けばけばとした派手なネオンサインに彩られた空間。枕元できっちり二つ整列した、ビニールに覆われたコンドームをぼんやりと眺めていた。視線をずらし、デジタル時計の画面を確認すれば、角ばった文字で「10:20」と表示されている。窓があるべき場所はコンクリートのような色をしていて、今が朝なのか夜なのかも確認出来ないけれど、シャワールームから物音がするから、きっと今は夜だ。天井でちかちかと安っぽい光を放つ光源を見つめながら、真っ赤なシーツの上でごろりと寝返り。
 ラブホテルの内装って、どうしてこんな風に派手でチープなんだろう。ボクはわりとこういった下卑た感じも燃えちゃうけれど、こんな場所に連れてきたらきっとビッチちゃんは顔を真っ赤にして、絶えず眼球をあっちこっちに動かし続けるに違いない。それもまた別の楽しみがあるかもしれない。
 きいっと音がして、シャワールームの扉が空いた。バスローブを羽織り、向こうからぺたぺたと裸足で歩いてきた名前は、ベッドの上のボクと目が合うと、がしがしとタオルで頭を拭いていた手を止めた。自宅で寛いでいるような、なんとも気の抜けた格好だ。

「あれ、ライト、起きたの?」
「おはよー、名前」
「うん、おはよう。珍しく寝てるから、びっくりしちゃったよ。なんかね、寝言、たくさん言ってたよ」
「へえ、どんな?」
「『可愛いよビッチちゃん』とか、『んふっ』とか、にやにやしながら」

 ふふっと笑ってベッドの上に飛び乗った名前の毛先から、水滴が跳ね、真っ赤なシーツの上に染みを作った。血を彷彿とさせるような深みのある赤が出来上がる。髪くらいちゃんと乾かしてくればいいのに、名前は少しだらしないところがある。
 二人ぶんの体重を乗せてもキングサイズのベッドはどっしりとして揺らぐ事はなかった。

「ああ、確かにビッチちゃんの夢を見ていた気がするよ」
「そうなんだ。それってもしかして、いやらしい夢?」
「んふ、どうだろうねー。でも、今酷くいい気分だから、すっごくエッチな夢だったのかも」
「わ、すごくいい夢だね。羨ましい」
「んふー、いいでしょ?」

 わたしも今夜は彼氏とセックスする夢が見たいなあなんて呟く名前には、恋人がいる。名前の恋人は、自分の女が今ボクとこうして、こんな場所で、同じベッドを共有している事を知らない。
 名前はポーチから愛用の化粧水と乳液のボトルをベッドの上に取り出すと、ぺたぺたと顔に塗りたくり始めた。いつもそうであるようにシャワーを浴び、化粧を始める。たまにベッドに入り、仮眠をとる。それから、言葉を交わす。それがこの、誰もがいやらしい下心を抱いてやってくる空間で、名前がボクと行っている行為の全容だ。枕元のコンドームの封を切った事は一度もないし、多分これからもその必要に迫られる日はこない。何故なら名前はボクにとって、“どうでもいい人間”だからだ。
 名前は手慣れた手つきで別のポーチから取り出したメイク道具一式を広いベッドの上に散らかした。毎度の事ながら女の子は大変だね、と唯一ボクが感心するところ。

「ああ、あと、キミも夢に出てきた気がするよ」
「わたし? わたしがライトの夢に出てくるなんて、珍しくない? わたしってライトにとって一番どうでもいい人間じゃない」
「それがそうでもないんだよね。キミがボクにとってどうでもいい人間なのは事実だけれど、その実キミはボクと一番近い場所にいる人間だというのもまた、きっと事実だからね」

 ぼんやりと、思い出してきた。さっき見ていたあれはきっと、初めて名前に会った日の夢だった。適当に声をかけた女の子と、随分と長い付き合いになったものだ。名前にはボクが必要で、ボクにも名前が必要だった。それは互いに代えの効く役割としてだったけれど、だからこそ名前のような人間は都合がいい。

「それなら、わたしもそうなのかも。ライトほど本音で話せるひともいないもの」
「キミは出会ったころから少し変わった子だったよね」
「ありがとう。ライトも初めから随分な変態だったよね」
「んふ、こちらこそありがとう」

 名前はスキンケアを終え下地を完成させたところで、コンシーラーを取り出して、右目の下に叩くように塗り始める。

「そんなに入念にするものかなぁ」
「これのこと?」

 スティックタイプのコンシーラーを軽く振る名前は、不思議そうな顔をしている。きょとんと見開かれた瞳の下には、うっすらと隈が出来ていたけれど、もっと酷いものに日頃から親しんでいるボクとしては、隈と呼ぶにすらあたいしないレベルだ。

「そ、ボクのお兄ちゃんなんてね、物凄い隈なんだから。カナトくんにこそ奨めてあげたいくらい」
「ライトのお兄さんってあれでしょ、すきあらばビッチちゃんの事を狙ってるっていう、三つ子の……」
「それはアヤトくんの方」
「ああ、わかった。テディベアのほうだ」

