「もしかして名前も、今日はオンナノコの日?」

 いつもの場所へとやってきたボクらは、いつもの定位置へと腰を下ろし、シーツのさらさらとした肌触りを指先で感じたりなんかしながら、いつものように顔を向き合わせた。ホテルの前で出会った時から、名前は女の子の香りをぷんぷんと振り撒いていた。
 早速口を開いたボクに、名前は一瞬だけ呆気にとられた顔をしてみせ、だけどすぐに鼻の頭に皺をよせ笑い始める。

「あはは。……なんというか、臆する事なく女の子のタブーを犯してくるところは流石というか」
「ボクがキミ相手に気を使う方がどうかしてるよ」
「まあ、凄くライトらしいとは思うけど」

 からからと笑いながらベッドに肘をつき、半分身体を寝かせた楽な体制にうつる。くしゃりと皺を描き入れるシーツ。それから、お腹を軽くさすってみせる。今度は眉間に刻まれる皺。

「そう、ライトの言う通り、いま、ちょっと辛い時期なんだよね。それもヴァンパイアの嗅覚のなせるわざなの?」
「もちろん。ボクらの嗅覚は、一番は女の子の血の香りをかぎ分けるためにあるようなものだから」
「なんだろう今、わたしは初めてビッチちゃんに同情したかもしれない」
「んふ、なあに同情って。本当は羨ましいくせに」

 名前の隣に寝転んで、すうっと息を吸い込む。名前は再び、少しだけ眉を潜めた。

「ボクはね、こうしてビッチちゃんの血のにおいを嗅ぐだけで、表情を見るだけで、その日のビッチちゃんの体調や気分すらも分かるよ。ビッチちゃんの心の内なんか、手に取るように分かる」
「わあ、ストーカーみたい」
「想像してごらんよ。君の愛しのタローくんが、同じようにキミを把握していたとする」
「……それはちょっと羨ましいかも」

 曖昧に笑った名前のお腹を、ビッチちゃんにしてあげたようにさすってあげた。名前は平然とした顔で、ボクのてのひらの動きを見つめていた。

「んふ、でもキミはもう少し、恥じらいっていう事を覚えたほうがいいかもしれないね」
「それこそライト相手に恥じらっても仕方がないでしょ」
「まあね」
「恥じらう顔とか嫌がる顔とか、本当にライトはそういうのが好きだね」
「ビッチちゃんみたいな女の子を泣かせるのも、大好きだよ。これはきっとタローくんも、同じだと思うけど」

 名前はぱちりと瞬きをしてから、首をかしげた。

「わたしの彼は、ライトみたいな趣味はないと思うけど」
「それはどうかな」
「どういうこと……?」
「男っていうのはさ、女の子を自分の好きに汚してしまいたい生き物なのさ。想像してごらんよ、真っ白なキャンバスに黒い絵の具をぶちまける様をさ! そうして汚い色を、どんどんと広げていく快感を! いいね、興奮してくるよ!」
「うーん、やっぱりそれはライトだけなんじゃないかなぁ」
「そんな事はないよ。言ったでしょ、これは男の本能みたいなものさ。ボクだとか誰だとか、なんならヴァンパイアだとか人間だとかの種族すら、この快楽の前には関係がない事なんだから」

 気持ちよくなれたらそれでいい。汚し、汚され、互いにずるずると、闇に落ちていく堕落した快感。快楽に対する貪欲さは、人も魔族も同じこと。名前はリップグロスで彩られた、てかてかと艶かしいくちびるの両端をにいっと持ち上げる。

「なあに、その顔は」
「ライトってさ、やっぱりビッチちゃんの事が好きだよね、と思った」
「ビッチちゃんの恥ずかしそうにした顔は大好きだよ」

 名前は何かを言いたそうな顔をしていたけれど、肩を竦めただけだった。

「ヴァンパイアは愛だの恋だの、人間の抱く下らない感情に左右される事はない。前も言ったでしょ」
「うーん、でもライト自身が言ったじゃない、男の本能っていうのは、ヴァンパイアだとか人間だとかの種族は関係がないんだって。きっとそれと同じ事なんじゃないかと思うけど」

