

それ以外、要らない。

それは子供の器に収まりきらない大きな感情が、あふれて零れた瞬間だった。







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