走って、走って、走って、脇腹のあたりがぎゅうっと痛くなってくる頃に、立ち止まる。どうやらアヤトくんとカナトくんは、私の事を追って来なかったようだ。私がいくら逃げようと、あの二人が本気を出したらすぐに捕らえられているはず。出来るだけ人通りの多い道を選んで走っていたのが正解だったのかもしれない。
 気がつけば私は繁華街の一角にぽつんと立っていた。ぜえぜえと肩で息をする私を、通りすぎる様々な人たちが不思議そうな顔をして見て、そしてすぐに興味を無くしたような表情で通りすぎて行く。息を整えてから、逆巻家への帰り道へ方向転換。逃げてきたばかりなのに結局帰る場所はそこしかないんだから、なんだかもう、意味が分からない話ではある。背後から声がかかったのは、そんな事を考えていた時だ。

「おやおやおや、その後ろ姿、もしかしてビッチちゃんじゃない?」

 振り向いたら、想像通りの顔が私を覗きこみ、にやにやと笑っていた。ライトくん。彼にとっても、私の顔は想像通りだったようだ。学校をサボったライトくんは私服姿だから、私とは違い夜の街にすっかりと溶け込んでいる。

「ライトくん!」
「学校帰りにこんな場所でうろうろしてるなんて、キミもいけない子だね」
「学校をサボってこんな場所にいるライトくんにだけは言われたくないよ……!」
「んふ、ボクはいいんだよ。ビッチちゃんと違っていい子ちゃんを装う気は更々ないんだから」

 そんな事を言いながら、ライトくんは私の肩に腕を回し、眩しいくらいの光の中を歩き始める。このまま、一緒に屋敷まで帰るという事だろうか。ライトくんに肩を引かれるように、私も歩き出す。ちょっと恥ずかしくなるような格好と近さだったけれど、見上げればすぐ近くにあるライトくんの顔にどきどきとしている自分もいる。我慢できずにもう一度ライトくんを見上げたら、ライトくんもこちらを見下ろしていて、目があってしまった。相変わらず、ライトくんはにたにたと愉快そうに笑ってる。

「なあに、ビッチちゃん。さっきからボクの方ばかりを見て。ボクに見とれちゃった?」
「ち、ちがうよ!」

 咄嗟に否定をしてしまってから、罪悪感にみまわれる。多分私はライトくんの言うように、彼にみとれていた。でもそれを認めてしまうのが怖い。結局、誤魔化す道を選択してしまうのだ。

「……えっと、こんな場所でなにをしていたのかなって、ちょっと気になってただけ」
「んふ、ビッチちゃんの血にもそろそろ飽きてきたから、他の美味しそうな女の子を探していたんだよ」

 少しの間があった。息が詰まるような、長く長く感じる間。

「……って、言ったらビッチちゃんはどうする? ボクに吸血されるたびキミは嫌だ嫌だと言っているんだから、ビッチちゃんは喜ぶのかな?」
「……え?」
「冗談だよ。こんなにいい香りをさせた美味しいビッチちゃんの血に、ボクが飽きるなんてこと、残念ながらあるわけないんだ」

 その時、私は異変に気が付いた。ぎらぎらと眩しい繁華街の明かりの中を歩いていた筈の私とライトくんの踏み出す足の先、光が途絶えている。後ろを振り向けば先程までの歩いていた明かりが見える。薄暗い路地裏を歩いているようだった。屋敷に帰るのに、こんな場所を通る訳がない。私が立ち止まると、肩を抱いていたライトくんも立ち止まる。それから私の体を頭の天辺から足の爪先まで見下ろして、意味深な笑みを口に含む。くちびるの端からは牙が覗いていて、胸の奥がじりじりとした。

「ボクに飽きるとしたら、きっとビッチちゃんの方だよね。キミは本当に、どうしようもないくらいの淫乱女だよ」
「……どういう、意味?」
「しらばっくれちゃって。ボクが気付かないとでも思ったのかな? ビッチちゃん、キミは今、自分の身体がどんな匂いになっているのかも分からないお馬鹿な子なの?」
「え?」
「臭いんだよ。身体中からこんなふうにぷんぷん、アヤトくんの香りをさせちゃって」

 冷たい壁に押し付けられる。首に顔を埋め、すん、とかおりを嗅がれた。ライトくんは底冷えするような冷たい瞳に、私の顔を映し、口許を歪めている。

「ん、それから、こっちはカナトくんの香りだ。ビッチちゃんたら、何人もの男の香りを纏ってるなんてやーらーしー」
「あ、これは……」
「んもう、ボク以外のヴァンパイアの牙の快楽にも溺れてみたかったのなら、そう言ってくれればよかったのに。そうしたらボクはビッチちゃんの貪られる様をきっちり見届けたのにさ」
「ち、ちがう、これは……!」
「いいんだよ、言い訳なんて無粋なものはいらない。ボクは怒ってるんじゃない、誉めてるんだ」

 ゆっくりと、首の右側をライトくんの舌が、下から上に這い上がる。ちゅっと音を立て、たまに軽く吸い付きながら、丁寧に、丁寧に、何度も往復するざらりとした感触に、頭が痺れてしまいそうだ。

「ビッチちゃんのこの白い首筋を、アヤトくんの舌がどうやってなぶったのかなって、そうやって想像しながらその上をなぞって、」

 次は、首の左側に移動し、ライトくんは同じようにそこを舐め回し、唾液でべとべとにする。

「カナトくんの舌にこうして舐められた時、ビッチちゃんがどんな可愛い声で鳴いたのかなって考えるだけで、ボクは堪らなく興奮するよ」

 キミの事ももっともっと興奮させてあげるからね、といって、ライトくんは再び、擽るように舌を這わせる。震える腰を掴み、身体中をまさぐられる。頬を撫でる風が、火照り出した熱に気持ちいい。こんな場所で、と思う程、ぞくぞくとして身動きが取れなくなる自分に絶望する。ライトくんと一緒にいると、いつもこうだ。