 そう言って再びくちびるを持ち上げた後、そうだ、と名前は閃いたような顔で起き上がり、手を叩きあわせる。今度はボクが肩を竦める番だった。急に元気になった。こうなった女の子っていうのは、厄介なものだ。鬼の首とったとばかりにおおはしゃぎ、ベッドの上で跳び跳ねそうなくらいのいきおい。まあ、名前のこれが空元気だって事を、ボクは知っているけどね。

「ねえ、だからさ、たまにはビッチちゃんに優しくしてあげたらどうかな。飴と鞭に弱いってのもまた、女の子の共通の本能だと思うし」
「キミが“だから”の使い方を間違えているってことだけは、ボクにも分かるよ」
「こまかいことは、いいの。とにかく、わたしはライトとビッチちゃんの間には飴が足りないと思うのね」
「飴なんてビッチちゃんにはいくらでもあげているよ。毎晩毎晩、あの白い肌に牙を突き立てて、色んなところを暴いて、快楽に溺れさせてあげてるんだからね」
「そうじゃなくて。ほら、たまには遊園地とか――は無理か。ヴァンパイアってお昼に外とか出歩きそうにないもんね」
「別に日を浴びても死ぬってわけじゃないけれどね」
「へえ! じゃあビッチちゃんと遊園地――」
「遊園地か。お化け屋敷の暗闇の中であんなコトをしたり、観覧車の中、上空でのそんなコトを楽しんだり、んふ、想像するとぞくぞくするかも」
「――は、やっぱりやめて、無難にお買い物とかさ、なんでもいいから、デートに連れていってあげたらどうかって。ただ手を繋いで一緒に歩いたり、美味しいものを食べたり。そういうのって女の子は凄く嬉しいよ」
「……ビッチちゃんとデート、ねえ……」

 そういえばビッチちゃんとは、そんな人間じみた事をした記憶なんか一切ない。ボクとビッチちゃんの間に快楽以外の感情なんか必要の無い物だと思っていたし、ビッチちゃんもそんな不毛を求めるような事はしなかった。人間らしい生活の一切を屋敷に来た途端に突如として奪われてしまった彼女は、それをどう思っているんだろうか。一応女である目の前の名前が言っている事だし、ビッチちゃんも名前と同じような事を思っているのか。

「わたしもね、彼とデートに行った日は、凄く幸せになれるもの」

 人間は記憶を辿っている時は上を見て、嘘を作り出す時は下へ視線をやる癖があるらしい。上を見て、昔を思い出しているのか、にこにこした顔で言った後、ずんと暗く染まった顔で、今度は下を見る。名前は、ある意味ビッチちゃんよりも分かりやすい。

「んふ、ほんと名前って清々しいくらい分かりやすいよね。その振り切れた愚かさには逆に感服するよ。自分の望みが崩れたからって、ボクに願望を投影するのは、誉められた行為じゃないなあ」
「ああ、バレた? でも、わたし、ライトとわたしはなんとなく似ていると思うんだよね。だからライトもきっと、ね」

 再び、力なくベッドに横たわりながらそう言った目の前の女が、だんだんとボクは、哀れに思えて仕方がなくなってきた。“ライトとわたしはなんとなく似ていると思う”、名前の言葉が、的を射ていたからかもしれない。名前のタローくんへ抱く感情は、殆ど的外れな崇拝といってもいい。ボクには分かる。

 それから暫くして、シャワーを浴びてくると言ってベッドをおりた名前の背中を見送った。シャワールームからはすぐに僅かな水音が聞こえ始める。テーブルの上に置きっぱなしになっていた名前の携帯に手を伸ばす。ロックはなし。無防備なものだ。ボクとのメールのやりとりも、削除されずそのまま残されている。名前自身も心のどこかで、タローくんにボクとの秘密の関係を暴かれてしまう事を望んでいるんじゃないかと勘繰ってしまうような、無防備さ。まあ、ボクは名前が何を思っていようがどうでもいい。彼女の気持ちも、この小さな機械にぱんぱんに詰まっているだろう名前のプライベートなんてものにも、まるで興味はない。
 いまボクが興味があるのは、タローくんのメールアドレスと電話番号だけだ。その興味は痒みを伴う瘡蓋を、爪の先で引っ掻いて、ゆっくりと剥がしたくなってしまうような、そんなじりじりとした感情だった。

   
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