 そう、と頷いたら名前は嬉しそうに笑った。
 それから、左目の下の隈にもコンシーラーを潜ませる作業を開始する。ベッドの上に立てた鏡を覗き背中を丸める姿は、至って真剣だ。
 女の子がメイクをするという事は、兵士が戦闘に繰り出す時に鎧を纏う作業のようなものだと聞いた事がある。メイクをしている時が、女の子にとっての一番に無防備な時間。それなりにある女の子経験のなか、メイクをしている姿を見られるのが嫌だという女の子はたくさん見てきたけれど、こんな風に無防備にさらけ出している女の子は、今までもこれからも、きっと名前一人なんだろう。素っぴんで現れることすらままある名前にとってもまた、ボクの事はどうでもいいヴァンパイアなのだ。

「最近のメイクは特に気合いが入ってるよね」
「うん、彼にはね、完璧なわたしを見せたいから」

 自分の醜い部分を認められず、そうして必死に隠そうとする浅ましさが、女の子の可愛いところだと思う。ボクの存在もまた、名前にとってはコンシーラーで塗り潰したい醜い思惑の塊に違いない。今度はファンデーションを叩きながら、真剣な表情をする名前はつまり、今から彼氏に会うため、彼氏に自分をよく見せるため、武装中なのだから。

「タローくんだっけ、それともジローくんだっけ、キミの愛しのカレシくん」
「わたしの彼、そんな名前じゃないからね。ライト、何回言ってもそれだけは覚えてくれないよね」
「んふ、ほら、ボクって男には全くキョーミがないからね。ま、仮にタローくんでいじゃない」
「もうタローでもジローでもいいけど……」
「タローくんはさ、化粧が濃い子が好きなの?」
「うん、なんとなく、こっちの方が反応がいいんだよね」
「キミってほんと、タローくん基準でしか生きられないよね」
「……男の子ってナチュラルメイクの子が好きっていうよね。ライトもそうなの?」
「んふ、男が好きなのはきっとナチュラルメイク風の女の子だよ。本当は腹の奥にどろどろとしたものを抱えているのにさ、必死に自分を純粋にみせようとしているような女の子に、なんだかんだコロッと騙されちゃうんだから。そうは見えないのに化粧品の臭いをぷんぷんさせている子なんていっぱいいるし」

 そういう意味ではビッチちゃんも一緒の事だ。彼女はメイクこそあまりしないけれど、いつも聖女ぶる仮面の下で、欲望に忠実などろどろとした本能を必死に隠しているんだから。誰が騙されようが、ボクは騙されないよ。隠された本能を引き出して、純粋そうな顔を徐々に快楽に染め上げ、歪んでだらしがなくなってゆく様を見るのが、一番にたのしい。ビッチちゃんも、もうあとひとおしだからね。

「……もしかしてヴァンパイアって嗅覚が鋭かったりする? 化粧のにおい、きつかった?」

 もし酔いそうなら向こうでするよ、と、立ち上がりかけた名前を制止する。

「ヴァンパイアが嗅覚に優れている事は事実だけれど、キミの化粧レベルで気持ち悪くなっていたら、ボクは女の子と楽しいことが一つも出来なくなっちゃうよ」
「そうなんだ、大丈夫ならよかったんだけど」
「うん。だからさ、これを貸してほしいんだけど」

 ベッドの上に散乱する、いかにも女の子が好きそうなジュエリーのような見た目をした化粧用品の数々。その中から、一際きらきらと煌めいている香水瓶を手に取る。不思議そうな顔をした名前は特に止める様子も無かった為、それを自らに吹き掛ける。女の子用の香水の、甘ったるい香り。直接浴びるのは流石に鼻が痛い。

「それ、女性用だよ……?」

 不思議そうな顔のままいう名前に、にたりと口角を吊り上げてみせる。それだけで理解したような顔になる名前も、そろそろボクの性格を理解してきたみたいだ。

「だから、だよ」
「ああ、ライトってほんと性格わるい」

 そこで怒り出すわけでもない名前も、人間が考える性格のいい女の子には当てはまらない。名前はメイクの手を止め、こちらに振り向いた。

「ライトってさ、ほんとうにビッチちゃんの事が好きだよね」

 くすくすと、おかしそうに笑った名前に、ボクは眉を潜める。名前はたまに検討違いな事をいう。

「ボクが、ビッチちゃんを好き? 確かにビッチちゃんの血は大好物だし、ビッチちゃんを気持ちよくさせてあげるのも大好きだよ。沢山ビッチちゃんを“愛して”あげたいとおもう。それを愛だとか恋だとかの無粋な感情に当てはめてしまうのは人間の悪いくせだね。ボクらヴァンパイアにそんな下らない感覚があると思う?」
「うん、あると思う。だってライト、今、すごく楽しそうだもん」
「世の中はキミの頭の中のように単純じゃないんだよ。少なくともボクは、愛なんてものは信じてない」
「ふうん。単純明快で分かりやすい方がいいと思うけどな」

 なんていって再び鏡に向かい、口を尖らせてみせる名前。甘ったるい香水のかおりが、ボクの精神をじりじり、じりじりと焼ききろうとしている。

   
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