「名前ってば、どうしちゃったのその顔。絆創膏なんか貼っちゃってさ」


 顔を合わすなりんふ、と笑ったライトの瞳は、まるきり普段通りの色をしていて、わたしはその安堵感に脱力してしまった。ここ最近、ずっと張り詰めていた気持ちをやっとで抜くことが出来る、そう思った。こんな風に格好悪くて醜い自分を全てさらけ出せるのは、やっぱりライトの前だけだ。
 びりっと頬に貼り付いていた絆創膏を剥がす。つきん、と痛みが走る。きっとまだ、頬は真っ赤に腫れているはずだけれど、ライトは眉を潜める事もない。

「ああ、……これね」
「真っ赤になってるね。名前のカワイイ顔が、酷く醜い見た目になっちゃってるよ」

 べたべたと顔に三つも絆創膏を貼って、ついでに腕には大袈裟に包帯までを巻き付けている哀れな女が目の前に現れたところで、同情する事なんか一切無いところが、ライトのいいところだ。会う人会う人に眉を潜められ続け、そろそろうんざりしてきた頃合いだった。これでライトにまで心配されたら、わたしは息が詰まる気分で今日を過ごさなければならなかっただろう。だってこんな傷、本当は大したことなんかないのだから。
 ベッドに座るライトの隣にばふんと腰かけて、深いため息を吐き出す。少し動かしただけで、裂けたくちびるの端が痛む。

「……彼に、殴られたんだよね……」

 頬を撫でながら言えば、つきりと痛みが走る。話せば長くなるけれど、結論から言えば、昨日、わたしのライトとの“浮気”が彼にバレた。そして殴られた。わたしの彼はわたしの前で、とても冷静沈着な男だった。わたしに対してあまり興味がないといってもいい。一応恋人という立場に収まっているものの、その関係はとてもドライなのだ。その彼が、あんなに激昂する姿は初めて見た。正直、凄く驚いた。ライトも意外に思ったのだろうか、少しだけ目を見開いている。

「へえ、キミの話を聞く限り、タローくんは暴力に訴えるタイプの人間じゃなかったと思ったんだけど。なにをやらかしたの?」
「それがね、ライトとの“浮気”に使っていたホテルをね、彼の“友達”かな? も愛用していたみたいで……」

 そこまで言えば鋭いライトには殆ど伝わったらしく、にやにやとした顔をしはじめる。「お前が自分以外の男とホテルに行っているのを見たっていう奴がいる」そう切り出した時の、彼の強ばった顔が忘れられない。猜疑心と、わたしの事を信用したいのと、二つの気持ちが綯い交ぜになった瞳をしていて、胸が抉られるようだった。耐えきれなくなり、わたしはすぐに、ライトとの浮気を認めた。

「この前、迷惑な事に、そのお友達にライトと一緒にいる所を見られたらしいんだよね。彼に報告が行ったみたい」
「それで、タローくんにボクとの“浮気”がバレちゃって、大変な目にあったと」
「そう。物凄く怒られた」

 頬を擦る。浮気を認めたわたしを、彼は怒りに任せ、殴り付けた。それからは大喧嘩だ。お互いに引っ掻いたり、上に乗ったり、乗られたり、首を絞められたり。普段の彼からは信じられないような事がたくさんあって、その証拠が身体中に残っている。未だに痛みは感じるけれど、こんな傷、本当は物凄くどうだっていい事で、今回の事件の本質は別にある。彼に、あんな風に感情をぶつけられたのなんか、初めてだ。

「だからいきなり待ち合わせのホテルを変えようなんてメールが来たんだね」

 ぐるり、ライトが室内を見回す。今度のわたしたちの本拠地は品揃えがよくて、奇妙なフォルムをした見たこともないような大人の玩具がいくつも備え付けてあった。ライトはそれを手にとって「ビッチちゃんに使ってあげたいよ」なんていつもの調子で言っていたけれど、わたしには使い方も検討がつかない。ライトに確認するのは怖いから、後でネットで検索にでもかけてみようかな。

「うん。急にごめんね」
「別にいいさ。キミは、そんな目にあってもまだ、ボクとの関係を継続する事を選んだんだから」

 んふ、とライトが笑う。わたしもライトを真似て、笑う。つきんとくちびるがまた痛むけれど、心はもう、痛くない。

「……うん、わたしね、この前ライトが言ってたこと、その通りだなって思ったよ」

 彼に頬を殴られたとき、わたしの胸には驚きと共に、別の感情が沸き上がっていた。嬉しい。いつも冷静だった彼が、わたしの為に、こんな風に醜くどろどろとした感情を見せてくれる事があるのか。彼の浮気を知った日、わたしが隠してしまった醜いものを、彼はわたしに、たっぷりと見せてくれた。それが、言葉に出来ないくらいに嬉しかった。首にかけられた指がめりめりと肌に食い込まれてゆく瞬間。息も吸い込めず朦朧とする意識と、狭まる視界の中には彼だけが存在していて、彼の指でそのまま意識を閉ざすことが出来たなら、彼の迸る感情の渦に飲み込まれる事が出来るのなら、どんなに幸せだろうか、なんて事ばかりを考えてしまった。涙が出るほどに嬉しくて、ぼろぼろと泣いてしまったわたしに、彼ははっと気が付いた顔をして指を離し、それからばつの悪そうな顔で、動きを止めた。わたしはげほげほと咳き込みながら、空気と一緒に幸せを沢山吸い込んで、ぼろぼろと泣いた。彼の前であんなに醜い泣き顔を晒したのは、あの時がはじめてだ。

「醜い部分も、時には見せる事が必要だって、前にライトが言ってくれたよね。その通りだと思った。わたし、彼に殴られた事が、凄く嬉しかったんだよね」
「殴られて嬉しいって、名前って、マゾヒストの気まであったんだ」
「だってね、彼がわたしの事を好きじゃなかったら、こんな風に怒らないでしょ。これって彼が嫉妬して、わたしを必要としてくれてるって事だよね……」
「それはどうだろうね」
「ちがう?」
「男には独占欲ってやつがあるのさ。自分のものに手を出されるのは、それがなんであれ、プライドが許さないんだよ。ボクはそんな感情、馬鹿らしいと思うけど」
「それでも、嬉しいよ。彼がわたしに独占欲を抱いてくれてるんだもの」
「んふ、キミって駄目な男に依存する、そして男を駄目にする、典型的なパターンの女の子だよね。いいね、ボクはそういう子、嫌いじゃないよ。共依存の関係って酷く倒錯的だよ」

 くすくすと笑い、わたしの頬の傷を軽く指先で弾くライト。たぶん、わたしの考えは、世間一般の常識から外れているし、間違ってる。だからこんなこと、友達にだって言えないことだ。けれどライトにだけは相談できる。だってライトは、わたしを否定しない。わたしと同じ種類の人種だから。ああ、ヴァンパイアか。

「だけど、それで喜んでちゃまだまだ駄目だよ。もっともっと、キミはタローくんを喜ばせてあげなくちゃ」
「うん、わかってる」

 わかってるよ、ライト。だからわたしは、もうしばらくはライトとこの偽りの関係を続けてゆくのだ。
 ライトの言ってくれたように、彼の浮気を知ったあの日、わたしはもっともっと、醜いと隠して飲み込んでしまった感情を、昨日の彼みたいに、彼にぶつけるべきだったのかもしれない。そうしない事で、自分の弱さで彼を傷つけたのだとしたら、わたしはその代償を支払わなければいけないから。

   
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