「よおチチナシ、ちょうどいいタイミングで来たじゃねーか」


 放課後。帰りのリムジンのドアをあけたら、アヤトくんがにたりとくちびるの片端を吊り上げ、待ってましたとばかりに目の前に立ちはだかっていた。嫌な予感が頭を支配する。彼ら兄弟がこういう顔をしている時は大抵いい事がない。逆巻家で暮らすようになって随分、身をもって学習した事だった。

「ほんと、狙いすましたかのようなタイミングですね。ユイさんにしては気が利くじゃないですか」

 アヤトくんの身体の向こうに、テディを抱えてにたにたと笑うカナトくんが見える。広いリムジンの座席には、カナトくんの他には誰も座っていないようで、彼ら兄弟が揃った時は窮屈なくらいなのに、途端に寂しげな印象を醸し出している。そういえば登校時、レイジさんが、三年生は何かの集会があるから少し遅れる、というような事を言っていたような気がする。シュウさんは真面目に参加するような性格ではないから、何処かでサボっているかもしれないし、スバルくんはいつも一人で歩いて帰ってしまう。ライトくんは――、

「あいつらが中々こねーから待ってるあいだ暇じゃん? だから今、チチナシが来たらチチナシで“遊んで”暇潰しでもしてやろうかって、カナトと言ってたところだ」
「あのひとたち、この僕を待たせるなんて、本当に腹が立つよねテディ。だから今、ユイさんが来たらユイさんと“遊んで”あげてもいいかなって、テディと相談していたところです」

 と、そこまで考えたところで、アヤトくんとカナトくんが流石兄弟と感心してしまうようなシンクロ率で口を開いた。言っていた事は少しだけ違っていたような気がするけれど、ようするに自分の身に危険が迫っている事だけは分かった。

「わ、私、やっぱり歩いて帰ろうか……」
「ククッ、なーに逃げようとしてるんだよ。逃がすわけねぇだろ」
「きゃっ」

 後ずさりをしようとしたところで、アヤトくんに腕を捕まれ、強引にリムジンの中に引き摺りこまれた。低い天井に頭をぶつけそうになったけれど、座席の方に押し込まれたため、それは免れる。お尻に強い衝撃をうけ身を竦めているあいだに、私はアヤトくんとカナトくんに両サイドをがっちりと固められ、身動きの取れないような状態になっていた。

「なあ、待ちくたびれて腹減ってんだよ。もったいつけてねぇで、オマエのこの血、オレにも吸わせろ」
「僕も、お腹がぺこぺこなんです。甘い香りがする君の血を、僕にください」
「……だっ、だめ……!」

 首の右側をアヤトくんの、左側をカナトくんの舌が、ゆっくりと滑った。ぞわぞわとした嫌悪感が足元から這い上がってきて、ぶんぶんと首を振る事で、なんとか二人を振り払う。どくどくと、心臓が物凄い音をたてている。ライトくんに吸血されるときの心臓の音とは違ったという事は、許容しがたい事実だ。二人の顔には先程までの上機嫌から一変、深い眉間のしわが刻まれてしまったけれど、そんなものに屈してはならない。

「んだよ、なに抵抗なんてめんどくせぇ事してんだよ、チチナシのくせに」
「……もしかして、ライトの事でも気にしているんですか?」

 こくこくと、何度も頷く。逆巻家で暮らす事になったあの日、誰から吸血されるかの選択を迫られた時、私が選んだのはライトくんだった。あの時はライトくんがどういうひとなのかなんて分かっていなかったし、もし分かっていたらこの茨の道を自ら選択するような事はなかったとさえも思う。けれど、私はもう選択をしてしまったのだ。そして茨は私を絡めとり、胸の深い部分に刺を突き刺し、常に私に痛みを与える存在になった。もう戻れない。

「ククッ、オマエさ、まーだ懲りてねぇの? あの変態に操立てるだけ無駄無駄。少し前に思い知らされたばっかじゃねーか」
「ライトなら僕たちにユイさんが散々吸い付くされた姿を見て、逆に喜ぶんじゃないですかね。ライトを喜ばせたいなら、大人しく僕に吸われて下さいよ」

 少し前、アヤトくんに地下牢に繋がれ、吸血を迫られた事がある。その時もライトくんは私を助けてはくれず、私が吸血される姿を見てぼろぼろと涙を流していた。無駄だと分かっているのに、再び両脇の彼らを振りほどき、声をあげる。

「やっ、やだ、ライトくん……!」
「あいつが助けに来るわけねぇだろ。ライトは今日、チチナシの事をほったらかしにして学校をサボったんだし」
「……っ」
「そんなのいつもの事なのに、なにショックをうけた顔をしているんですか。そういうの、いい加減鬱陶しいんですよ……!」

 カナトくんの叫び声がリムジン内に響く。彼らが大きく口をひらくと、鋭利に存在感を主張する牙が露になる。私は咄嗟に座席から転がり落ちて、床に這いつくばり、両脇の二人の拘束から逃れた。床に頬擦りをするかのように肩を上下させる私を、座席の上から見下ろした二人は、くつくつと喉を鳴らしながら大声で笑いだした。

「なんですか、虫けらみたいに自分から床に這いつくばるなんて。ふふ、ユイさんにはお似合いの格好ですよね」
「へえ、なんだ、怯えてんのか? そこまでして抵抗されると、どっかの誰かじゃねぇけど、逆に燃えるっつうの?」

 がたがたと全身が震えてうまく動かせない。それでもわたしはそのまま床を這って、リムジンから飛び出した。背後から二人が何かを叫んでいるのが聞こえるけれど、振り返らない。ひたすらに手足を動かして、走った。逃げなくちゃ。逃げなくちゃ。
 ライトくんが私の事を見ていない事は、ライトくんが他の誰かの事を見ている事は知っている。ライトくんが、私が他の誰に吸血されていても気にも留めない事も知っている。だけど私はライトくんが、ライトくんに、ライトくんだけを、――――。



   
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