「……ん、や、ライト、く……っ」
「んふ、随分と気持ちよさそうだね、ビッチちゃん。びくびく腰を震わせて、そんなに興奮しているの?」
「や、やだ、こんな場所で、やめ……っ」
「こんな場所、だから興奮しているんでしょ? お外でこんないやらしくて気持ちいい事するなんて、ビッチちゃんは初めてだもんね?」
「あっ、や、やだ……っ」
「んふ、あまりセクシーな声は出さない方がいいんじゃないかな。こんな時間に、こんな繁華街の路地裏。キミがあまりにセクシーだと、熱に飢えたボクみたいな変態を呼び寄せちゃうかもしれないよ?」

 言いながらも、ライトくんは私に声を出させる事を目的としているように、色んな場所をせめたてる。牙を突き刺すふりで私を焦らし、酷い言葉で私を苦しめる。
 ライトくんは私が他のヴァンパイアに酷いことをされて、そんな事に喜ぶようなひと。アヤトくんやカナトくんの声が脳裏に過る。耳の奥でがんがんと響いて、私を悩ませる。いくら嫌だと否定したところでそれは意味のない言葉なのかもしれない。だって私は本当はライトくんのもたらすこの苦痛と快感を――。全てを見透かすよう、ライトくんは私の前に座り込み、服をたくしあげ、お腹にやわやわと噛み付いて来た。我慢できずに悲鳴をあげてしまう。ああ、ついに、こんな場所で吸血をされてしまうのか。

「ね、たくさん突き刺して、たくさんビッチちゃんの事を愛してあげるよ」
「っ、ん、ぅ、やめ……」

 なけなしの理性を振り絞り、ライトくんの肩を押すと、白けたといった表情が反ってきた。それに泣きそうになってしまうのは、わたしがおかしいんだろうか。

「ああ、まだいうんだ。ほーんと、強情な子。流石のボクも苛ついてきたかな。人間の女なんて誰だって愛される事を望んでいるはずなのに、自ら愛される努力をしないやつは、クズだと思うよ」
「……っ」

 持ち上げた服が、元に戻される。立ち上がるライトくんを、呆然として見上げた。怖い。そう思った。背筋を冷たいものが駆け巡るような恐怖と、心臓を鷲掴みにされたような痛み。理由はわかる。ライトくんの言葉が真をついていたからだ。ライトくんに対する自分の気持ちに私は気が付いているのに、それを認めてしまった先にある苦痛を考えるのが怖い。いっそ認めた方が楽になれるのか。私はこのひとに好意的に見られる事を望んでいるのに、このひとの望むことをしようなんて、思えない。ライトくんの言葉を受け入れるということは、今まで約十七年間を生きてきて、私の中で培われてきた価値観全てを覆してしまうような事だから。ライトくんは全てを見透かしているのだろうか。

「ビッチちゃんがその気ならもういいや。だったら今日は、ボクがやるよ」

 どういう意味だろうか。ライトくんはそう言って、私をその場に残し、大通りのきらびやかな光の方へ歩いていってしまった。ライトくんから解放された。ほっとしたような、残念なような、そんな気持ちを胸に抱いている時点で、きっと私は狂ってる。ライトくんに出会う前の私ならば、今すぐにこの隙をついてこの場を逃げ出していた筈だ。どこに逃げればいいのかは分からないけれど、こんな苦しみはもうたくさん。だけど私は、遠ざかるライトくんの背中をすぐにでも追いかけている。ライトくんが何をしようとしているのかは分からない、けれどこのまま、私の元から彼が離れていってしまうんじゃないかと思うとたまらない。
 すぐに私とライトくんは大通りの眩しいほどの光の中に出た。ライトくんは光の洪水がビーズのように連なっているなか、そこを歩く人々に物色するような視線を送っていた。私もライトくんの視線を追う。
 周囲にくまなく視線をやった後、やがてライトくんの眼差しは一人の女の人へと注がれた。お化粧で完璧に自分を飾り立てた女の人がかつんとヒールの音を鳴らずたび、さらりと髪が揺れる。私とは正反対の大人の雰囲気を漂わせた女の人だった。ライトくんは彼女を食い入るように見つめている。ああいうひとがタイプなんだろうか。

「ねえ、そこのセクシーなお姉さん。ボクと遊ぼうよ」

 ふいに口を開いたライトくんの言葉に、私はぎょっとして耳を疑ってしまった。目の前で、彼女に向かって手を振っているライトくんを見上げるけれど、彼は私の存在なんてこの場には無いとでもいうように、一度もこちらを振り向かない。どうして、どうして、どうして。
 ライトくんの声に反応し、ゆっくりとした大人っぽい所作で振り向いた彼女は、ライトくんの事を見つめている。

「わたしの事?」
「もちろん。ボク、今、すっごく退屈してるんだよね。キミみたいに可愛い女の子と楽しいコトがしたいな」
「うん、いいよ」

 どうしてこんなことに。必死にライトくんに声をかけようとするけれど、かける言葉が見つからない。駄目? 行かないで? 止めて? どうして私に、そんな事が言えるのだろう。ぱくぱくと口を開閉し、結局私はなにも言えなかった。さっき私にしたのと同じように彼女の肩を抱くライトくんの後ろ姿に、きしきしと胸が痛む。どろどろとした感情が胸におしよせてきて、泣きそうになってしまう。身を寄せあって歩き出す二人の背中を、今度は追いかける事が出来なかった。



   
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